JFAとキリンが目指す、「誰もが、いつでも、どこでもサッカーをともに楽しめる世界」の実現
「年齢、性別、障がいの有無などに関わりなく、だれもが、いつでも、どこでも。」
この言葉は、2014年に公益財団法人日本サッカー協会(以下、JFA)が掲げた「JFAグラスルーツ宣言」の冒頭にあります。
「JFAグラスルーツ宣言」には、“誰もが・いつでも・どこでも”サッカーを身近に心から楽しめる環境を提供し、その質の向上に努めていくという志と、「サッカーが持つ力」をより多くの人々に広めていきたいという想いが込められています。
日本サッカーの発展を担ってきたJFAと、1978年から日本サッカーを応援し続けてきたキリンが共同でお届けする連載「#サッカーをつなぐもの」では、「サッカーが持つ力」について考えてきました。
今回お話をうかがったのは、CPサッカー(脳性まひ者サッカー)の日本代表選手として練習に励む傍ら、キリングループの社員として働いている三浦と海賀、そして日本の障がい者サッカーの普及・発展を支えてきたJFAの松田さん。障がい者サッカーへのそれぞれの想いや、「サッカーの持つ力」について語っていただきました。
CPサッカー(脳性まひ者サッカー)とは?
─本日は、障がい者サッカーに携わる皆さんにお集まりいただきました。キリングループ社員であり、CPサッカー選手でもある三浦さんと海賀さん、そして日本障がい者サッカー連盟の専務理事として活動されている松田さんに、それぞれの立場で想いを語り合っていただきたいと思います。
協和発酵バイオ海賀(以下、海賀):よろしくお願いします!少し緊張していますが、皆さんとお会いできるのを楽しみにしていました。
JFA松田(以下、松田):私も選手であるお二人とお話しできるのをとても楽しみにしていました。お二人は日本代表選手としても活躍されているので、いつも応援しています。
キリンビール三浦(以下、三浦):ありがとうございます!まさに今、11月にスペインで行われる国際試合に向けて練習に励んでいます。この記事を読んでくださった読者の皆さんに少しでもCPサッカーのおもしろさや魅力をお伝えできるように、今日は一生懸命お話ししたいと思います!
─障がい者サッカーといえば、「ブラインドサッカー(視覚障害サッカー)」は有名ですが、「CPサッカー(脳性まひ者サッカー)」は世間ではあまり耳馴染みのない競技かもしれません。一体どんな競技なのでしょうか?
三浦:「CPサッカー(脳性まひ者サッカー)」は、脳性まひを抱えている選手がプレーできるように考案されたサッカーで、脳性まひスポーツの中では唯一の団体競技なんです。
男子は7人制で、コートとゴールの大きさは少年サッカーと同じくらい。スローインは片手で下から行ってもOKで、オフサイドがありません。それ以外のルールは、一般のサッカーと変わらないですね。
海賀:女子は5人制で、フットサルと同じくらいのコートを使用します。それ以外は男子と変わりません。
松田:CPサッカーは障がいのタイプや程度により、プレーヤーがFT1・FT2・FT3(障がい程度別)の3つのクラスに区分されます。クラスによって出場できる人数が決められており、公平性を保とうとするルールになっています。クラス分けは大会直前に行われ、それによって想定していたクラスと違ったりすると出場できなくなる選手も出てくるので、チーム編成がとても大変と聞いています。
スポーツ漬けの毎日と、CPサッカーとの出会い
─では次に、選手のお二人にCPサッカーと出会いや、選手と会社員の両立について話を聞いていきたいと思います。まずは三浦さんとCPサッカーの出会いについて教えてください。
三浦:小学生時代は剣道を本格的にやっていましたが、実は同じくらいサッカーも好きで、中学に入ったら絶対にサッカーをやろうと思っていて。そんな思いから、中学も高校もサッカー部に入りました。高校はサッカーの強豪校だったこともあり、生まれつき脳性まひで右半身に麻痺がある私にとっては、そのレベルの高さに徐々についていけなくなっていきました。
それで、高校2年生のときにいろいろ調べてみたら、脳性まひ者でもできる「CPサッカー」があることを知りました。ここでなら自分も活躍できるんじゃないか、と希望を感じてすぐに日本CPサッカー協会やクラブチームにメールをしたんです。「私は日本代表選手を目指しています」という思いも、その場で伝えて(笑)。
─すごい行動力ですね。
三浦:はい(笑)。それをきっかけに東京のCPサッカーチームである「P.C.F.A.SALTAR」に所属しました。その後、日本代表選考会の案内が届き、結果的に日本代表に選出いただきました。サッカーを始めたころから、将来の夢はサッカーの日本代表選手になることだったんです。「夢が叶ったな」と、うれしく思ったのを覚えています。
広島の大学に進学したあとも、大学のサッカーサークルや地元の社会人チームに所属し、健常者の方々と一緒にプレーしていました。キリンビールに入社後は、CPサッカーのクラブチーム「エスペランサ」に所属し、平日は働きながら、休日はチームでの練習に励んでいます。
─サッカー漬けの日々ですね。三浦さんのサッカーへの愛を感じます。サッカーのどんなところに魅入られたのでしょう?
