長崎・五島列島でクラフトジンの蒸溜所を立ち上げた元従業員が語る、「キリンから受け継いだモノづくりの哲学」
退職者から見たキリンとは、どのような会社なのだろうか。
そして、キリンでの経験は、どんなふうに活かされているのだろう。
セカンドキャリアとして新たな一歩を踏み出した元従業員に、キリンで得た学びや次のステージで目指すことを伺うのが、新連載「仕事のギフト学」です。
第1回に登場していただくのは、キリンを退職後に長崎県の五島列島で「五島つばき蒸溜所」を立ち上げた3人。これまでの知見を活かし、“土地をお酒で表現する”という新たな挑戦を始めました。
自分の酒造りをセカンドキャリアに選んだ3人の言葉には、これまでの学びを社会に還元していきたいという強い想いと、現役従業員へのエールがたっぷりと込められていました。
50歳目前のキャリア研修を経て見えてきた、これからの人生でやりたいこと
─「五島つばき蒸溜所」が完成したのはいつですか?
小元:外構がまだ工事中のところもあって完成まで漕ぎ着けていないんですけど(笑)、開業したのは2022年12月です。それぞれキリンを退職した時期は違うんですが、キリンを離れてから開業まで、2年半くらいかかりましたね。
僕は2020年9月に退職したんですが、最終出社日の前日にかどやん(門田さん)が来て、「一緒にお酒を造りませんか?」って声を掛けてくれたんです。退職後はしばらく何もしない時間を作ろうと思っていたんですが、その話にすごく惹かれて。一緒に具体的なアイデアを考えていこうとなりました。
鬼頭:僕はキリン時代から、「南の島でラム酒を造りたい」という夢をずっと持っていたんです。ただ、高品質な原酒を開発する当時の業務にとてもやりがいを感じていたので、南の島は妄想止まりだなと思っていて。
そしたら、同じくかどやんから「島で、お酒を造りませんか」って誘われたんです。「妄想が実現するかもしれない!」とワクワクしたし、何より信頼するかどやんからの誘いでしたから、すぐにOKを出しました。
小元:まだ条件面を詰められていない段階だったのに、鬼頭ちゃんに話したらすぐに「やる!」って返事をくれて。それで、我々も退路を断たれたところはありました(笑)。
─門田さんが、自分でお酒を造ってみたいと考え始めたきっかけは何だったのでしょう?
門田:キリンでは、50歳になるときに全員キャリア研修を受けるんです。僕も参加し、新入社員の頃から50歳に至るまでの自分年表を作りました。過去を振り返りながら、あらためて未来のことを考えてみたら、キリンで働ける時間って、あと少ししかないんだなと実感して。でも、自分の人生はまだまだ長いじゃないですか。
門田:安心安全でおいしく、リーズナブルな商品をたくさんの人に届けるというキリンでの仕事にはとてもやりがいがあったし、今でもすごく誇りに思っています。
一方で、通な大人たちが世界中のインディペンデントなお酒を嗜む、小説に登場するようなバーのかっこよさに憧れて酒類業界に入ったこともあって、そこで出てくるようなお酒をいつかは自分で造ってみたい気持ちもありました。その研修を機に、挑戦するなら今しかないかもと考えたんですよね。
─3人はキリンにいた頃から付き合いがあったんですか?
小元:そうですね。かどやんと僕はマーケティング部で商品開発をやっていて、その中身を鬼頭ちゃんが造ってくれているような関係でした。3人が完全に重なったのは『氷結®』をやっていたときだけですけど、それぞれ担当は違いながらも一緒に仕事をしていた感じですね。
─門田さんがお二人を誘おうと思ったのは、なぜですか。
門田:二人とも人間的に素晴らしい方なんですよね。小元さんとは同じ部署でしたが、イレギュラーな事態が起こっても小元さんだけは常に冷静で、どんな状況でもにこやかに対応しているんです。そんな人、なかなかいませんよ。海外とやり取りをする素晴らしい語学力も間近で見ていたし、一緒にやれたら心強いなと思って誘いました。
鬼頭さんもずっと一緒に仕事をやらせていただいていましたが、お世辞ではなく“天才ブレンダー”だと思っていたんです。一緒にお酒を造るなら、鬼頭さんしかいない、と。
あらためて振り返っても、僕の誘いに乗ってくれたことはすごいことだと思います。「会社を辞めて一緒にお酒を造ってください」「五島に移住してください」って、突拍子もないお願いをしてるわけですから。こんな小さな会社でこの先どうなるかわからないし、給料だってすごく下がる。それでも二人とも快諾してくれたことは、本当に感謝しかありません。
五島つばき蒸溜所が目指す、「土地をお酒で表現する」という試み
─「五島つばき蒸溜所」では、どのようなジンが造られているのですか?
