ビール工場の役割とは?132年の歴史を誇るキリンビール横浜工場がつくってきた「おいしいビール」と「地域とのつながり」
目の前にある一杯のビール。その背景には、表立ってあまり語られることのない造り手たちの熱い想いや地域との関わりから生まれるストーリーが秘められています。「#造る人たち 」では、ビール造りの拠点である工場に密着。全国のキリンビール工場を舞台に発信していきます。
全国に9箇所ある生産工場の中で最古の歴史を誇るのが、1888年に発売された『キリンビール』を造った横浜工場。キリンビール創業の地である横浜で、132年に渡ってビールを造り続けている工場です。
この伝統ある工場の工場長として、2020年3月から九鬼理宏が就任しました。技術担当として入社し、これまで30年以上も研究所、工場、本社で新商品開発や生産管理の業務に携わってきたベテランです。
キリンビールにとって、横浜工場とは一体どのような存在なのか?
長らく生産現場の最前線に立ってきた九鬼工場長に、横浜工場の歴史や役割、現場で大切にしている信条、そして地域とのつながりなどについて話を聞きました。
おいしいビールを造るための徹底した「三現主義」
─キリンの9工場って、北海道千歳、仙台、取手、横浜、名古屋、滋賀、神戸、岡山、福岡ですよね。なぜ全国各地に工場が作られているのですか。
九鬼:消費地に近いところで造って、すぐに運んだほうが効率的ですし、何よりお客さまに鮮度のいいビールをお届けできますから。そういう考えのもとに、どんどん工場を広げていったんです。
─キリンのビール工場では、具体的にどのような作業が行われているのでしょうか?
九鬼:まずは原料となる麦芽を受け入れて、仕込み釜で煮込んで麦汁を造ります。そこに酵母を入れ、発酵させて、そのあとに熟成ですね。最後に濾過をして、酵母などを取り除き、壜、缶、樽に詰めます。そこまでが工場で行なっている作業で、品質を確認して、出荷の判定をするところまでが私たちの責任範囲になります。
─その中で、工場長が担う役割はどのようなことなのでしょう?
九鬼:工場は、生産本部という組織に属しています。その生産本部が掲げる方針、具体的には経営計画や生産戦略に従って、我々工場も自分たちの仕事を進めています。そのための全体統括をするのが工場長の役割ですね。日々の製造管理や、従業員の方の安全・衛生なども、最終的な責任は私にあります。
─そうして仕事を進めていくなかで、従業員の方たちには、どんなことを伝えていますか?おいしいビールを造っていくために、工場全体として心掛けていることがあれば教えてください。
九鬼:私も先輩から教えられたことですが、よく言う「三現主義」は従業員に伝えるようにしています。「現場に行って、現物を見て、現実を知る」ということですね。
目的を持って現場に行って、仮説を立て、自分で考えて検証する。それを繰り返すことで、真実に近づいていくと思うんです。だから、机上で考えるのではなく、現場でしっかりものを見ることの大切さは伝えています。とにかく五感を駆使して、匂いを嗅いだり食べて味わったり。我々はモノを造っているので、そういうことをちゃんとやらなくてはいけないんです。
─なるほど。現場を知っている工場長だからこその説得力がありますね。
お客さまに来ていただくことを前提にした工場造り
九鬼:工場には製造のほかにも、地域との関わりのなかでキリンブランドをしっかりお伝えしていくという役割もあります。たとえば、地域のイベントに参加したり、新商品が出たときにスーパーに行ってサンプルをお配りしたり、工場周辺のゴミ拾いなんかもしています。あとは、工場見学もそうですね。
─工場見学は、いつ頃から行われているんですか?
九鬼:かれこれ、本格的にはもう50年以上はやっていますね。今は工場見学専門のスタッフがいますが、私が入社したころは総務の女性がユニフォームを着て、お客さまを案内していたんですよ。
九鬼:また、工場のロケーションは地域ごとに個性があって、岡山は自然が豊かで敷地内に天然記念物の魚がいます。横浜工場も都心にありながらビオトープがあり例年、多種多数のトンボがいるんですよ。
─へぇー!横浜工場も来てみて思いましたけど、たくさんの緑に囲まれてますよね。工場と聞くと、工業地帯みたいな場所をイメージしてしまいますが、こんなに自然が豊かなことには驚きました。
九鬼:せっかく来ていただいた方々には、少しでも日常から離れて、緑を見ながらビールを飲んでいただきたいですから。
─工場見学は、9工場すべてで実施されているんですか?