三浦:チームスポーツなので、仲間の特徴を理解し、対戦相手の戦術も理解したうえで、どうすれば相手を出し抜けるかという戦略を考え抜くところに魅力を感じました。そして、それがゴールや勝利につながって、みんなでよろこび合えるところがすごく楽しいですね。
─続いて、海賀さんがCPサッカーと出会ったきっかけを教えてください。
海賀:私も三浦さんと同じように、はじめは剣道をやっていたんです。6歳から大学まで、健常者の剣道チームで活動していました。でも、生まれつき両手足に麻痺があることもあり、大学3年生のころに「これ以上、剣道を続けるのは厳しいかな」と思い始めて。どれだけ長年努力を重ねても、強豪校のチームだったこともあり、どうしてもついていけなくなることがあったんです。
そんなとき、偶然にも今のCPサッカーの代表監督が私の大学でサッカーの授業を教えていて、私のプレーを見て「すぐにここにメールをしなさい」と勧めてくださって(笑)。そのメールをした先が、現在私と三浦さんが所属するチームだったんです。そのまま所属させていただくことになり、その2か月後に日本代表にも選んでいただきました。
─もともとサッカーはお好きだったんですか?
海賀:生まれつき両手足に麻痺があるので、サッカーは昔から親に「競技として取り組むのは難しいんじゃないか」と言われていました。でも弟がやっていたこともあって、遊びでやるのは大好きで。個人競技である剣道とは違い、サッカーは常に仲間がいるスポーツなので、友達と一緒にプレーできるのがすごく楽しかったんです。
サッカー選手と会社員の二足のわらじ生活
─お二人は大学卒業後キリングループに入社し、選手生活と会社員生活を両立されています。キリンに入社を決めた理由を教えてください。
三浦:サッカーとお酒の両方が好きだったんです。出身である広島の地元は、お酒が有名な街で。お祭りやイベントを通して、お酒が地域を盛り上げたり、人々をつないでいくのを見て、お酒が持つ力に魅力を感じました。加えて、自分にはサッカーがあった。お酒とサッカーといえば、もうキリン以外にはないだろうと(笑)。
また、当時から社会貢献やCSV事業※にも興味があったので、そこに力を入れている企業としても魅力に感じていて。なので、就職試験を受けたのはキリンだけでした。
サッカーに専念できるアスリート雇用で社会人になることも考えましたが、未来への選択肢を増やすために、障がい者雇用で仕事とサッカーを両立させる形を選びました。
海賀:私は就職活動のとき、同じ所属チームの三浦さんに「サッカーと仕事を両立できる環境があるよ」とキリンを推してもらったことがきっかけです。
大学が健康体育学科で、スポーツを通して健康を広げる仕事をしたい気持ちがあったのですが、キリンにはヘルスサイエンス領域の事業がありますし、自分がやってきた勉強やスポーツの経験をすべて活かせそうだなと思ったんです。お酒も好きでしたし、面接で社員の方とお話ししたときに、この会社の「人」が好きだなと感じて。それで、障がい者雇用の枠で採用試験を受けることにしたんです。
入社後は、キリングループで免疫系などのヘルスケア事業を展開する、協和発酵バイオに配属されました。入社後もサッカーを続けたかったので、転勤がなく、日曜休みの勤務形態であったことも選んだ理由の一つです。今年2024年の4月に入社したばかりなので、日々学びながら頑張っています。
─会社員とサッカー選手の両立は、大変ではないでしょうか?
