ビールを「ホップ」で楽しむ時代に。日本産ホップが秘める力と可能性【#日本産ホップを伝う】
「日本産ホップの取り組みをたどり、未来のビールをのぞむ」というテーマで始まった、特集企画「日本産ホップを伝う」。
100年以上の歴史があるキリンの日本産ホップに関する取り組みを、さまざまな角度から伝え、日本のビールの過去と未来をたどっていく企画です。
第1弾となる今回は、飲料未来研究所でホップの研究をしている杉村哲に話を聞きました。ドイツでの研究経験もある杉村は、国内外のクラフトビール事情に詳しく、研究者の立場からホップの魅力を解説。ブームを超え、カルチャーへと変容しつつある日本産クラフトビールの〝今〟を感じられるインタビューとなりました。
ビールの可能性を引き出すホップ研究
─杉村さんが所属されている「飲料未来研究所」とは、どのような部署なのでしょうか?
杉村:端的にいうとR&D、つまり研究開発を行う部署です。キリンには「酒類技術研究所」、「ワイン技術研究所」、「飲料術研究所」という部署があったのですが、それらが統合して現在の「飲料未来研究所」になりました。
私はもともと「酒類技術研究所」でビールの新商品・新技術を作る仕事をしていたんです。今は、ホップの味や香りの研究をしていて、それがビールの品質にどのような影響を与えるかを調べています。
─もともと、ビールの研究開発に興味があったんですか?
杉村:ビールというよりもホップですね。私は大学で、植物の新しい品種を作る研究をしていて、就職も植物の研究ができる企業にいきたいと思い、キリンに入社したんです。
最初の3年間は、ホップの苦味や香りが作られる仕組みを解明するという基礎的な研究を主にしていました。
転機になったのは、入社3年目。研究成果を海外の学会で発表する機会があって、そこに弊社の村上(村上敦司)も参加していたんです。当時は部署が違ったので面識はなかったんですけど、海外ではすごく注目されている方で。そこで初めて世界的に有名なホップの研究者だと知ったんですよね。
─「MURAKAMI SEVEN」を開発した村上さんですよね。“ホップ博士”とも呼ばれている。
杉村:そうです。その学会で村上が行ってきた研究を知って感銘を受け、「自分もずっとホップの仕事をやっていきたい!」と思ったんです。それから数年後には、幸運にも一緒に仕事をさせてもらえることになりました。
─当時の村上さんは、どんな仕事をされていたのですか?
杉村:ちょうど弊社が『グランドキリンシリーズ』を開発したり、クラフトビール事業である「スプリングバレーブルワリー(SVB)」を立ち上げるタイミングだったので、クラフトビールにホップを活かすための新しい技術研究をしていました。ビールの発酵中にホップを漬け込む「ディップホップ製法」という技術を開発したばかりだったので、その発展・応用に携わっていましたね。
─新しい技術を用いて、いかにホップの特性を引き出すかという研究を。
杉村:そうですね。ホップの香りをふんだんにつけながら、日本人の舌に合う飲みやすいビールを造るための技術開発をしていました。
奥ゆかしく日本らしい。独自の個性を持つ日本産ホップの特長
─「ホップはビールの魂」とも言われますが、杉村さんはビールにおけるホップはどういう存在だと考えていますか?
杉村:魂というのは、とても的を射ていると思います。ホップがなければビールは成立しないので。ホップの役割は五つ、苦味、香り、泡、抗菌作用、それからビールを清澄させるという特性があります。
─ホップは世界各国で作られていますが、その中で日本産ホップならではの特徴はどういったところでしょうか?
杉村:現在、国内外を含めてホップは300種類ほどあるとされています。それらは、さまざまな国で作られているので、明確に外国産と日本産の違いという言い方はできないのですが、海外の品種は香りが強かったり、苦味をふんだんに付与できるものが多い傾向にあります。
一方、日本産ホップは奥ゆかしいというか、質のいい苦味と、質のいい香りの品種が多いですね。キリンが開発した「MURAKAMI SEVEN」は、和柑橘のような香りが特徴的です。グレープフルーツやレモンではなく、温州みかんのような香りがあります。
─インパクトの強いホップが主流の海外では、日本産ホップはどのように評価されているのでしょうか?
