見出し画像

キリンビール仙台工場100年の歩みと、未来を担う高校生と制作した記念のロゴマーク

キリンビール仙台工場は、2023年7月に宮城県仙台市での操業開始から100周年を迎えます。
これを記念して、オリジナルのロゴマークが制作されました。

デザインを担当したのは、なんと地元の高校生。

「地域の未来を担っていく人たちと一緒に作りたい」という仙台工場の想いから、仙台市にある宮城県宮城野高等学校の美術科にロゴ制作が依頼されたのです。

全部で16点の作品が提案され、仙台工場で働く全従業員の投票によってオリジナルのロゴマークが決定しました。選ばれたのは、当時高校2年生の太田衣咲さんのデザイン。

キリンビール仙台工場100周年の記念ロゴには、どのような想いが込められているのでしょう?

100周年ロゴの制作を企画したキリンビール仙台工場・総務広報担当部長の曽山剛と、デザインを担当した太田さんにお話を伺いました。


地元の高校生と100周年記念ロゴを作ることになった経緯

対談

―お二人がお会いするのは、3月に行われたロゴマークの発表会以来ですか?

曽山 剛(以下、曽山):そうですね、お久しぶりです。あらためて、今回の記念ロゴを制作いただいた太田さんとお話できることがとてもうれしいです。今日はよろしくお願いいたします。

太田 衣咲(以下、太田):緊張していますが、私も曽山さんといろいろなお話ができればいいなと思っています。よろしくお願いいたします。

―まずは、今回の100周年ロゴの制作を企画した経緯を教えてください。

曽山:キリンビール仙台工場は長い年月のなかで、地域の方に愛していただき、絆を深めてきました。

そんななかで、100周年のロゴを制作するという話になったときに、外部の方に発注する方法以外に「地元の人から仙台工場はどう見えているのか」を表現してもらいたいという想いがありました。

そこで、全国的にレベルの高い美術科がある宮城野高校に、ダメ元でお願いさせていただいたんです。

キリンビール仙台工場の曽山

【プロフィール】曽山 剛
キリンビール仙台工場 総務広報担当
総務や広報の業務を中心に、人事労務から経理まで、仙台工場を支えるような役割の仕事を担当しながら、工場の内外にキリンのブランド価値を伝えていくといった仕事も担当。小学校3年生から、高校3年生までを仙台で過ごす。

―高校生にお願いしようと思ったのは、なぜだったのでしょう?

曽山:これからの100年を考えたときに、未来を担っていく若い方々とご一緒できたら素晴らしいなという気持ちがありました。

なので、高校生のみなさんに力をお借りして、飲料の可能性やキリンに期待する将来像等を表現いただきたいと考えました。

―太田さんは、キリンビールの工場が仙台にあることをご存知でしたか?

太田:工場があることは知っていましたが、仙台のどこにあるかまでは知らなくて。なので、曽山さんが学校で仙台工場のお話をしてくださったときに初めて、こんなにも学校に近いところにあると知りました。

宮城野高等学校の太田

【プロフィール】太田 衣咲さん
宮城県宮城野高等学校 美術科 3年生(ロゴデザインを制作した当時は2年生)
小さい頃から絵を描くのが好きで、宮城野高校美術科へ進学。

―100周年のロゴを制作するにあたって、曽山さんから生徒のみなさんには、どんなお話をされたのでしょうか?

曽山:細かいロゴのイメージは伝えずに、仙台工場の歴史や取り組み内容をお話しました。

仙台工場は、キリンビールとして横浜、尼崎に続く3番目の工場です。1923年、地元企業の東洋醸造と合併して仙台市小田原で操業を開始しましたが、関東大震災で主力の横浜工場が壊滅した際にはフル稼働で貢献しました。1983年に現在の仙台港に移転しましたが、2011年の東日本大震災で大きな被害を受け、復旧にあたって多くのお客さまに支えていただきました。

特に、東日本大震災の当時を知る従業員はたくさんいますし、それをみんなで乗り越えてきたというのが、仙台工場の一つのアイデンティティになっています。そういった仙台工場の歴史と歩みをお伝えしました。

太田:曽山さんからのお話を聞いて、とても衝撃を受けました。特に東日本大震災で巨大なビールタンクが崩壊している写真を見せてもらいましたが、あの状況からみんなで協力して復旧できたことは、本当にすごいことだなと思います。