三浦:もちろん大変な部分もありますが、今は頑張りどきだと考えて日々過ごしています。上長はスケジュール管理を個人に任せてくださるので両立しやすいです。代表チームの海外遠征などで3週間前後日本を離れることもあるので、スケジュールやタスクはチームに共有して、お互いの仕事がうまく回るように調整しています。
海賀:職場の皆さんは優しくて、「頑張ってね」「楽しんでね」とサッカーを応援してくれます。土日にサッカーの合宿があるときは「月曜の午前中は在宅でいいよ」と言ってくださったりと、柔軟な働き方ができる環境が整っているなと感じます。
だれもが、いつでも、どこでも、サッカーを楽しめる世界へ
─松田さんには、JFAと障がい者サッカーの関わりについて、おうかがいしたいと思います。
松田:日本の障がい者サッカーの環境が変わる一つの転機になったのが、私たちJFAが2014年に行った「JFAグラスルーツ宣言」です。そこでは年齢、性別、障がいの有無、などに関わりなく、誰もが、いつでも、どこでも、身近にサッカーを楽しめる環境の整備に取り組むことが宣言されました。
そして2015年にグラスルーツ推進部ができ、私が部長となって障がい者サッカーも担当することになりました。そのなかでまず進めたのが、障がい者サッカーの7つの競技団体との組織連携です。
松田:世界ではさまざまな障がい者サッカーカテゴリーがあるのですが、日本においては国内だけでなく、国際的な活動も行っている7つの競技団体へ働きかけました。そうして2016年に創設されたのが、JFAと7団体をつなぐ中間支援組織「日本障がい者サッカー連盟(JIFF)」です。以降、JFAはJIFFを通して、各競技団体と一緒に障がい者サッカーの普及に取り組む形となりました。
─具体的にはどんな取り組みを行っているのでしょうか。
松田:JIFFができて最初の年に7団体が集まり、さまざまな障がいのある子どもたちと健常児が一緒にプレーする「インクルーシブフットボールフェスタ」を開催しました。子どものころに、さまざまな人たちと混ざり合う体験をすることで、偏見や先入観が生まれなくなるのではないかという思いがあったんです。結果、多くの人たちが本当に楽しそうにプレーしてくださり、とても雰囲気のいい有意義なイベントになりました。
松田:あわせてブラインドサッカー(視覚障がい者サッカー)やアンプティサッカー(切断障がい者サッカー)、電動車いすサッカーなどの体験会も行っています。このフェスティバルには、在京のJリーグやなでしこリーグ、Fリーグなどのクラブからコーチを派遣していただいており、オール東京で一緒に取り組んでいます。
また、障がい者サッカーの競技を知ってもらうことと、障がい児・者が参加できる場をつくることが大事なので、各都道府県のサッカー協会に障がいサッカー担当者を置いていただき、組織づくりも推進してきました。その結果、現状では35の都道府県で障がいサッカーの組織が設置され、連携が図れる状況となっています。
ほかにも、障がい者サッカーに関する各種ハンドブックを制作したり、指導者向けの研修プログラムに障がい者サッカーコースを設置したりしてきました。
まだまだやるべきことはたくさんありますが、JFAにおいてはほとんど活動がないところから始めたので、JIFFが設立されてからだいぶ環境が変わったなと実感しています。
─そうしたなか、キリンは2023年に日本サッカー協会のオフィシャルトップパートナーとなり、代表だけでなくグラスルーツサッカーを含むJFAのサッカー活動全体の応援を担うことになりました。障がい者サッカーの普及において、キリンにはどんな役割を期待されていますか?
