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同じ月を見上げて。音楽と晩酌で楽しむ、新しいお月見時間【#私の晩酌セット vol.06】

秋の夜長は月と音楽、ときどきビール。

思わずニヤリとしてしまう自分だけの晩酌の楽しみ方をご紹介する「#私の晩酌セット」。第6弾は、エッセイストやライターとして活躍する中前結花さんです。今回はお月見の季節にぴったりの「月」をテーマにしたエッセイをお届けします。中秋の名月を見上げながら、晩酌のお供にどうぞ。

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【プロフィール】 中前結花さん
エッセイスト・ライター。兵庫県生まれ。“つくる”の価値を届けるメディア「minneとものづくりと」編集長。ものづくりに関わる、人や現場を取材するインタビュー記事やこれまでの人生や暮らしの「ちょっとしたこと」を振り返るエッセイを執筆。

「9月」というものは

真夏のピークが去った、だなんて。

ふんわりと白い月を窓越しに見上げながら、
わたしはなんだか不思議に思ってしまう。

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うんと若い頃は、「夏の終わり」も、それから「秋」も、
なんだか恨めしいだけの季節だと思っていた。
生ぬるい風に、
「さみしいでしょう?」「名残惜しいでしょう?」
そんなふうに言われている気分になって、
夜には半袖から出た腕が、もうすっかり冷たくなってしまう。


「この曲、やめてよ」
子どものころ、運転席の母は、いつもお気に入りのJ-POPを聞いていた。
ユーミンも竹内まりやもわたしは大好きだったけれど、
夏休みの終わりに、竹内まりやの『September』を聞くのだけは、
なんだか耐えがたいものがあった。
「どうして?いい歌でしょう」
母は上機嫌だったけれど、
甘いグレープのソーダを吸いながら、わたしは助手席でうなだれる。


“夏の日差しが弱まるように心に影がさした”
“めぐる季節の彩りの中で いちばんさみしい月”

大人になった今思えば、松本隆さんの綴る「秋」はなんと美しいことかと惚れ惚れとしてしまう。
けれど、小学生だったわたしにはちょっと「センチメンタル」の用量が多すぎたのだ。

「覚えとくと、いいことばっかりやのに」
母いわく、秋は「からし色のシャツ」を着るといいし、
「トリコロールの服」を着るには季節が外れている。
そして男性が「話すことがなくなった」というとき、
それはつまり、その女性に飽きた証拠であって、
この曲の歌詞には“覚えておくと便利なこと”が詰まってるのよ、
とそう言いたいらしかった。

今ならわかる。どれもこれも、たぶん本当にその通りなのだ。

だけど、夏休みがこのまま永遠にずっと続けばいいと願っているだけの、
まだまだ幼い子どもには、
「9月」の味わいは、難しすぎてちっともよくわからなかった。

夏を見送って

そして季節はめぐり時は流れて、
グレープのソーダは、とんと飲まなくなった。
茹だる夏だって凍えるような冬だって、
今のわたしを喜ばせるのはいつだって金色の炭酸だ。

「ビールなんて苦いよね」
「なんでこんなもの飲むの」

とひそひそと話していたのは学生のうちだけだった。
朝から晩まであれこれと抱え、ドロドロになって働くと、
気づけば、頭の中は金色の炭酸のことでいっぱいになった。

それは喉をくぐるとき、魔法のように、嬉しい気持ちを込み上げさせる。

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ちょうどトランプか何かをひっくり返していく種明かしみたいに、
子どものころ不思議だったものが、
ひとつまたひとつと、大人になるたび解るようになっていく気分だった。

けれどその反対に、きっとすっかり忘れてしまうことだって多い。

「もう、そろそろ夏も終わって欲しいですね。移動が大変だもん」
「もう少し涼しくなったら、テラスで飲みたいね」

8月にもなれば、暑さや日焼けや、混み合う商業施設なんかに飽き飽きとして、
気づけば、どこか「夏」を厄介もの扱いすることが増えた。
あんなに「このまま続けばいい」と願っていた夏なのに、だ。
「勘弁してほしいよなぁ」と、うんざりしながら
念入りに日焼け止めを腕に塗り込む。

日傘をなくしたり、また買ったり。
去年と同じビアガーデンに出かけたり、「それは一昨年だよ」と笑い合ったり。
一緒に花火に出かけたり、そのくせ、もう顔さえ上手く思い出せなくなったり…。