東日本大震災発生時の仙台工場
東日本大震災で巨大なビールタンクが崩壊した様子

曽山:また、我々が製造しているビールそのものを知ってもらうために、ビールの造り方やビールの原料となるホップについて、お話しました。

特に、岩手県遠野市のホップ生産の取り組みでは、地元のよい素材を使って、お客さまに価値を還元していくことを大事にしているという想いを伝えたんです。

▼キリンの日本産ホップに関する取り組みはこちら

太田:ホップの取り組みは知らなかったので、こんなにも仙台工場が地域とつながっていることに驚きました。

聖獣の麒麟をメインに、初めて自分が納得できたデザインが完成

キリンビール仙台工場100周年のロゴ

―曽山さんからのお話を受け、太田さんはどのようにデザインを進めていったのでしょうか?

太田:震災やビール造りのお話を聞いて、仙台工場を知ることはできましたが、いざデザインを制作するとなったときに、なかなかイメージが膨らまなくて。

いろいろと試行錯誤しながら、最終的には自分が好きな聖獣の麒麟に重点を置いてデザインを考えました。

曽山:実は、聖獣の麒麟をメインにデザインしてくれたのは太田さんだけだったんです。なぜモチーフに選んだんですか?

太田:聖獣のデザインに惹かれたんです。綺麗だし、芸術的な存在に見えました。そこからキリンビールにとっての聖獣が、どんな存在なのかを調べて、デザインを進めていきました。

キリンビール仙台工場100周年のロゴ

―太田さんが制作したロゴには、それぞれ異なるフォントで100という数字が描かれていますね。

太田:一番大事なのは、“100周年”ということなので、そこが目立つように大きく描きました。

「Anniversary」という文字のフォントは筆調にしましたが、「100」も同じフォントにしてしまうと、古い雰囲気になりすぎて、今っぽさがなくなってしまうので描き分けました。

ゼロは、数字の「0」ではなく、「◯」を使って描いています。円は縁起がよいし、「○」のほうが全体のまとまりがよかったので。

これとバランスをとるために「1」のフォントは太くしましたが、ベタ塗りするだけだと寂しく見えたので、曽山さんのお話に出てきたホップのイラストを入れました。

曽山:こうやって、お伝えした内容を汲んでもらいながらデザインを考えてくださったのは、本当にうれしいですね。

太田:自分が納得できたデザインに仕上げられたのは、本当にこれが初めてだったんです。今までは、「もうこれでいいか」と途中で妥協してしまうことが多かったので。

今回は自分が好きな聖獣というモチーフを中心に、自由に考えることができたので、最後までやり切れたんだと思います。

長い歴史のなかで100周年を迎えた仙台工場を、たくさんの人に知ってもらいたい。記念ロゴに込められた想い

宮城野高等学校の太田

―今回のロゴ制作では、14名の学生さんから16作品が届いたそうですね。それを見たときの工場の方々の反応はいかがでしたか?

曽山:まずは、全員がとてもよろこんでいましたね。

太田さんは聖獣をメインに考えてくれましたが、他にもビールが注がれたグラスや、ビールの細かな泡、ビールをイメージした黄色やオレンジの色合いなど、みなさんがそれぞれの発想で制作してくれました。

グラスから溢れる飲料事業の可能性が見事に表現されていて、とてもうれしかったですね。

“仙台”というところに着目して、伊達政宗公のモチーフをデザインにしてくれた方もいて、本当にたくさん考えてくれたことが、ひしひしと伝わってきました。

キリンビール仙台工場の曽山

―そのなかで、太田さんのデザインに決まったは、なぜだったのでしょうか?

曽山:ロゴデザインの選考は、仙台工場の従業員全員に投票してもらいました。そこで印象的だったのが、すべてのデザインに票が入っていたこと。

工場の人たちが、一つひとつ全ての作品を見て、迷いながら投票してくれたんだなというのがよくわかりました。

そのなかで、太田さんのデザインに票が集まったのは、慶事に現れると言われている聖獣の麒麟をメインにされていたことが大きかったのではないでしょうか。

これからの100年も幸せの多い事業であってほしいというメッセージを、みんなが感じとったんだと思います。

―太田さんは、自分の作品が選ばれたという連絡を受けたときのことを覚えていますか?

