人生100年時代をともに歩める商品づくりを目指して。オープンイノベーションの拠点「湘南アイパーク」でキリンが描く研究の未来
キリンのヘルスサイエンス事業への貢献や、将来に向けた成長の種の創出につながる研究開発を担っている「キリン中央研究所」。その拠点を藤沢市の湘南ヘルスイノベーションパーク(通称:湘南アイパーク)に移したのは、2021年のことです。
日本でも数少ないサイエンスパークである湘南アイパークは、製薬、医療、健康などの分野で活躍する約180の企業や団体が拠点を置き、多種多様な研究者たちが知識やアイデアを交換し、共同研究を行う場として2018年に誕生しました。新しい医療技術や健康に関するイノベーションの創出とその成果が地域社会や世界に貢献することを目指しています。
そんな湘南アイパークで研究開発に携わるキリンの研究者たちは、日々どんなことを考え、どんな未来を描いているのでしょうか。世界中から研究者が集う場所に、キリンが研究拠点を置く理由とは?
湘南アイパークの代表である藤本利夫さん、キリン中央研究所の所長である矢島宏昭、そしてキリンの若手研究者である山越達矢と古市萌の4人が、それぞれの視点から語り合います。
オープンイノベーションの拠点「湘南アイパーク」とは?
─まずは湘南アイパーク代表の藤本さんに、湘南アイパーク誕生のきっかけをお伺いできればと思います。
藤本(代表):湘南アイパークがオープンイノベーションの拠点として始動したのは2018年ですが、そのきっかけとなったのは医薬品業界がこの20年で大きく変わったことが背景にあります。それまでは一つの会社内ですべての技術を開発し、患者さんまで薬を届けるのが主流でしたが、最近では薬の技術が多様化し、一社だけでは対応できない状況になっているんです。
今では企業、ベンチャー、大学など、さまざまな組織で研究開発に携わるプレーヤーたちが集まり、協力して一緒につくっていく時代になりました。この流れに合わせて、武田薬品が創薬研究所を企業や大学に開放し、日本初の製薬企業発サイエンスパークとして生まれ変わったのが湘南アイパークです。
─こういったサイエンスパークは国内外で増えているのでしょうか?
藤本(代表):そうですね。ボストンやサンフランシスコなどの都市では、すでに大手の製薬会社やベンチャーが集まり、共同研究を行う仕組みが確立されています。さらに、それを支援するベンチャーキャピタルなどもあって、都市全体で医薬品やヘルスケア製品の開発が進んでいます。
日本でも神戸市やつくば市などには多様なプレイヤーが集まり、共同で研究開発を進める仕組みが形成されつつありますが、残念ながらまだまだこういった場所は少ない。「それならつくってしまおう」という考えのもと、湘南アイパークが始まりました。
─さまざまな組織と連携していくオープンイノベーションとは、実際にどういったものがあるのでしょうか?
藤本(代表):理想としてあるのは、組織の枠を超えて技術を共有し、世界中に届くような薬を共同開発することですね。湘南アイパークは誕生してから6年しか経っていないので、そのような段階にはまだ至っていませんが、いくつかの兆候は見え始めています。
例えば、再生医療の研究者と工場プラントの企業が連携し、スタートアップを立ち上げて培養肉の製品を開発していたり、京都大学と武田薬品が共同研究を行い、新しい薬をつくっていたりします。こうした協業により、新たなスタートアップが毎年のように生まれているので、それはいい兆しだなと思っています。
─小さな芽が大木になるように、研究や開発には長い時間がかかりますよね。
藤本(代表):その通りです。結果が目に見えるまでには長い年月がかかりますが、湘南アイパークのいいところは、普段から一緒に論文を読んだり、ディスカッションをしたり、企業を超えてアイデアを話し合える環境が整っていること。あとは、業務外にも年間200件以上のイベントやクラブ活動が行われていて、プライベートな交流からも新たなアイデアが生まれやすいんですよ。
研究の視野が一気に広がった。キリンが研究拠点を「湘南アイパーク」に移した理由
─キリン中央研究所の所長を務める矢島さんにお聞きします。キリンがヘルスサイエンス領域の研究拠点を湘南アイパークに移したのは、どういった経緯があったのでしょうか?
