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元キリン従業員の明治大学山岳部監督が語る、未来を切り拓くチャレンジ精神と人生の指針

キリンを退職する以前から母校・明治大学で山岳部の監督を務める中澤暢美 なかざわのぶみさん。部員と真剣に向き合う時間を確保するために自身で会社を立ち上げ、年間で約60日の登山活動をしています。
 
2022年に創部100周年を迎えた歴史ある山岳部。その監督という大役を担うにあたり、キリンでの経験がどのように役立ち、どんな未来が育まれているのか。セカンドキャリアを歩み、後悔のない人生のためにチャレンジを続ける中澤さんの熱い想いに触れる取材になりました。


企業で働きながらも、山と会社の間で揺れる心

明治大学山岳部・中澤暢美

─最初に、中澤さんと山との出会いについて聞かせてください。

中澤:私が山に登るようになったのは、大学に入ってからです。浪人時代に読んだ山岳部の先輩でもある登山家・植村直己さんの『エベレストを越えて』という本に、明治大学の山岳部のことが書かれていたんですよ。明治大学に合格してから、そのことを思い出して山岳部に入ることにしたんです。元々体を動かすのは好きでしたし、自分の性格には、それなりに厳しい環境が合っているんじゃないかと思って。

─実際に山岳部に入ってみた印象はいかがでしたか?

中澤:最初に登った山で「あぁ、入らなきゃよかった」と後悔しました。重い荷物で背中はアザだらけになり、足は棒のようで、とにかくキツかった。いつも早く帰りたいと思っていました(笑)。

─ハードなスタートだったんですね。そのキツさは、経験を重ねるごとに楽しさに変わっていったのでしょうか?

中澤:いや、楽しいって感じではなかったですね。山はいつもハードだなと思っていました。それでも4年間続けられたのは、公私にわたってお世話になった先輩がいたからでした。私は優秀な部員ではなかったんですけど、そういう人を裏切りたくないという気持ちがあったんです。

植村直己の本
部室の本棚には、OBである植村直己さんの著書も並ぶ

─中澤さんは世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)にもチャレンジされたそうですね。

中澤:社会人3年目のときに大学の山岳部がチョモランマに挑むということで、私も声をかけてもらったんです。ただ、行くためには4か月の休みを取らなくてはいけなくて。
 
当時勤めていた会社の上司に思い切って「チョモランマに挑戦するチャンスを与えられたので、4か月の休みがほしい」と相談したら、ありがたいことに「行ってこい」と背中を押してくれて。それで行けることになったんです。

─世界最高峰への挑戦は、どのような結果になったのでしょうか?

中澤:私たちが選んだのがかなり厳しいルートだったこともあり、登頂は失敗に終わりました。30年前のことなんですけど、そのルートはいまだに誰も踏破していません。このときの失敗がすごく悔しくてね。海外の山に行きたくて仕方なくなってしまったんです。
そうしたら、その翌年に日本山岳会の青年部から、中国のアムネマチンという6000メートル級の山に行かないかという誘いを受けまして。それに「行きます」って言っちゃったんですよね。

─会社に休めるかどうかの許可を取る前に(笑)。

中澤:そうです(笑)。4か月の休みをもらったその翌年にまた長期休暇というのは、さすがにバツが悪くて。最終的には会社を辞めて、山へ行くことにしました。

─仕事よりも山を取ったわけですね。

中澤:でも、そのときにはもう子どもが3人いたんですよ。なので、次の山へ行く前に転職先だけは決めておきたいなと思って。あるとき新聞を開いていたら、キリンビールの求人募集が出ていて、書類の提出期限が翌日だったんです。どうにか就職先を見つけなきゃいけない状況だったので、慌てて履歴書と職務経歴書を書いて、翌日キリンの本社まで持っていきました。

─すごい行動力。

中澤:とにかく職を見つけるのに必死でしたから。その後、アムネマチンを下山して家族に電話したら、妻に「あなた高知支店に配属だって」と伝えられて。内示は妻からもらったんですよ(笑)。
当時は千葉県に住んでいたので、家族で高知県へ引っ越して、そこからキリン従業員としての生活が始まりました。

中澤暢美

【プロフィール】中澤 暢美 なかざわ のぶみ
明治大学体育会山岳部監督。1992年に中途入社後、キリンビール高知支店で7年間勤める。その後、本社営業推進部、首都圏販売推進部、横浜支社、キリンマーチャンダイジング北海道料飲事業部を経験し、2011年にキリンビール茨城支社・支社長に就任。2017年からはCSV戦略部・絆づくり推進室の責任者として熊本震災復興支援、地域創生トレーニングセンタープロジェクトなど、多岐にわたり活動した。

現場に足を運ぶことでしかわからない市場の事実

明治大学山岳部の部室

─キリンに入社されてからは、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?