杉村:評価は、とても高いですね。特に「MURAKAMI SEVEN」は、ほかに類を見ない香りのホップなので、とてもおもしろいという評価をいただいています。
今、新しいホップが作られているのはアメリカが中心ですが、人気品種の子どもや孫、親戚にあたるものが多いので、どうしても似通った香りになりがちなんですよね。それに対して日本産ホップはガラパゴス的な存在なので、「MURAKAMI SEVEN」のように偶発的にできたものは、海外のホップとは一線を画す個性があると思います。
─「MURAKAMI SEVEN」は、品種改良が打ち切りになって処分されてしまう予定だったホップを、村上博士が密かに保護していたものだったんですよね。
杉村:そうです。もともと村上が自分の博士号の論文を書くために育てていた品種の一つで、とてもおもしろい香りがあったので残しておいたホップなんです。
─そんな「MURAKAMI SEVEN」が本格的に生産されるまでには、どういう経緯があったのでしょう?
杉村:私が一緒に働くようになった2013年くらいには、まだ試験栽培でほんの少ししか作ってなかったそうです。それでも、村上は当時から「MURAKAMI SEVEN」を広めていくという想いを持っていて、その理由の一つには東日本大震災で大きな被害のあった岩手県に何か貢献したいという気持ちがあったようです。岩手県で日本発のホップ品種を作りたいと。
それと同時に、当時日本でもクラフトビールが盛り上がりはじめていて、弊社でも『グランドキリン』や「SVB」のプロジェクトが動き始めていたので、新しいホップが求められていたという側面もありました。自分たちのオリジナル品種をクラフトビールにして、特徴的なホップの香りを楽しんでもらいたいと。
そうやっていろんなことが噛み合って、「MURAKAMI SEVEN」が世に出るようになったと聞いています。
─「MURAKAMI SEVEN」という日本産ホップが、東北の生産地とクラフトビールブームをつなぐ橋渡しをしたんですね。
─「MURAKAMI SEVEN」が使われたクラフトビール『MURAKAMI SEVEN IPA』については、どんな印象を持っていますか?
杉村:IPAというのは、アメリカンクラフトの代表的なビアスタイルなんですけど、「MURAKAMI SEVEN」の穏やかな苦味と、和柑橘を感じる特徴的な香りで、和洋折衷のビールに仕上がっています。非常に飲みやすくて、日本人の好みに合うクラフトビールだと思いますね。
─IPAって、ガツンと苦いイメージがありますけど、「MURAKAMI SEVEN」というホップを使うことで、穏やかで飲みやすいテイストになっていると。
杉村:そうですね。「MURAKAMI SEVEN」の特徴と、発酵中にホップを漬け込むというディップホップ製法の相乗効果で、非常に飲みやすくなっています。ですので、食事に合うタイプのクラフトビールだと思います。
「日本らしいビール」のために、ホップが出来ること
─最近は、日本各地にクラフトブリュワリーも増え、さまざまなクラフトビールが発売されていますが、こうした状況を杉村さんはどのように捉えていますか?
杉村:私はとてもおもしろいと思っています。2年前にドイツでホップの研究をしていたんですけど、向こうは各町に醸造所があって、地域ごとに違うスタイルのビールが飲めるんです。
それがとてもよかったので、日本でもいろんなビールが飲める状況になればいいなと思っています。そうすると、飲む人それぞれが自分の好みにあったビールを見つけられると思うので。
─そういう楽しみ方が一般的になっていくと、ホップに関心を持つ人も増えていきそうですね。
杉村:そうですね。クラフトビールを造るうえで、ホップは最も差別化を図れる要素なんです。麦を変えても味は変化しますが、そこまで大きな違いは出ません。なので、アメリカではクラフトビールの流行とともに、ホップの品種が爆発的に増えていきました。
─そうなんですね。今、日本では徐々にビアスタイルの認知度が上がってきているような印象がありますが、そのあとにはホップの好みが語られるようになるのかもしれませんね。
杉村:そうですね。ワインをブドウ品種で選ぶように、ビールをホップで選ぶという楽しみ方が広がるといいですね。
ホップって、本当にたくさんの種類があるんですけど、結局のところ有名な品種が使われることが多いんですよね。だから、本当に自分たちだけのビールを造ろうとすると、「日本産ホップを使って、日本独自のビールを造ろう」という考えに辿り着くブリュワーさんも多いと思うんです。