矢島(所長):まず一つは、もともとあった研究所が手狭になりつつあったという物理的な理由ですね。もう一つは、藤本社長がおっしゃったように、「一つの会社の研究員だけで成立する研究」が減ってきていることです。
社外との共同研究が盛んになり、各組織が持つ強みや技術、経験を持ち寄って新たな価値を生み出す時代になっています。だからこそ閉じた環境よりもオープンな場所での活動の方がスピードは上がりますし、外の方々とのコミュニケーションがより活発になっていく。これは、湘南アイパークの成り立ちとも重なる部分ですね。
藤本(代表):キリンさんが来られてからは、湘南アイパークに対する周囲の認識も変わってきたように思いますね。もともとは武田薬品の研究所だったこともあり、「薬の研究をするための場所」というイメージが強かったのですが、薬だけでなく、ヘルスサイエンスの領域やサービス、デバイス、アプリなど、研究の幅が広がっている。
矢島(所長):社外の方と日常的に接点を持てる環境を期待してやってきたわけですが、まさに期待通りでした。もちろん、環境や機会をどう活かすか、どこまで積極的に行動するかは研究員次第です。
しかし、社外の方々がどんな表情で、どんな雰囲気で、どのような活動をしているかを身近に感じられることの影響は、キリンだけで研究していた環境とは比べものにならないほど大きいです。それは、実際にここに来てみてわかったことでしたね。
─ラボやオフィス、食堂、交流スペースなどがあって、まるで一つの街のようですね。そういった環境が研究に影響を与えるのでしょうか?
矢島(所長):直接的にというよりは、個々の考え方やアイデア、発想などにポジティブな影響があるのかなと思っています。他社の方々と気軽に個別相談や交流ができますからね。
キリンはもともと飲料を中心とした食の事業から始まりましたが、それが医薬事業へと拡大し、最近ではヘルスサイエンス領域にも進出しています。これからも食から医の領域で、世の中の変化を見据えながら「先の先」を想像する必要がある。湘南アイパークの環境は、そのうえでもプラスに働いてくれると考えています。
藤本(代表):ビジネスが固まる前の段階でも、この環境が何かしらの影響を与えるといいですよね。無意識にさまざまな情報が入ってくる場所ですから、アイデアがまだ柔らかい状態から一緒に練っていくことができて、発想も広がっていく。それが新しい研究や製品の着想につながればと思っています。
若手研究者が実感。湘南アイパークに身を置くことで得られたもの
─ここからは、キリンの研究者として実際に湘南アイパークで働く山越さんと古市さんにもお話を伺います。お二人は、湘南アイパークでどんなことを吸収していますか?
山越(研究員):ここでは論文を読んだり、協業の話をするだけじゃなく、クリスマスイベントなどの気軽なイベントも多いんです。そういった場で仲良くなった人とも、仕事の話をする機会が増えました。仕事以外でも他社の方と飲みに行ったりして、人間関係が築きやすい環境にいられるのがよかったです。
古市(研究員):さまざまな方とコミュニケーションが取れるのはすごく大きいですよね。私もクリスマスイベントで、武田薬品さんの同期の方と仲良くなって飲みに行き、いろいろな話をする機会が持てました。論文を読み合う会などはオンラインでも参加できますし、研究のトレンドや研究に対する姿勢などを知ることができる良い機会です。社内だけでは得られない貴重な知識や経験を、社外の先輩方から学べるのは本当にありがたい環境だなと思います。
あとは、湘南アイパーク自体がオープンラボということもあり、研究をする環境がしっかり整っているのも魅力です。隣で他社の方が実験していたり、社内にはない機械を使えたり、常に新鮮な経験ができるんです。
─専門的な相談が無料でできる、メンター制度などもあるとか。
藤本(代表):湘南アイパークにいる研究者たちは、各々が特定分野のエキスパートなので、興味がある方に専門知識を教えることができます。最初は10名ほどのボランティアメンターでスタートしましたが、入居組織の数とともに研究者も増え、カバーできる領域も広がりました。現在では、メンターとして手を挙げてくださる方も100名ほどいるかと思います。熱意がある方が多く、質問を受けるのがうれしいみたいです(笑)。
山越(研究員):私はもともと脳の領域で研究開発を行っていて、βラクトリンなどの機能性表示食品の商品にも携わっていました。それに追随するような製品を展開するためのアイデアを練っているので、そういった相談をしてみたいです。
古市(研究員):私もエレベーターに貼ってあるポスターを見て、メンター制度が気になっていました(笑)。私の研究はヘルスサイエンスに関わる素材の機能性を探索するものなのですが、新しい分野なので、社外の知識豊富な方とのコミュニケーションをしていかなければと感じています。乳児や小児の栄養にも興味があるので、ぜひお話を伺いたいですね。
子どもたちと一緒に科学に触れる。地域の方々を招いた5周年イベント
─2023年に開催された5周年イベント「湘南アイパークフェスタ」での出展についても教えてください。