門田:メインで造っている『GOTOGIN(ゴトジン)』には、二つのこだわりがあります。すべてのボタニカルを個別に蒸溜していること、そして椿をキーボタニカルにしていることです。
鬼頭:一般的なジンは、複数のボタニカルを一緒に入れて蒸溜する「ワンショット」という製法で造られています。しかし、うちではジュニパーベリーならジュニパーベリーだけ、椿なら椿だけで蒸溜をして、それぞれの原酒をブレンドする手法をとっています。
なんでそんなことしているのかというと、例えば、ジュニパーベリーだと蒸溜過程の最後に辛い成分が出てくるんですよ。だから、複数のボタニカルを一緒に蒸溜する場合は、ジュニパーベリーの辛い成分が出る前にカッティングして、その先は使わないようにします。だけど、ジュニパーベリーが辛い成分を出す時間帯で、シナモンは甘い香りが出てくるんですよ。
─どちらかを取ろうとすると、どちらかが得られないんですね。
鬼頭:そうなんです。ボタニカルごとに抽出の条件が変わってくるので、うちではそれぞれの良さが出るように個別で蒸溜しています。
正直に言えば、とても手間なんです(笑)。だけど、せっかく3人でやるなら、徹底的にこだわって世界に誇れるお酒を造りたい。一気にたくさんは造れないのでお待たせしてしまうこともあるんですが、自分たちらしい酒造りを目指して始めたわけですから、手間といえども、ここは妥協できません。
─椿をキーボタニカルに選んだのはなぜですか?
門田:そもそも、最初からジンを造りたいと思っていたわけではないんです。僕たちがやりたかったのは「その土地をお酒で表現する」ことだったんですよね。ジンは製法や香料に決まりが少なく、自由度が高いお酒ですから、やりたいことを表現するにはぴったりでした。だったら「風景のアロマが香るジン」を造ろう、と。
五島つばき蒸溜所がある福江島には、1,000万本以上の椿があって、椿油の生産量は日本一を誇っています。ただ、昔からたくさんあったわけではなくて、この土地を切り拓いてきた潜伏キリシタンの方々が植えて、増やしてきたそうなんです。椿油を食用に使ったり、薬として椿の葉を煎じて飲むために。
そんなふうに、五島の精神性や文化性とも深くつながっている特別な花なので、ここでジンを造るなら椿しかないと思いました。
鬼頭:実際に椿を使ってジンを造ってみたら、オイリーな椿の風味は伸びが良くて、長く余韻が残る素晴らしいボタニカルでした。『GOTOGIN』の特徴である滋味《じみ》に富んだ優しい味わいも、椿が支えてくれています。
門田:蒸溜所の名前だけでなく、味にもしっかりと椿を活かせたのは、とてもよろこばしいことです。おそらく、椿の種を使ったジンは世界中のどこにもなくて、この味を出せる蒸溜所は他にはないと思います。
キリンで学び、受け継いだ、モノづくりの哲学
─3人はそれぞれどのような業務を担当されているのでしょうか?
鬼頭:役割としては私だけ完全に分かれていて、レシピや原酒の開発、製造を担当しています。
小元:僕とかどやんは、マーケティングや営業が担当です。会社の総務や経理、経営企画なんかは、代表であるかどやん自らやってますね。ユニフォームにワッペンをつける作業とかも(笑)。
門田:そうなんですよ(笑)。なんせ3人しかいませんから。
小元:あとは、オンラインショップの管理全般から、商品の梱包、発送作業も我々二人で分担しています。開発者としてダイレクトにお客さんと接する機会があることは、キリン時代とは違うよろこびがありますね。
─今の仕事をされていて、キリンでの経験や学びが活きていると感じる場面はありますか?
門田:もちろん、たくさんありますよ。僕たち3人は、ありがたいことにヒット商品と言われるものに関わる機会が多かったんですね。ただ、それってキリンの看板で商売をしていたわけです。大企業のマーケティング力や資金力があったからこそ売れたという側面はとても大きいと思うんです。
だけど、キリンから教わったモノづくりの哲学や商品開発の技術は、キリンの看板がなくても世界に通用するものだと思うし、そのことを自分の第二の人生で証明したいという気持ちが強くあります。だから、自分が新たに酒造りをするなら、同じ哲学を持つキリンの人たちと一緒にやりたいと思ったんですよね。
鬼頭:キリンにはビール以外の技術職の方がそう多くはいませんでしたから、私はいろんな洋酒を担当させてもらえました。開発・製造だけでなく、品質保証という部分まで。その経験と学びがなければ、今の仕事は到底できていなかったと思います。本当にキリンでの学びのおかげです。
小元:あとは、人とのつながりもキリン時代に得た財産ですね。キリンの人たちやOBの方々も我々の活動をすごく応援してくれるんですよ。Eコマースのノウハウを持っている昔の同僚はうちの通販をサポートしてくれているし、ほかにもメディアを紹介してくれたり、ジンを置いてくれるバーや飲食店を紹介してくれたりと、いろいろ助けていただいています。
門田:蒸溜所を立ち上げるとき、自己資金に加えて銀行から借入もしましたが、それでも足りない部分があって、クラウドファンディングをさせていただいたんです。そのとき支援してくださったのも、半分はキリンの方々でした。会社を離れたあとでもたくさんの方が応援してくださって、あらためて人のつながりの大切さを学びましたね。ここができてから、キリンの先輩や後輩たちがみんなで遊びに来てくれたのもうれしかったです。
─あらためて振り返ってみると、キリンってどんな会社でしたか?
