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最後の1杯はコーヒーで【#いい時間とお酒 スタッフリレー企画 #06】

12月1日から始まったnoteのコラボ企画「 #いい時間とお酒 」もあとわずかになりました。

ほっとひと息つける、自分らしいお酒の楽しみ方って何だろうか。
キリンの社員も自分なりの「 #いい時間とお酒 」について考えてみました。
最終回はnote担当の平山 高敏より、お酒の「締め」についてお届けします。

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コーヒー飲みたい
 
飲み会終わりにひとり、電車に揺られながら思うことがある。
 
飲み会の最中に思うことはまずない。決まって明るい電車の中で(飲み会帰りの電車がより明るいと感じるのはなぜだろう)、それでいてひとりでいる時間に思うのだ。
 
もっと言えば、家でひとり晩酌を楽しんでいる時にも「コーヒー飲みたい」という気持ちはやってこない。決まって「外」で数人もしくはふたりで飲んだあとにやってくる。
 
飲み会が早く終わり、地元の駅前のチェーン店のカフェが空いていれば入ることもあるし、余裕があれば家に帰ってから淹れることもある。
 
とは言えコーヒーを飲めたとしても、特に大きな感動というものはない。一口飲んで少し大袈裟に息を吐いたらもう、コーヒーを飲みたいという衝動は奥の方にしまわれる(なんで飲みたいと思ったのだろう?と思うことさえある)。その後は流し込むようにコーヒーを飲みながら、ついさっきまで交わされた飲み会の中の会話を反芻しては、10分程度でカップを空にして、そそくさと「1日の店じまい」に向かう。
 
この一連の所作をかれこれ10年近くやっている。飲み会を「締める」個人的な儀式のようなものだ。いや、そんな大袈裟なものでもないか。単に癖みたいなものだ。
 
こういう話を友人にすると大抵理解されない。よくお酒のあとにコーヒー飲みたいと思うわね?と、その顔にはコーヒーよろしく苦々しさが浮かんでいることもある(そこまで嫌がることはないじゃないか)。
 
個人的なこの儀式に理由などあるのだろうか?もちろん理由はある。というか最近ようやく気づくことができた。

先日、仕事の関係で一度オンラインで話しただけの方に食事に誘っていただいた。
 
当日用意されたお店に行けば、オーセンティックなスペインバルで、カジュアルなコース料理だった。
 
初対面であることと、場所が若干“かたい”こともあって、序盤は少し緊張感が漂っていた。元々オンラインで話が合っただけだったから、自己紹介をしつつ探り探りの会話が続いた。とはいえ、徐々にお酒も手伝って話は弾み、気づけば互いの声が高くなるくらい盛り上がった。
 
メインの料理も食べ終わり、目の前のワイングラスも空になったところで、ウェイターがやってきて「コーヒーと紅茶どちらにしましょうか?」と聞いてきた。
 
「あ、もうそんな時間なんですね」と言いながらそれぞれコーヒーを頼む。
 
その後数分経ってコーヒーが手元に運ばれた時、ふっとゆるんだ空気に包まれ、肩の力が抜けていくのが肌感としてわかった。それは僕だけではなく、相手にも起きた変化だった。それまで高くなっていた声がワントーン下がったことがその証左だ。
 
そこで気づいたのだ。
僕はこの時間がとても好きだということが。
 美味しい食事とお酒を楽しんだあとの、このクールダウンのようなコーヒータイムが好きなのだ。
 
もっと言えば、コーヒーが出てきたあとに繰り出される「いやあ、今日はありがとうございました」なんてあらたまってみた会話や、「さっき話したこと、また今度シラフで話しましょうね」みたいな会話が好きなのだ。
 
そこには、オフィシャルな場の社交辞令や、お酒の席特有の盛り上がりに任せた勢いとは違う、なんだか平熱の「ありがとう」と「またよろしく」があるように思うのだ。 

◎ 

改めて今年何度か引き起こされた飲み会後の「コーヒーシンドローム」を振り返ってみる。
 
共通するのは、会話がいっとう盛り上がった楽しい会だったり、時間的な制約でプツンと飲み会がお開きになった宴の後に、「コーヒーシンドローム」は発症していた。
 
つまりは「締めくくり」が足りなくて、ひとりで締めくくっていたわけだ
 
師走。
一年の中でもっとも慌ただしい月に、慌ただしく今年を振り返るべく忘年の宴が組まれている。字の如く年を忘れるくらい浮かれるのも楽しいけれど、せっかくならコーヒー片手にじんわり振り返る時間にしてもいいのではないだろうか
 
1年の「締めくくり」を、コーヒー片手にやりませんか?
今年の忘年会の最後の1杯はコーヒーでお願いします。

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