わたしは、わたしたちは
そんな夏を、もう何回も何回も繰り返してきて。

そうして今年、突然「2020年の夏」を迎えた。

見たことのない「夏」

毎日ぎゅうぎゅうの電車に揺られることもなくなり、今や自宅で仕事をしている。
以前は毎晩、駅からの帰り道、月を眺めたり背負ったりしながら、
コツコツと最後の力を振り絞って歩いたものだけど、
もう、わたしの暮らしに「月との時間」も消えてしまった。
きっとそんな人もいくらか増えたはずで、
月もちょっとさみしかろうなあ、と考えてみる。

そうして思う。
「いったいこの夏は何をしていたんだっけ」。

甲子園に盆踊り、音楽フェスも、花火大会も。
わたしたちは、本当に「夏」をたくさんたくさん見送った。
「また来年」「また来年ね」と言って集まることもできずに、
去年だか一昨年だかに訪れたビアガーデンも、今年は営業を見送ったらしい。
クローゼットの中には、今年一度も出番がなかったお気に入りの夏服たちが、
ひっそりと退屈そうにぶら下がっている。

「本当に夏は来たんだろうか?」
わたしひとりが、この部屋で取り残されているのではないかとさえ、
なんだか訝しみたい気分だった。
そうして、とんとんと肩を叩かれ振り向くと
ひっそりと秋が訪れていた。

いったい、「今年の夏」とは何だったのだろうか。
気づけば、暦は9月だ。

同じ空を眺めたら

だけど、ひとつだけ。

思い返せば本当にひとかけらだけ
わたしは「夏」を、よくよく味わったことを思い出す。

ある日の夜。
部屋の中でしかめっ面をして原稿と向き合っていたら、
どんっ、どんっ、とお腹の底に響くような音が聞こえたのだ。
サンダルのベルトも結ばずに、慌てて外に出ると、
信じられないほどの大きさで、花火が目の前に打ち上がっていた。
場所も時間も公表されずに行われた「花火」に、
胸がもう、本当にどきどきとした。

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ふと目線を下ろすと、近くのマンションでは
それぞれのベランダからたくさんの人が顔を覗かせていた。
みんな何やら同じようなものを手にしている。

しまった!
と、部屋に駆け込んで、急いで冷蔵庫から缶を取り出すと、
窓を全開にして残り数分の花火を、わたしもビールと楽しんだ。

思えば、ひとりで見る花火なんてはじめてのことだ。
知らない人たちと見上げる、突然の花火。
だけど、なんだか、一層みんなで同じものを眺めているような気持ちになる。
「みんな、家に居たんだなあ」
こんな不思議な夏を、わたしは知らない。

「今年見る、最初で最後の花火なんだろうか」

頭の中では、
フジファブリックの『若者のすべて』のイントロが流れる。

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

若者のすべて / フジファブリック

「何年経っても、なんだか忘れないのだろうなあ」
目の前の不思議な花火にも、そんなことを思いながら、
わたしはどきどきとした気持ちを、ビールでどくりと流し込む。

そうして、2020年の夏は行ってしまったのだった。

月とレンコン

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秋になって、わたしは小型のスピーカーを買った。
窓際のいつもの椅子で休日に本を読んだり、
仕事終わりに晩酌をするとき、たとえば月でも見上げながら、
ぴったりのBGMが聞ければ楽しかろう、と考えたのだ。

ある夜は、窓越しの月を見ながら、ふと思い立って冷蔵庫を覗いた。
水にさらすのがちょっと面倒だけど、
レンコンを、にんじんと一緒に肉味噌で炒めることにする。

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よし完璧だ。
ビールのおつまみには、味の濃いものがずっと好みだ。

窓を開いて隙間をつくったら、
暑くも寒くもない、ちょうど心地のいい風に体が触れる。
もうクーラーは要らないようだった。
すっかり本格的な「秋」へと季節は変わったのだ。

お気に入りのスピーカーで何を聴こうかと考えたけれど、
そういえば、『若者のすべて』をまた聴きたくなる。
完全に去ってしまった9月に聴くと、
また違ったものを味わえるかもしれない。

