復興のその先へ。「農業トレセン」が築き、「東北絆テーブル」が照らす未来
東日本大震災の復興支援活動としてスタートした「東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト」、通称「農業トレセン」。復興はもちろん、その先の未来をも見据え、次世代の農業経営者を育成するためのプログラムです。
この取り組みは現在、全国規模に拡大。地域が生み出す食の魅力を発展させ、日本各地につなげる役割を果たしてきましたが、震災から10年の節目を前に新たに始まったのが「東北絆テーブル」です。
東北の地域振興に深く携わり、「東北絆テーブル」の指揮も執るキーパーソンと、東北の経営者の想いをよく知るキリンビールの営業担当が、復興と地域振興の軌跡、そして未来について語り合います。
仙台工場の長い歴史は、地域との絆があってこそ
─東日本大震災により、キリンビールは仙台工場が被災。屋外に設置されたビールタンク4本が倒壊し、一時は操業再開の目処が立たない状況に陥りました。
白波瀬:私は震災発生当時、神戸支店に勤務していましたが、今も鮮明に覚えています。お付き合いのある店舗さんを訪問していたときでしたね。テレビ画面に流れる津波の映像に言葉を失うと同時に、仙台工場は大丈夫なのか、ということが頭をよぎりました。
千葉:キリンさんの仙台工場があるのは、仙台市の宮城野区ですよね。私の会社も宮城野区に拠点があり、あのときの衝撃は忘れられません。取引先も一緒に事業を進めていた仲間も、多くの人たちが被災しました。
私が営む「マイティー千葉重」は、震災以前から食を軸にした地域振興に従事していますが、私たちが住む東北を立ち直らせるため、自分も何かしなければ、という思いに駆られました。
白波瀬:キリングループでは震災発生の4か月後に支援活動をスタートさせましたが、これを決定した当時の経営陣たちも、まさに千葉さんと同じ思いだったはずです。
仙台工場が操業を始めたのは1923年。大正時代のことであり、非常に歴史の長い工場です。地域のみなさんが弊社を受け入れてくださらなければ、この長い歴史はあり得ません。だからこそ、一緒に復興していきたい。この想いが、私どもの支援の根幹です。
千葉:そう聞くと、「復興応援 キリン絆プロジェクト」というネーミングにも、あらためて納得させられますね。一方的な支援ではなく、ともに復興しようと手を携える様子は、まさしく絆です。
それにキリンさんの地域愛の強さは、プロジェクトの協働以前から感じていました。仙台の食を盛り上げるイベントでご一緒したことがありますが、その姿は他人事ではなかった。東北復興の当事者として、関わってくれているんだな、と。
真の復興を目指し、未来につなげる「農業トレセン」
─そして震災の発生から2年後、2013年に始まったのが「東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト」、通称「農業トレセン」です。
白波瀬:「農業トレセン」は復興の先も見据え、農業の未来を担う人材育成を目的としたプロジェクトです。人材育成は、あらゆる経営者の共通課題。
たとえ、後継者問題はクリアできていたとしても、東日本大震災、そして現在のコロナ禍のような、未曾有の出来事が生じても揺らがないビジネス基盤を作るには、どうすべきなのか。私は営業担当として多くの経営者にお話を伺っていますが、皆さんが大なり小なり同様の悩みを抱えています。
千葉:白波瀬さんのおっしゃる通り、人材育成の重要性は、多くの経営者が抱える課題です。東北の被災地では少しずつ復興に向かうにつれ、この問題が浮き彫りになっていきました。
震災後は国の助成をはじめとする多くの支援があり、地震で壊れた農機具も、津波で流された漁具も、着実に整備されていきました。私も一人の東北人として、非常に感謝しています。
ただ、ハード面がもとに戻りさえすれば、それでいいのか。震災による傷を癒やし、さらに前に進むためには未来を考えることが欠かせません。