太田:もちろんです!このデザインは、提出する日の朝まで粘って調整し、完成したんです。なので、自分のなかで大きな達成感がありましたし、その作品を選んでもらえたのは本当にうれしかったです。

対談

曽山:我々としても、ロゴの制作や投票を通じて、100周年の施策が動き出したなという実感がありました。みんなで100周年のことを考えて、ロゴを選ぶというのは、キックオフとして本当にいい機会になったと思います。

工場としては、一連の活動を通じてお客さまに、「一体感」「地元感」「安心感」を伝えることを大事に施策を実施しようと話していましたが、それを社内だけで盛り上げるのではなく、どうやって外に伝えるべきなのかを模索していて。

そんなときに、地元の高校生にデザインをお願いしていたロゴが集まってきて、そこには飲料に対する期待感や楽しさというのが表現されていました。

我々造り手は、自分たちの商品がお客さまにどう見えているのかという評価に強い関心があるので、明るく、希望のあるデザインを見ることができて、とてもうれしかったんですよ。会社の雰囲気がそうした印象として表現されていたので。

そうやって社内がグッとまとまり、100周年を迎える気持ちが高まったんじゃないかなと思います。

―100周年のロゴは、今後どんな場所で使われていくのでしょうか?

曽山:すでに会社の名刺や封筒、多賀城駅と仙台工場を結ぶバスの車体デザインにも使わせていただいています。

キリンビール仙台工場100周年ロゴ
仙台工場を結ぶバスの車体デザインに使用された100周年ロゴ

太田:私はまだ実物を見ていなくて。先ほど、自分のロゴが装飾されたバスの写真を見せていただいて、とてもビックリしました。

「長い歴史のなかで多くの困難を乗り越えて100周年を迎えた仙台工場を、たくさんの人に知ってもらいたい」という気持ちでロゴを制作したので、それが伝わればいいなと思っています。

これからも仙台が魅力的な街であるために

対談

―100周年を迎えたキリンビール仙台工場では、今後どのような取り組みをしていく予定ですか?

曽山:まずは、これまで培ってきた技術で、お客さまにおいしく安全な商品を安定してお届けするというのがベースです。

それに加えて、みなさんに幸せが訪れますようにという願いを込めて制作いただいた100周年のロゴとともに、キリンビールの企業価値をお客さまに感じていただけるような事業を継続していこうと思っています。

100周年のロゴに込められた想いと、地元の高校生が制作してくれたということを、50年、100年後の人にも伝え残していきながら、それに恥じない活動をしていきたいですね。

対談

―太田さんは、今回のロゴ制作に関わってみて、キリンに対する印象は変わりましたか?

太田:大手の会社だということは知っていましたが、地域に寄り添って、いろいろな取り組みをしていることは知らなかったので、制作に関わらせてもらってからは、親しみやすい会社という印象になりました。

―現在は高校3年生で受験を控えているとのことですが、今後もデザインに関わっていこうという気持ちはありますか?

太田:はい。今後も美術の勉強をしたいと考えているので、美術大学を受験する予定です。自分の想像を膨らませて形にするという今回の素敵な経験は、今後も活きてくると思います。

デザインという分野も視野に入れながら、自分に向いていることを見つけていけたらなと思っています。

2ショット

―今後、仙台がどんな街になっていってほしいですか?

太田:仙台は、都会というイメージがあると思います。たしかに、東北のなかでは都会ですし、全国的に見ても賑わっている街だと思うんです。

でも、街の中にも緑があって、少し離れると自然あふれるこの仙台が好きなので、これからも自然に寄り添いながら発展していく街であってほしいです。

今回初めて、地元にある企業のロゴ制作をさせていただいて、すごく楽しかったし、やっぱり自分の街に関われたことは、とても光栄でした。
なので、仙台を離れて進学することになっても、学んできた知識や技術を活かして、将来は仙台に関わる仕事をしていきたいなと思います。

―そうして外で経験を積んだ太田さんが戻ってきてくれたら、きっと街としても企業としても心強いですね。

曽山:そうですね。太田さんのような方が仙台に増えていくのは、本当に楽しみだなと思います。若い方が戻ってきたくなる街であるためには、企業も魅力的でないといけないと思うので、仙台工場もお客さまに必要と感じていただけるよう取り組んで参ります。


文:阿部光平
写真:上野裕二
編集:RIDE inc.


この記事が参加している募集

企業のnote

with note pro

広報の仕事

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!