古市(研究員):湘南アイパーク開所5周年を機に、地域の方々にサイエンスを身近に感じていただくことを目的とした「湘南アイパークフェスタ」が開催されました。キリンからは、「目指せ『飲み物』博士!」という展示を行い、約80名の小学生に実験を体験してもらう企画を行ったんです。『iMUSE』などのキリンが提供している飲料に触れてもらいたい、実験を通してワクワクしてもらいたいという思いから、実際に白衣を着て研究者になりきってもらいました。
実験では本格的なラボでしか使えないような実験器具を提供しつつ、飲料の中にどれだけたくさんの乳酸菌が入っているのかを見てもらったり、「免疫ってそもそも何だろう?」というところから解説したり。普段は見えてこないような観点から、飲料に関する知識や実験について伝えるような内容でした。
山越(研究員):当日は80枚の整理券を用意していましたが、開始30分でなくなってしまうほどの大盛況でした。ほかにも、脳機能の測定やホップの飲み比べなどのブースを設け、合計で約800人の方が来てくださって。
私自身も子どもの頃に参加したサイエンスイベントで、白衣を着た人を見て「かっこいい」と思ったことが、研究者を目指すきっかけになったんです。そういう実体験があったので、地域の方や子どもたちにも白衣で実験を体験してもらいたいという気持ちがありました。
古市(研究員):地域の方からは、「キリンってビールの会社じゃないの?」という反応を多くいただきました。展示を通して、『iMUSE』ブランドに興味を持ってくださる方や、飲んでみたいと声をかけてくださる方もいて。研究者がお客さまと直接触れ合える機会はなかなかないので、すごく励みになりました。
藤本(代表):キリンさんには、5周年イベント全体の企画段階からすごく貢献していただきましたし、当日の熱気も素晴らしかった。湘南アイパークからは、「盛り上げアワード」という賞を贈らせていただきました。こういった周年イベントは、堅苦しい雰囲気で開催してもおもしろくないので、地域の方々を迎えて学園祭のように開催できたのはよかったですね。
山越さんがおっしゃったように、子どもの頃にこういった機会があるかどうかで、将来が大きく変わってくるというのは論文にもなっているんですよ。子どもたちが将来、新たなイノベーターになってくれることを楽しみにしています。
100年後には「ビールもやっていたね」と言われるようになる。キリンが思い描く未来の姿
─キリンの研究領域やこれからの未来は、どんなふうに展開していくのでしょうか。個人的なことも含め、若手研究者のお二人が目指すものについて教えてください。
山越(研究員):私は、プラズマ乳酸菌をベースにしたヘルスサイエンス領域の拡大はもちろん、次世代の事業基盤になるような新しいイノベーションの創出もしていきたいと思っています。個人的には疾患のあとの予後領域に興味があるのですが、その研究には製薬企業さんとの共創が不可欠だと感じています。湘南アイパークの環境を最大限に活用し、飲料、ヘルスサイエンス、医薬などを通じて、人々の生活をトータルでサポートできる未来を実現したいです。
入社時にキリンの磯崎会長が言っていた言葉も印象に残っていて。
「キリンといえばビールを思い浮かべる人が多いけれど、医薬やヘルスサイエンス、そして新たな事業へと広がっていくなかで、100年後には『そういえばビールもやっていたね』と言われるようになる。その先の新しい事業を創りだすのが研究の仕事だから、頑張ってください」と。日々の研究に取り組むうえで、いつも頭に置いている言葉です。
古市(研究員):私は山越さんのように100年後までは見据えられていないのですが、自分が今取り組んでいることの「少し先」についてはよく考えています。これまで、キリンはプラズマ乳酸菌やβラクトリンといった素材を研究して、成人向けの機能性表示食品をつくってきました。
これからは、母乳に入っている素材なども研究して、赤ちゃんや子どもたちに向けた新しい価値提供を増やしていくこともできると思うんです。生まれた瞬間から人生100年時代をともに歩めるような商品づくりを目指して、もっと視野を広げていきたいですね。
矢島(所長):素晴らしい心がけで、頼もしいの一言です(笑)。ただ、研究開発したものが社会に出るまでには、研究に費やす以上の長い時間がかかるかもしれない。どんなイノベーションも、多くの努力や積み重ねの先にあります。そのなかで、研究成果をどう世の中に出していくかを考えるためには、多様な経験や知識、そして発想を持つ人たちとの交流が大切。そこから、さらなる大きなイノベーションが生まれるんじゃないかと期待しています。
また、今後は海外からの研究者もどんどん増えてくるかと思います。日本人は内向的な面もあるので、湘南アイパークで海外の研究者と触れ合うことで、ポジティブな影響が出てきたらおもしろいですね。
藤本(代表):技術の開発には時間がかかりますが、同様に人材の育成にも非常に長い時間がかかるんですよね。研究がうまくいかないと落ち込むこともありますし、さまざまなアップダウンも経験します。そうした苦しい時間を乗り越えて、新たな技術を世に出していくためには、それぞれの経験を共有できる環境が必要です。ここで生まれた技術が世界中に広がる日を夢見て、チャレンジを続けたいですね。