白波瀬:その未来こそ、農業のこれからを担う人材育成。「農業トレセン」の核となる部分ですね。このプロジェクトでは千葉さんに舵取りをいただき、「農業トレセン」という取り組みから、いくつものプロジェクトが誕生しました。
農家さんの一人ひとりがビジネス視点を持ち、未来につながるような農業を営んでいく。次世代のリーダーを育てるための取り組みです。
千葉:「農業トレセン」が参考にしたのは、実はサッカーのトレーニングセンターなんです。日本のサッカーはここ十数年のうちに、飛躍的な成長を遂げましたよね。その背景にあるのが、世界を見据えたトレーニング。世界レベルの技術を知り、身に付け、選手たちも実際に世界に巣立っていったことで、日本サッカーの今があります。
キリンさんはサッカーとも関わりの深い企業。「農業トレセン」の構想段階から、これはぜひ、キリンさんと協働したいと考えていたんです。
白波瀬:「農業トレセン」がサッカー界をモデルにしていたとは、初めて知りました。
千葉:サッカー界のようなイノベーションを農業界にも巻き起こすべく、「農業トレセン」に参加くださったみなさんには、まず世界の事例を知っていただくことから始めました。
日本の場合は、“農業者=生産者”というイメージが強くありますよね。それが世界に目を向けてみると、農業者の仕事はもっと広義です。海外の農家は企業としての意識を強く持ち、マーケティングやコンプライアンスの視点も持ち合わせています。農業を農業として終わらせず、産業化のビジョンを持った組織が多くあるんです。
白波瀬:特にキリングループでは、プロジェクトに参加くださった農家さんがビジネスをスケールさせていく部分、まさに産業化に進んでいくフェーズに力添えをさせていただきました。
個人的に印象深いのが、岩手県遠野市の農家から始まった「醸造する町 Brewing Tono」ですね。ビールのおつまみにぴったりの野菜、遠野パドロンを栽培する農家さんから始まり、今では遠野市を巻き込んだ取り組みに発展しています。
千葉:一つの農家の試みが町をも巻き込んだように、農業が産業化していくと、そこに関わる交流人口が拡大していきます。実際、「農業トレセン」に参加した農家さんの多くが新たに起業されていますが、そこでカギとなったのが、東京に拠点を置くビジネスパーソン。
旧来的な農業の在り方では、どうしても活動範囲が地元に限られていました。そこに東京のビジネスパーソンが関わることで、地元に雇用が生まれるだけでなく、活動の範囲そのものが全国各地に広がっていったんです。
よろこびも悲しみも分かち合う、交流のテーブルを
─「農業トレセン」の知見を活かし、2016年からは食を通じた地域活性を担う全国の人々が集まる場「地域創生トレーニングセンタープロジェクト」、通称「地域トレセン」も実施してきました。また、東北地域では2019年に新たなプロジェクト「東北絆テーブル」がスタートしています。
白波瀬:「東北絆テーブル」も千葉さんをはじめ、東北に根ざした地域振興に従事されるみなさんとともに推進していくプロジェクトです。
キリングループでは「農業トレセン」「地域トレセン」だけでなく、さまざまな形で復興支援を続け、これまでに農業で48件、水産業で47件に及ぶ支援事業を行ってきました。そこから築いた絆をつなげ、業界の垣根を越えた交流の場にしようという取り組みです。
千葉:ハード面の復興を進める第1フェーズ。ハード面の復興を礎に人材を育てる第2フェーズ。そして、最終的に目指すべきところは“食卓”ではないか。農業にしても水産業にしても、生産物が行き着くところは全国各地の食卓であり、それを再確認させてくれたのが、キリンさんが掲げる「生産から食卓までの支援」というフレーズです。
生産者の営みを食卓に届け、おいしい食卓を築くことこそが生産者の役目。そのためには農業者も水産業者も、自治体も小売も流通業者も、観光業者やメディアも一緒にひざを突き合わせて議論できるような、そんなテーブルが必要です。