九鬼:はい。横浜を含め、今はコロナウィルスの影響でストップしている工場もありますが。
─つまり、キリンのビール工場は、はじめから見学ツアーを前提にして作られているということなんですか?
九鬼:そうですね。地域に根ざした場所になりたいという想いがあるので、工場はお客さまに足を運んでいただける場所として作られています。
─キリンビールの工場はただの生産拠点ではなく、地域との接点であり、働いている人とお客さまが直接顔を会わせる場所でもあるんですね。各地に工場があることで、お客さまとの接点が多くなるというメリットも。今のお話を聞いて、工場のイメージが変わりました。
ビール工場を中心に広がる地域との関係性
─9工場のうち最も歴史が古いのは横浜ですが、もともとは今と違う場所にあったそうですね。
九鬼:同じ横浜なんですが、最初は山手のほうに工場がありました。しかし、関東大震災で壊滅的な被害を受け、1926年に現在の生麦へ移ってきたんです。
今、山手の旧工場跡地は小学校になっているんですけど、当時ビール造りに使われていた井戸が残っているんですよね。それがNHKの「ブラタモリ」という番組で取り上げられたのをきっかけに注目されて、小学校の先生や生徒のみなさんがビール工場の歴史に興味を持ってくださったんです。
─そこでまた地域との接点が生まれたんですね。
九鬼:そうなんですよ。それで、先生が生徒の質問をまとめて、工場に送ってくださったんです。それにお答えするために、総務の人間が小学校に伺って、お話をさせてもらう機会をいただきました。
─メールで回答するのではなく、実際に小学校へ行ってお話を。
九鬼:はい。そこからお付き合いがはじまって、今では毎年小学3年生の社会科見学で、ビール工場に来ていただいてるんです。あとは、学校の先生も社会人インターンという形で、広報の仕事を体験していただいたりもしていて。そういう関係性ができたんですよね。
─ビール工場見学を体験した小学生のみなさんって、どんな反応ですか?
九鬼:ビールの原料や大きな釜などを見てもらって、飲めないけど「モノづくりの現場」には興味を示していただいているなと思います。あとは、横浜工場の歴史を学ぶことで、自分の小学校のルーツを知ることができて、おもしろかったという感想もいただいてますね。
─それは、この土地ならではの工場と住民の方との関係性ですね。
九鬼:キリンビールというブランドができたのが1888年なので、我々は130年以上も横浜の地でビールを造っています。ここまで続けてこられたのは地元の方々のご支援や、ご理解があってこそ。ですから、我々としても何かご協力できる機会があれば、どんどん地域に貢献していきたいと考えています。
─そういう取り組みを横浜以外の工場でもやられているんですよね。
九鬼:そうですね。それぞれの工場が、それぞれの視点で、地域との関係を築いています。
キリンのビールづくりのDNAは「品質本位」
─1888年にキリンビールが発売されて以降、ずっと引き継がれている「キリンらしさ」があれば教えてください。
九鬼:キリンビールのDNAになっているのは、品質本位という理念ですね。キリン品質の製品をしっかりつくるということです。私自身、入社してからずっと品質本位、お客様本位の重要性を先輩たちから教わってきました。
─おいしいビールを造って、お客さまに楽しんでもらうことを第一に考えると。
九鬼:そうですね。昔の社史を見ると、ドイツ風のビールを造るために、ドイツの設備を入れ、ドイツ人技師を呼んできて、ドイツから原料を輸入して、ドイツビールを再現していたようです。
ですから、キリンビールは「本格的なドイツビールを造りたい」というところからスタートして、品質をよくするために醸造技術を磨き、お客さまに楽しんでいただけるビール造りをしてきました。それが今日の『キリンラガービール』になっています。そうやって常に技術を磨き続けてきたことが、キリンの技術者としてのこだわりですね。
─反対に、時代の変遷とともに変わってきたと感じる部分はありますか?
