乾杯三昧【#また乾杯しよう スタッフリレー企画 #02】
8月5日から始まった「#また乾杯しよう」投稿コンテスト。
弊社チームスタッフからも「また乾杯しよう」と声をかけさせていただきたく、「スタッフリレー企画」も展開することにしました。
これから不定期で10名程度の「 #また乾杯しよう 」のnoteを公開します。
今回は戸所恵利さん。びんビールに込められた“様々な要素”とは?
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ほとんどの乾杯は、ビールでやってきたクチである。
私はビール会社に勤務して、二十?年目になるのだけれども、未だそれに飽きないのが不思議。お給料をこれだけ自社に還元しているのだから、会社はもっと褒めてくれてもいいのではないか。
と思っていると、「俺こそ表彰されるべきだ」、「わたしをCMに使った方がいいと思う」と、社内外上下問わず、貢献度を自己申告してくる友人知人家族先輩同僚が非常に多いので、ああ、私なんぞまだまだでした、と心で深々と最敬礼して、驕った自分を戒める。と同時に、感謝の気持ちになって、そうした飲んべえたちと、また乾杯するのだ。
乾杯には形式も形態も場所も問わない。グラスで、あるいは缶やボトルのまま、自宅やお店、屋外で、など様々なシチュエーションでの乾杯が、世界各地でこれまで繰り広げられてきた。
私も、そんな乾杯三昧の日々を送ってきたひとりだ。
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これぞ夏!な乾杯の舞台のひとつに、私は神宮球場を挙げたい。
かつて弊社は原宿にあったので、神宮球場までは地下鉄で二駅。距離的にはとても近いのに、球場に一歩入った途端の別世界。
蒸し暑さも周囲の森のおかげか、空気のみずみずしさが気持ちいい。
目の前の「キリンビール」の電光掲示板は目に鮮やかで、夜空に映える。
試合はまだ始まったばかり。周囲のお客さん全員の、今夜のゲームの盛り上がりへの期待がふわぁーっと水蒸気のように肌に伝わってくる。
と、その非日常感と高揚感に浸ったのも束の間、先ほどスタンドで買って、上手に注いでくれた紙コップのビールの泡が消えそうなことに気づく。おっと、早くしないと!焦りつつ着席。
「乾杯!」
日本の夏の夜、屋外で飲む歓喜の一杯である。
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もちろん、おなじみのジョッキの乾杯もはずせない。
冷えたジョッキの持ち手部分をギュッと力強く握って掲げ、互いのジョッキを打ち付けて乾杯すると、「この場と時間を共有している仲間」の感じが高まるなあと、しみじみ思う。
仕事終わりであれば、なおさら。
1日働いたあとの疲労感も、ジョッキで乾杯すれば「今日もお互いおつかれさま!」の気持ちにリフレッシュ。おいしい料理でビールを飲んで明日も働くぜ!と勢いがつく感じ。
「ピラミッドづくりに働いた人に対しては、その報酬としてビールが与えられていた」ため、農民が喜んで参加していた(*1)そうだけど、4500年以上も前のエジプトの農民の方々の心情に、深く共感する次第。
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「缶よりも、びんビールのほうが好きなんだけど、何が違うのか」
といったお問い合わせを、お客様相談室在籍時に、よく受けた。(*2)
そのお気持ちわかります、お客様。と、回答している私自身もびんビールに思い入れがあるほうなので、お客様の言葉に頷くばかりなのだが、
「びんも缶も大樽も、銘柄が同じであれば、同じビールを詰めておりますが、注ぎ方、温度、グラスなどの様々な要素で、味わいは変わってまいります。」
が、回答であり、正真正銘の事実。
でも、その“様々な要素”が、大事なのだけど、それはなんだろう。
たしかに、小さなグラスに差しつ差されつしていただくビールの時間は、じっくり流れて、和やかで、乾杯する相手と特になじみやすい感じがする。
昔ながらの居酒屋で、あるいは蕎麦屋で、中華屋で、もちろん自宅で。ひんやりしたガラスの感触と、しっとりした聖獣麒麟の紙ラベル。注ぐのも、注がれるのも、ああ、幸せ。
そんなことをぼんやり考えていたら、つい先日たまたま読んだ一冊の本に、その“様々な要素”の重要なひとつを見つけたような気がした。
「これらの壜はかつて日常の中にころがっていて、人々の手の中にあったものです。私は、そのような時間にあったときの壜に思いを寄せます。」
これは、その本『クラウド・コレクター』(著:クラフト・エヴィング商會)(*3)内で、びん博士こと庄司太一さんが、コレクションの空き壜について語った言葉。
びんビールのびん(*4)も、正式には「リターナブルびん」という名称で、その名のとおり、使用後回収し、洗浄して繰り返し使うもの。使用年数はだいたい8年前後、回数にして約24回の使用でその役目を終える。ということはつまり、私たちの目の前にあるびんは、過去、すでに23回もの乾杯の場に居合わせた、ベテランのびんかもしれないのだ。
もしかしたら、嬉しいことやお祝いといった乾杯の場だけではなかったかもしれないけれど、でも、その時間を経て、今また、このテーブルにたどり着いたびん。
もちろん回収したびんはきれいに洗浄され厳密な検査を経ているため、何かが残っているということは断じてない。
けれども実は、「壜たちの『記憶』」(*5)を秘めていて、私たちはそこに懐かしさを感じるのでは・・・と、思うと、妙に納得してしまった。
見えない懐かしさを知らぬ間に感じるからこそ、びんビールは人を惹きつける、のかもしれない。
この見解、当然のごとくエビデンスなしのため、あくまでも個人的な感想です。絶対に弊社の回答ではありません。
でも、このファンタジーに私は不思議と納得し、また本当にそうかもしれない、と、未だに心のどこかで信じていたりする。
それほどの、びんビールの魅力と言えましょう。
昨今の状況で、上述のような乾杯はまだまだ難しいけれど、乾杯には形式も形態も場所も問わないのが、いいところ。乾杯したいという気持ちさえあれば、100人とでもひとりでも、リアルでもオンラインでもいいし、お酒でなくても、もちろんいい。
ということで、乾杯三昧な日々は続きます。
あきびんはお取扱店へ。
[参考資料]
(*1)キリンビール大学―史学部NO.81 「ピラミッドのために何万人も奴隷が働かされた、は大ウソ。庶民が建造に参加したのは、ビールが飲めるからだった」
(*2)キリンお客様相談室―よくあるご質問「ビール類は、びん、缶、樽詰めで味が違うのですか?」
(*3)(*5)クラフト・エヴィング商會『クラウド・コレクター〈手帖版〉雲をつかむような話』、筑摩書房、1998年
(*4)キリン環境への取り組みーキリンの容器開発と3R―ガラスびんのリユース