白波瀬:まさにキリングループでは、CSVパーパスの一つに「地域社会・コミュニティ」を掲げて取り組んでいますが、私自身、美食の宝庫である東北の未来をさまざまな人と語り合い、実行に移すことの重要性を実感しています。
そのうちの一つが、事業や「復興応援 キリン絆プロジェクト」のつながりを通じて関わらせていただいた、「仙台駅前 みやぎ鮮魚店」のオープンです。
期間限定の店舗ではありますが、宮城県の美食を詰め込んだようなコンセプトショップです。お店の企画立案から行政を巻き込んだPRまで、幅広くお手伝いさせていただきましたが、これは地域のみなさんとじっくり話し合う時間があってこそ、実現できたことです。
千葉:あらゆる業界の人たちが垣根を越えて交流し、じっくり話し合うことは、とても重要なこと。同時に交流や新たなコミュニティが生まれるのは、食卓を囲む時間だったりするわけです。
私たち東北の人間は東日本大震災という悲劇により、非常に苦しい時間を過ごしてきました。その一方で、ヨーロッパには「うれしいことも悲しいことも、すべては食卓で分かち合う」という言葉があります。しかし日本人が複数人とともに食卓を囲む時間は、ヨーロッパの人に比べ、極端に少ない。
白波瀬:食卓を囲む時間が少ないという、日本の現状。その現状を打破するためには、東北のおいしい食材を広め、食卓に届けることが力になりますね。おいしい食事があってこそ、食卓を囲む時間が豊かになり、会話も弾みます。
千葉:私はそうであると信じていますし、ここでもキリンさんとの協働が必要だと考えています。というのも、食卓におけるビールの存在は絶大。
食卓ではありませんが、私自身が舵取りをするプロジェクトの決起会では、必ずといっていいほど、ビールで乾杯をしていました。コロナ禍の今はそれが難しくもなっていますが、乾杯は集う人たちの絆を深めるんです。
白波瀬:私がキリンビールに入社した理由も、実はビールの力にあります。私ごとで恐縮ですが、大学時代はラグビー部に所属していました。成人して以降の話ではありますが、先輩も監督もOBも一緒になってビールを注ぎ合い、本音で語り合った思い出は一生物。
これは勝利の祝杯だけでなく、悔しい想いをしたときも同様です。どんなときにも寄り添ってくれるビールという商材に魅力を感じたことが、入社のきっかけです。しかもビールの原料となるホップの国内生産量は、9割以上が東北。あらためて、ビールの力を信じたくなります。
CSVの実現も未来の創生も、すべては積み重ね
─東日本大震災の発生から10年という、節目の目前に立ち上がった「東北絆テーブル」。今後の取り組みはどう進化していくのでしょう?
千葉:キリンさんとともに進めてきた復興支援は、着実に進化を続けてきたと思います。ただ、最も重要なのは継続すること。日本国内において、食料自給率が100%を超えている都道府県は6つ。そのうちの4県が東北です。生産者自身にも、食の宝庫を担う自負があります。
その誇りを絶やさないためには、生産者自身が基軸となってビジネスをしていくこと。私たちは「農業トレセン」を出発点に、その軸を築いてきました。だからこそ、これからも東北という生産地を軸に、活動の継続にコミットするまでです。
白波瀬:活動の継続にコミットする。これは私としても、まったく同じ想いです。キリングループはCSV先進企業として「お客様や社会と共有できる価値の創造」を理念としていますが、これを実現するためには、社会のどこに共有すべき課題があるかを知ることが先決。
そして知る術を持つのが、お取引先との絆を第一にする営業担当です。営業としての役目を見失うことなく、日々弊社に関わってくださるみなさまのお声を聞くことに尽力したい。
その変わらない積み重ねこそが、東北の未来、ひいては日本の未来に寄与するものと信じています。
▼東北とともに歩んだ10年間
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※本記事はキリンのwebサイト内「東北とともに歩んだ10年間」から転載したものです。