門田:一番麦汁だけを使った『一番搾り』然り、ストレート果汁を用いた『氷結®』然り、キリンがこの30年で生み出してきたヒット商品って、コスト面から考えたら、多くの企業は造れないと思うんですよ。だけど、お客さまにおいしいものを届けたいという想いで商品を考える人がいて、それを実行した経営陣がいたということは、やっぱりモノづくりの会社なんでしょうね。そういう姿勢で人も育ててきたし、自分も育てられた一人だと実感しています。
小元:「品質本位」「お客様本位」の二つをずっと大事にしてきて、それがちゃんとDNAに組み込まれている。商品・お客さま、そして従業員に対して、とても誠実な会社だと思いますね。
門田:キリンを離れてあらためて思うのは、やっぱりキリンは、アルコールカテゴリーを引っ張っていく存在なんだなって。だからこそ、キリンには“お酒のおいしさの水準”を上げていってほしいですし、新しいお酒の文化をつくったり楽しみ方を広げたりしてほしいと思っています。それはキリンだからできることで、僕たちでは到底できません。
時代とともに変化が求められるだろうし、企業である以上は競合やコストを意識するのは仕方ないことです。ただ、そればかりに意識が向くと、業界全体が縮小してしまい、企業の可能性もしぼんでしまうかもしれません。
利益やシェアも大事ですが、キリンは「品質本位」「お客様本位」というポリシーのもとでおいしさの水準を上げてきた会社です。これからもお酒のおいしさを追求する会社として、業界をリードし続けてくれることを、いちキリンファンとして願い続けています。
このお酒の物語にふれた世界中の人と杯を交わしたい
─五島に住み始めてみて、生活面ではどのような変化がありましたか?
小元:表現が難しいですが、“ちゃんと暮らしている”実感があります。朝に散歩して、ご飯を食べて、仕事をして、体を動かして、夜は飲んで、ぐっすり眠るという生活をしていると、毎日がちゃんと人生になっている感じがします。
あと、大きく変わったのは人間関係ですね。以前は仕事で付き合いのある人くらいしかつながりがありませんでしたが、こっちに来てからは農家さんや漁師さん、近所のおじいさん、おばあさんともつながって、付き合う人の幅が広がりました。それはすごくおもしろいですね。
門田:僕も暮らしを大切にするようになりました。仕事が中心であることは東京にいた頃と同じですが、みんな仕事以外の楽しみを持っているんです。
小元: 仕事終わりに、ソフトボールや釣りをしている人も多いよね。
門田:僕らも混声合唱団に入れてもらって、毎週水曜日には地元の人たちと歌っているんですよ。
─最後に、今後の展望を聞かせてください。
門田:規模の拡大を第一に追うつもりはないんですけど、やっぱり世界には挑戦したいと思っています。キリンで学んだ哲学と技術が世界に通用することを示すためには、国内だけで精一杯になっていてはいけませんから。
小元:想定していたよりも初速はいいですが、今の状態が続くのかどうかはわかりません。無理をせず妥協せず、世界中のクラフトジンが好きな人に飲んでもらえるような生産体制を整えていきたいですね。
門田:世界でナンバーワンのクラフトジンになることよりも、我々のジンを飲んでくれた世界中の人が五島に来て、蒸溜所で3人と乾杯したいと思ってくれたら最高だなって。そういう蒸溜所を目指したいですね。
それともう一つ。僕らは3人とも50代なので、キリンで教わったモノづくりの哲学や、マーケティング・商品開発の技術を次の世代に渡したいという想いもあります。叶うことなら、五島の人たちにつないでいきたい。
五島には大学がないので、高校卒業後に島を出ていく人が多いんです。さらに企業も少ないから、一度島を出たらなかなか戻って来れないというのが現状です。我々ができることは少ないかもしれませんが、もし五島つばき蒸溜所で働きたいという人がいたら受け入れたいですし、五島の人が伝承していってくれたらうれしいなと思っています。
小元:なるべく早く人を採用できる体制を整えて、伝えていく時間もちゃんと持ちたいですね。そうやって地元の若い世代が活躍することで、五島が活性化していったらいいなと。そう思っています。
編集部のあとがき
取材の最後に、門田さんへ「新しい場所でチャレンジするのは怖くなかったですか?」と、うかがいました。
自分のやりたいことに向き合う環境に憧れはあるものの、安定した日常と引き換えにするのはとても勇気があることだと思いました。
すると、門田さんは「全然こわくなかったです!」と即答。
「入社してから積み上げてきた経験と、仕事に精一杯向き合ってきた自信があるからです。どんなことも乗り越えてきた自分なら大丈夫、だから不安は全然ありませんでした。今、大変なこともあるでしょうが、仕事の一つひとつに向き合うことが確実にあなたの血肉となっています。頑張って」と。
悩みながら必死で目の前のことに取り組む毎日が未来の自分をつくる。
先輩からの言葉を胸に、受け取ったバトンをつないでいきたいと思います。(担当・平尾)
五島つばき蒸溜所についてはこちらから。