九鬼:私が入社したときと比べて、多品種化はすごく進んでいますね。昔は『キリンラガー』しかなかったんですけど、今は『一番搾り』もありますし、チューハイやノンアルコールビールなどの製造も行っています。そうやって多品種化が進むなかで必要となる設備の導入や、人材の育成などは、これからも我々が考えていかなくてはならない課題です。
特に横浜工場は、首都圏という大きな市場への製造責任を担う場所なので、多品種に対応する総合飲料型工場という重要な役割を任されています。
─品質本位という姿勢を軸に、多品種展開をしているというのが、今のキリンビール工場なんですね。
九鬼:そうですね。それと、キリンはCSV(Creating Shared Valueの略で「お客さまや社会と共有できる価値の創造」を意味する)として、環境の目標を掲げているので、それを工場でどう実現していくかという議論も、最近ではよく行っています。
もっとビールの楽しさや驚きを伝えていくために
─キリンビールの中で最も歴史のある横浜工場の工場長として、九鬼さんが思い描いている今後の展望を聞かせてください。
九鬼:横浜工場の敷地内には、飲料生産の新しい技術を開発する飲料未来研究所という施設があるので、ここは新しい研究成果をいち早く実用化できる場所なんです。
たとえば、私の同期にホップの研究をしていた村上敦司という人間がいて、彼は飲料未来研究所で「ディップホップ製法」というキリン独自の製造技術を開発しました。この技術によって生まれたのが、『グランドキリン』なんです。
九鬼:さらに今、SVBでいろんなホップの香りをビールにつけることができるのも、村上の功績があるからです。
だから、これからも飲料未来研究所には新たな技術開発を期待していますし、それを我々工場はすぐに実用化して、お客さまにどんどん新しいビールをお届けしたいと思っています。
─最近は全国各地にブルワリーが誕生し、さまざまなクラフトビールが飲めるようになっていますが、こうした状況についてはどのように見られていますか?
九鬼:今、日本ではビールの消費量が減ってきています。これは非常に残念であるのと同時に、我々がビールの楽しさをお伝えしきれていない状況なのだと思っています。
ですから、キリンとしては決して競合として見ているわけではなく、各地のクラフトブルワリーさんたちと一緒にビール業界全体を盛り上げていきたいですね。我々が飲料店さま向けのサービスとしてはじめたタップ・マルシェも、お店側がキリンの商品だけでなく、複数のクラフトブルワリーのビールを組み合わせて販売できるようになっているので、お客さまが多種多様なビールと出会える機会になればと考えています。
─キリンビールが一人勝ちすることではなく、ビール業界全体を盛り上げたいという考え方もキリンらしさの一つのように感じます。
九鬼:そうですね。我々のようなメーカーが造るビールって、大量生産の工業製品みたいなイメージがあると思うんです。でも、実際のビール造りは、職人の手によって行われています。工場の従業員が自分で判断して、試飲をして、味や発酵の具合を見ながらビールを造っているので、やっていることはクラフトブルワリーと近いんです。
─規模は違うけど、やっていることは近いんですね。
九鬼:そうなんです。だから、工場に来ていただいた方には、そういう部分もお伝えできればなと思っています。
九鬼:もともと私がキリンビールに入ろうと思ったのは、「ビールって楽しそうだな」という気持ちがあったからなんです。「みんなでカンパーイ!」みたいな、そういう楽しい世界を創る仕事がしたいなと思って。
だから、私の根底には「もっともっとビールの楽しさや驚きをお伝えしていきたい」という気持ちがあるんですよね。
─九鬼さんご自身にも「飲んだことのないビールに出会って、楽しさや驚きを感じたい」という気持ちがあるんですか?
九鬼:あります、あります。だから、クラフトビールって本当におもしろいですよね。思いもよらない味や香りと出会えたり、そこに込められた造り手の狙いや想いが感じられるので。
そういうことを知ったうえで飲むビールは、本当に楽しさや驚きに満ちているじゃないですか。だから、私自身も飲んだことのないビールに出会いたいですし、これからもそういうビールを造っていきたいなと思っています。
キリンビール公式noteでは、生産拠点である全国の9工場をめぐる「 #造る人たち 」を特集していきます。次回は、地域と連携しながらビールを造り続ける「仙台工場」。東北の農家、ブルワリーなど工場だけにとどまらない地域との関係性について迫ります。
▼キリンの工場見学についてはこちら