見出し画像

リアルとファンタジー 【 #今日はキリンラガーを 】

みなさまにとって、キリンラガービールはどのような存在ですか?

それぞれのキリンラガーの物語と共に、「今日は、キリンラガービールを飲もうかな」と手に取りたくなるような瞬間を見つけていく連載「#今日はキリンラガーを」。

前回は、エッセイスト・あかしゆかさんと写真家・細谷謙介さんによる短編小説をお届けしました。

今回バトンを受け取ったのは、キリンホールディングス株式会社 執行役員 コーポレートコミュニケーション部長・堀伸彦です。キリンラガーに感じる「ファンタジー」な世界と、今目の前にある「リアル」な姿。今もなお記憶に残る、キリンラガービールとの思い出について語ってもらいました。

リアルとファンタジー

子どもの頃、親の膝にのって両親や家族をボンヤリと見ていた。誰しもその情景を思い出す時があるのではないだろうか。はっきりとは思い出せないが、目に焼き付いている映像。

この年でそれをファンタジーと言うのは気恥ずかしいが、キリンラガーはいま私を幸せにしてくれるリアルなビールと、曇りガラスの向こうに映るファンタジーなビール、二つの顔を持つビールである。

***

町中華屋さんや町蕎麦屋さんが大好きだ。日々の喧騒から解放されるささやかな趣味である。自宅近くはもちろん、時には足をのばし都内の老舗店や有名店にも訪問する。お店を決めて行くこともあるし、店構えに誘われてフラっと入ることも多い。

私の経験では、素敵な町中華屋さんには必ずと言っていいほどキリンラガーがある。黄色と赤を基調にした中華定番の看板と、少し色あせた赤いのれんに誘われ、吸い込まれるようにお店に入ると、奥の冷蔵庫に鎮座するキリンラガーが目に入る。その瞬間「やったぜ」と勝ち誇った気分になる。

そしてまずはビールを頼む。陳腐で言い古された言葉かもしれないが、我々の世代はやはり「とりあえずビール」、だ。やがて、ビールが出てくる。なで肩の瓶には、やはりキリンラガーの赤いラベルが良く似合う。見慣れた形のビールグラスに注ぐ。琥珀色のビールと盛り上がる泡を喉に流し込む。キリンラガーのリアルな美味しさに感動する。

その後のことはあまり覚えていない。たぶん美味しい餃子か麻婆豆腐、そしてラーメンでも食べているのであろう。私にとっての町中華は、お店には失礼ながら最初のキリンラガーがメインディッシュなのだ。

冒頭の話に戻るが、私にとってキリンラガーの思い出は、子どもの頃に父が飲んでいたビールだ。暑い夏の夜、プロ野球を見ながら枝豆を食べ、ビールを美味しそうに飲む父。遠い昔の記憶にいつもその映像がぼんやりと思い出される。

少しもやのかかったファンタジーな世界にいつもキリンラガーがある。

父親だけではない。お盆や正月など親戚の集まりには、長~いテーブルに色とりどりの食事と赤いラベルのビールが並んでいた。大人たちはワイワイガヤガヤとビールを飲みながら、「誰が結婚した」とか「どの学校に入った」とか子どもにとってはいまいちピンとこない話題が毎回のように続く。もちろん当時の私は飲めなかったが、大人になったらこんな風にビールを飲むんだろうな、と将来の自分の姿を想像していたのかもしれない。

そして大人になり、ようやくビールを飲めるようになった1987年。私はキリンビールに入社した。同期入社の社員は、「父親が飲んでいたビールに愛着がある」とみな採用面接で答えていたのではないだろうか。もちろん私もそれが入社動機のひとつだった。

それほど長い間日本人に愛されているキリンラガーには、畏怖の念すら覚える。

もうひとつ、キリンラガーと聞くたびに脳裏に甦るファンタジーな記憶がある。仙台で営業をやっていた時のこと私はとある飲食店の開店レセプションに招かれた。ビールメーカーはじめ、食材会社の方や厨房機器の方など、お店のオープンに関わった出入りの業者関係者で、お酒を飲んで食事をとりながら和気あいあいと開店を祝う会である。

たまたま隣に座った方が、お魚を納品する会社の社長さんだった。お互いにキリンラガーを注ぎあって乾杯した。そして、名刺交換をすると社長はこう呟いた。「あー、キリンさんですか。私はキリンビールに命を救われました」と。そして東北の方らしく訥々と語り始めた。

私の会社は、一度倒産したことがあります。どう頑張っても資金繰りがつかず、もう死ぬしかないと決意し、宮城県のとある海岸で身を投げようと思いました。その時、ふとまわりを見ると海岸沿いの街道に食堂がありました。最後に美味しいものを食べようと、私はのれんをくぐりました。最後の晩餐にビールを飲んでもバチは当たらないだろうと、まずはビールを頼みました。出てきたビールは間違いなく赤いラベルのキリンビールでした。

これも最後のビールだな、と乾いた喉を潤しました。あまりにも美味しくて涙が出ました。それと同時にまた生きる勇気が湧いてきたんです。

こんな美味しいものがあるのに私は死ねない。またこのビールを飲むために頑張るんだ、と。

そして何とか事業を復活させることができました。今ここにいるのはキリンさんのおかげです。今日お会いできてこんな嬉しいことはありません。

正直に言うと、この話は私が直接聞いたのか、一緒に参加していた同僚からレセプションの二次会で聞いたのか、実は記憶が曖昧だ。感動して、泣きながらキリンラガーをしこたま飲んで酔っていたからだろう。ただ、その社長の顏もぼんやりと覚えている。まさにファンタジーの世界だ。

その舞台となった飲食店はコロナ禍にもかかわらず健在で、いまだに「今月のお勧め」とメールが送られてくる。そのメールを見るたびに、社長の話を思い出し、私もまた勇気づけられる。

たかが1本のビール、されど新たな息吹をもたらすビール。

リアルとファンタジー。どちらにも共通するのは、キリンラガーの力とオーラだ。キリンラガーを扱っている町中華には、店構えに「キリンラガーあるよ!」というオーラがある気がする。父の晩酌のお供だったキリンラガーは、市井の日本人に生きる力を与えていた。仙台で出会った社長は、街道沿いの食堂のたたずまいにキリンラガーのオーラを見たのかも知れない。そして、キリンラガーの力に命を救われた。

ここまで書いてふと思った。キリンラガーのアイコンである「麒麟」そのものがファンタジーの存在ではないか。幸運の前に現れる伝説の動物。1888年に誕生して以来約130年ものあいだ日本人の幸せ(時には不幸せ)を見続けた麒麟。隠し文字の「キリン」そのものが伝説となった愛らしい聖獣マークの麒麟。これから先も私たちの前に現れ、希望の光を灯して欲しい。