松田:キリンさんが一緒に取り組んでいただけることで、地道に取り組んでいた活動が一気に加速していくと実感しています。
例えば、障がいのある方を含めて年齢や性別、サッカー経験有無に関わらず、あらゆる人と一緒にサッカーを楽しめるウォーキングフットボールのイベント「キリンファミリーチャレンジカップ」は、キリンさんと一緒に取り組むことで、千葉・大阪・福岡などでビッグイベントとして開催できるようになりました。今後も日本各地で開催できるようになれば、うれしいです。
松田:それと、キリンさんをはじめとするパートナーのご尽力で、昨年から障がい者サッカー日本代表が、サッカーA代表と同じユニフォームを順次着用できるようになりました。
三浦:実際に着てみて、ユニフォームが変わるだけでこんなにモチベーションが上がるのかと思いました。選手としても、すごくうれしいです。
松田:また、情報が広がりにくい障がい者サッカーを普及させるうえで、キリンさんのような信頼のおける大企業の発信力は大変貴重です。本当にありがたい存在だと感じます。
「インクルーシブな社会」の実現を目指して
─あらためて、サッカーにはどんな力があるのかを、皆さんから聞かせてください。
海賀:ひと口に障がい者といっても、脳性まひ、切断障がい、知的障がいなどさまざまで、脳性まひ一つをとっても程度や部位はそれぞれです。でも、一緒にサッカーに取り組むことで、「この人はこういう人なんだ」「こういうのが苦手なんだ」「それならこんなふうに対応してみよう」といった、理解とつながりが深まります。
海賀:そして、それは障がい者に限った話ではないと思うんです。サッカーを通して、障がい者、健常者、年配者や子どもといったカテゴリーで判断するのではなく、「人」としての理解が深まる。だからサッカーがあることで一段成長できるし、いろいろな人のことを考えて生きられるようになる。そんなふうにサッカーは、互いを理解し、尊重し合える関係性をつくるきっかけをくれる存在だと思います。
三浦:私も昨年、ウォーキングフットボールのイベントに家族やチームメイトと一緒に参加しました。その名の通り、全員歩いてプレーするサッカーです。日本では接触禁止というルールがあるので、身体や力の大小に関わらず、誰でも安全に楽しめるんです。みんなで一つのボールを蹴り合ってゴールを目指すことで、こんなにも互いの理解が深まって距離が縮まるのかとあらためて感じました。
それと障がい者サッカーには、例えば、階段につまづきにくくなったり、走るのがうまくなったりと、身体的な能力を上げる効果もあります。サッカーでの成功体験が、学校や社会など、サッカー以外の場面での自信につながることも多々あると思います。
海賀:やっぱり障がい者は、健常者と比べるとできないこともあって、悔しい思いをすることも多いのかなと。自分にはこれができないのかと、落ち込むこともあります。でも、自分と同じような環境の人たちが集まってサッカーをすることで、よろこびや達成感が得られたり、「自分にはこれができる」と感じられたりする。だから、小さいうちから障がい者サッカーに触れることも、すごくいい経験になると思います。
松田:お二人とも、いいお話ですね。私は切断障がい、知的障がい、精神障がいの方々と一緒に歩いてサッカーをする機会があり、その人たちが本当に楽しそうにプレーしているのを見て、とても幸せな気分になりました。それまで私が関わるサッカーは、チャンピオンシップスポーツとして、ひたすら勝つことを追求されるような世界でしたので、これまで感じたことのない幸せな気持ちになりました。
松田:スポーツには、人に対する理解やつながりを生み、空間をこんなにも幸せにする力があるのかと気づかされ、それからサッカーに対するマインドセットがガラリと変わりました。
そして、障がいのある方と歩いてサッカーをやったことが、イングランドのウォーキングフットボールを日本に導入するきっかけになり、今こうしてキリンさんと一緒にウォーキングフットボールで幸せな空間を創造していることに、とても不思議な縁を感じています。
とりわけ、サッカーはボール一つで気軽にプレーできるハードルの低さがあって、障がいの有無も関係なく、走ったり歩いたり、まぜこぜでサッカーをすることによって、スポーツ本来の力を体感しやすいのではないかと思います。だからこそ、こうしたサッカーの力をもっともっと活かしていきたいと感じています。
─最後に、今後の展望をお願いします。
三浦:障がいを理由にサッカーができないとあきらめている子どもに、プレーを通して「そんなことはないよ」と伝え、そうした子を一人でも減らしていきたいです。キリン社員としては、いつかサッカーを通して、あらゆる人々が互いの違いを理解して、共生していけるような社会づくりをしていくようなプロジェクトに携わりたいです。
海賀:将来は、キリンの中で障がい者雇用をより推進して、障がいをもつ人の多くが「キリンで働きたい!」と思うような環境をつくりたいです。そして、仕事とサッカーの両方を頑張ることで、その両面からキリンを大きくさせられたらなと思います。
松田:障がい者サッカーの代表チームが強くなることで、障がいのある人たちに「自分たちもできるんだ」「自分もやってみたい」といった夢や希望、自信をもってもらえるようになればと思っています。それには各団体が取り組む代表強化だけでなく、さまざまな人たちがプレーができる場づくりがとても重要になります。そうしたところにも引き続き、取り組んでいきます。
あわせて、さまざまな人がともにサッカーを楽しみながら「インクルーシブな社会」に近づけていくという活動にも、引き続き注力します。年齢、性別、障がいの有無などに関係なく一緒にサッカーを楽しむことが子ども時代からあたりまえになる世界。それを、実現したいですね。