現在、キリンが日本産ホップの生産量の7割を使用していますが、自前の畑を持っているクラフトブリュワーさんや、地方でもホップ栽培を始めている生産者さんがいたりと、少しずつ注目を集め始めています。
我々は、そういう方々のためにも日本産ホップの生産・研究を続けていきたいと考えています。誰もが使える日本産ホップがあれば、各地のクラフトブリュワーさんにも、日本のビール文化にも貢献できると思うので。
─そういうお話を聞いていると、日本産ホップや日本のクラフトビールというものが、今まさに新しい時代に入りかかっているんだなと感じますね。
杉村:そうですね。「日本のビールって何?」って言われたときに、今って誰も答えられないと思うんです。
たとえば、山椒や柚子など和テイストの素材を使ったビールも魅力的ですが、私は「ホップ」で日本らしさを出したいと思っています。
「ビールは、麦芽、ホップ、水、酵母のみを原料とする」と書かれたドイツの『ビール純粋令』の作り方を守ったうえでやるとしたら、やっぱり日本産の原料を使うってところからは逃げられないんですよ。
それを日本産の麦芽で実践するというのは数量的に難しいところがあるので、味や香りに特徴を出せるホップで特徴づけるというのが、ポイントになると思うんですよね。
─なるほど。日本のクラフトビールの歴史において「ホップ」が重要な役割を持っているのですね。
杉村:私としては、クラフトビールをブームではなく、カルチャーとして育んでいきたいと考えています。
最近ワイン業界では、「日本ワイン」という呼び方が定着してきましたが、それを名乗るためには日本産のブドウを一定数以上使用している必要があるんです。ビールもいずれ、そういった品質表示の規定ができたら、日本産ホップの価値や認知度も高まっていくんじゃないかなと期待しています。
─それはきっと、ホップの生産者の方にとってもよろこばしい変化になりますよね。
杉村:そうですね。なので、キリンも以前は国産という言い方をしていたのですが、今は”日本産”という言葉を使うようにしています。
─なるほど。そういう言葉選びも、日本のビールカルチャーを創るためのアプローチなんですね。本当に今、日本産ビールは新たな段階に差し掛かっているんだなということがわかりました。
ビールに留まらないホップの可能性
─今後もホップの研究をしていくうえで、杉村さんがやっていきたいことがあれば教えてください。
杉村:ビール造りのためのホップ研究というのは軸足なので、これからも変わらずに続けていきます。それと同時に、お酒に限らず、ホップの価値を他の飲料にも展開できたらいいなと思っています。
特に私は日本産ホップにずっと携わってきているので、その価値を高めて、ビールを飲む・飲まないに関わらず、「ホップってこういうものなんだ」という認知度を上げていきたいですね。
─ホップって、ビール以外にも応用できるんですか?
杉村:ドイツではホップがハーブティーとしても使われていて、薬局でもよく売られているんですよ。向こうの人たちは、リラックス効果や快眠効果が期待できるお茶として飲用していますね。あとは、炭酸水などで割って飲むコーディアルシロップとして使われたりも。ホップのシロップは遠野でも開発・販売されています。
─まだまだ使用目的の広げられる植物なんですね。
─村上博士のように、自分でホップを開発したいという気持ちはありますか?
杉村:そうですね。少なからずあります。ただ、私たち研究所の醍醐味はホップ品種を作ることだけではなく、それを使ったビールを造れることと、お客さまにどういうふうに飲まれているかっていうところにまで関われることだと思うんです。
ーお客さまの反応まで含めて、研究のおもしろさなんですね。
杉村:ええ。やっぱり嗜好品を作っていますので、お客さまがどういうふうに飲まれているかが、一番の楽しみではありますね。究極的には自分のホップで自分のビールを造って、それをお客さまや友人、家族みんなに楽しんでもらえることができたらいいなと思っています。
穏やかな苦味と、和柑橘の香りが特徴。『MURAKAMI SEVEN IPA』
日本産ホップ「MURAKAMI SEVEN」を使った『MURAKAMI SEVEN IPA』がキリン公式オンラインショップ『DRINX』限定で販売中です。ホップ由来の和柑橘の香りが広がる上質感のある苦味が特徴。料理にも合わせやすいクラフトビールです。
次回は、日本産ホップの一大産地、岩手県遠野市での取り組みについてご紹介!
ホップ生産者らと向き合い、ホップを最大限活かしたまちづくりに取り組む浅井隆平と、ホップの活動を広めるべく料飲店や量販店を通じて地域と向き合う佐藤鉄による対談企画です。
日本産ホップが、地域にどのような影響を与えたのか。その変遷を追います。次回もお楽しみに。