最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな

ないかな ないよな きっとね いないよな
会ったら言えるかな まぶた閉じて浮かべているよ

若者のすべて / フジファブリック

この主人公も、きっと花火をひとりで見上げていたのだろうと
わたしは思う。

たくさんのアーティストにもカバーされ、誰もが知る名曲だ。
この歌詞について、
「これは遠い日の恋人」に向けているとか
「いつかの自分自身」に向けているのだ、とか。
解説めいたものにも、これまでたくさん触れてきた。

もちろん本当のところは、
今は亡き作者の志村さんにしかわからない。
けれどわたしは、
「ちょっと数年前、今よりも、もう少しだけ傍にいた女性のこと」
を歌っているのだ、と根拠もないのに
なんだか確信していた。

会おうと思えば会えるのだけど、
なんだかうまく会えずに、そのままになっている想い。

そしてこの曲は、エンディングをこう迎える。

ないかな ないよな なんてね 思ってた
まいったな まいったな 話すことに迷うな

最後の最後の花火が終わったら
僕らは変わるかな 同じ空を見上げているよ

若者のすべて / フジファブリック

2人は会えたのだ、とわたしは思う。
彼は、この夜、その人に会えた。
本当は、ある程度アテがついていて、
訪れた先で彼女にちゃんと会えたんじゃないだろうか。
期待して、心待ちにして、わざわざ出会えたのに、
いざ目の前にすると、
彼は、「まいったな まいったな 話すことに迷うな」
と、喜びと焦りの中で、なんだかたじろいでしまう。

小粋なことでも言いたかったろう。
けれど、本当は言葉なんて、そんな夜にはもう必要ないのかもしれない。
花火が打ち上がる同じ空を眺めていれば、
それだけで会っていなかった時間など帳消しになってしまう、
空にはそんな魔法があるのだと、なんだかわたしは思ったりするのだ。


そんなことをあれこれと考え、想像しながら。
今日も、レンコンの歯ごたえとピリリと辛い鷹の爪の旨味を、
空を見上げながら、ほろりと甘苦いビールで流し込んでいた。

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星は見えないし、今年の花火もきっと終わってしまった。
空にはもう月しか残ってなくて、やっぱりどこかさみしいだろうか。

そして、はた、気づく。

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「なあんだ、なんだか似てるじゃないか」
レンコンを食べたくなったのは、どうやらそういうわけらしかった。
くすくすとひとり笑いたくなる。

こうやってあれこれと考え、
月と、音楽と、過ごす夜は本当に本当に最高なのだ。

今しかない「秋」を

近頃は厄介だとばかり思っていた夏が行ってしまった。
今年は、夏の終わりがさみしくて、心許なくて。

だけど、行ってしまったものはもう仕方がない。
元気でさえいれば、夏はまた何度でも巡ってくるのだし。
来年また、空を一緒に見上げれば、
こんな気持ちもきっときっと嘘みたいに埋まってしまうのだろう。

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そういえば、母と竹内まりやは
“「話すことがなくなった」というのは、飽きた証拠”
と言っていたけれど、
会いたくて会いたくて仕方のない人と出会えたとき、
「まいったな、まいったな、話すことに迷うな」
というのもまた、人間らしくて好きだなあとわたしは思う。


「ねえ、どう思う?」
と、ツンとすました月に問うてみたい。
はたしてこれは「月見」だろうか、と思うけれど、
ただ月に、無理やり晩酌の相手をさせているだけのような気もしてしまう。

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秋の夜は長くて、きっと今夜のわたしの晩酌も長い。
今夜の月は、ちっともさみしくなかろうな。

あの人もこの月を眺めていたらいいのにー。
わたしは心の中で小さく思った。

今日の1杯 (1)

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ほんのりと甘く、すっきりと苦く。
あっさりと飲みやすく、料理にもよく合う
「引き立て上手だなぁ」という味わいが好きです。

🌙

個人的なお話をすると、お月見って、こんなご時世にならなければ素通りしたイベントだったと思います。夏の日、ゲリラ的に各地で上がった花火のように、お酒を隣に置いて月を見上げながら誰かとつながっていることをたしかめるような、そんな夜を過ごしたいと思いました。

みなさんの「#私の晩酌セット」もぜひお寄せください。投稿されたnoteは「#私の晩酌セット」マガジンに格納していきます。

今年の十五夜は10月1日。同じ時、同じ月を眺めているあの人を思いながらの1人晩酌もオツなもの。どこまでもつながる空の下で、思い思いの月見酒をお楽しみください。

それでは、また次の乾杯まで。

表紙イラスト:カラシソエル

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