中澤:最初に配属されたキリンビール高知支店では、ずっと営業の仕事をしていました。お酒の仕事とはどういうもので、どんなお客さまがいるのかを知るところからのスタートです。働き始めて印象的だったのが、ビールとお客さまの関係でした。
 
キリンは1995年に、それまで熱処理していた『キリンラガービール』を生ビール化したんです。これで何が起きたかというと、ずっと飲んでくださっていたお客さまから「我々のラガーの味を勝手に変えないでくれ」という声が多く届きました。常連の方からすると、いつもの味で、いつもの時間を過ごしたいということなんですよ。ビールというのは、買っていただいた時点でお客さまのものなんだと強く感じる出来事でした。

─いつも飲んでいる方からすると生活の一部になっているものだから、いきなり変えられたら困るということだったんですね。

中澤:お客さまからそのような声をいただいたり、その他の要因が重なったりして、トップシェアを誇っていたキリンは他社に抜かれました。こうしたご意見も含め、我々はお客さまのことを知らなかったんだなと痛感しましたね。キリンの商品がどういうお店で飲まれていて、どんな人たちに好まれているのか、そういうことが全然わかっていなかったんです。

そして、あるときに競合している他社の営業の方と飲む機会があって、「あそこのお店いいですよね。こっちもすごく流行っていました」という話をされたんですよ。だけど、私はそのお店のことをまったく知らなくて。私だけではなく、キリンの同僚もほとんどが知らない状態でした。
 
そのときに、これは負けて当然だなと思ったんです。どこで自分たちの商品が売れていて、どこで競合の商品が売れているのか、そういう市場の事実を他社のほうがはるかに知っていたので。

─その差は、どういうところで生まれていたのでしょう?

中澤:なぜ他社のほうが市場の事実を知っていたかといえば、自分たちの足でお店を回っていたからなんですよ。そして着実に信頼関係を作り、結果ブランド価値を上げていた。そういうことを我々もしないといけないと思い、主体的にお店を訪問することを始めました。

─今のキリンでいうと、営業先へ定期訪問しているイメージがありますが、昔は違ったんですか?

中澤:やっている人はいましたけど、当時はまだお店を訪問することの重要性は説かれていませんでした。優先順位はあまり高くなかったんですよね。
高知支店ではそれを見直し「月間2000店を回る」という目標を立てて、みんなで動きました。そうやってお店との関係性を築いて、お客さまにもおいしいビールで満足してもらえる環境を作っていったんです。そうしたらだんだんと売り上げも回復して、結果、能動的に活動できるチームに変わっていったのです。

キリンビール高知の営業資料
キリンビール高知支店時代の営業資料

─そういった高知支店の戦略は、他の支社や本社でも採用されたのですか?

中澤:高知はマーケット的に小さかったですが、このやり方を採用した支社が少しずつ成果を出すようになって、お店を訪問する重要性は徐々に広まっていきました。
ただね、訪問ってあくまでも手段であって、本来の目的は現場を知ることなんですよ事実は現場にあるというのは、店舗訪問を通して学ばせてもらいましたね。

学生たちの命を守れるか、責任を果たせるか

明治大学山岳部・中澤暢美

─高知支店で7年間勤めたあとも、さまざまな地域や部署を経験されていますね。

中澤:そうですね。本社、神奈川、北海道、茨城と、いくつかの支社・部署での仕事をさせてもらいました。それぞれの場所や立場で初めての経験も多く、常に学び続けることの大切さを実感しましたね。最後は、CSV戦略部の絆づくり推進室でトレセン(地域創生トレーニングセンタープロジェクト)などの地域課題に取り組むように。そうやって各地を飛び回っている頃に、明治大学山岳部から「監督をやってくれないか?」という打診が来たんです。

─どういう経緯で中澤さんのところにお話がきたんですか?

中澤:前監督は私の先輩で、社会人になってからも一緒に山に登ったり付き合いがあったんです。その方は13年間、監督を務めていて、次は私に頼みたいと連絡をもらいました。だけど、最初は断ったんですよね。
そもそも私は落ちこぼれに近い部員だったし、自分のような人間に学生たちを預かる監督は務まらないと思いました。
だけど、前監督やOB会からの説得もあり、「お世話になった明治大学山岳部に恩返しすることも大事なんじゃないか」と考えるように。それで監督を引き受けることにしたんです。

─最初はキリンで働きながら、兼業で山岳部の監督もしていたんですよね。

中澤:そうですね。明治大学の他の部活の監督も、基本的には企業などで働きながら兼業で務めている方が多いです。

─では、ずっとキリンで働きながら監督をやる道もあったんですね。

中澤:ありました。ですが、兼業で1年間やってみて、学生と一緒に山へ行ったり、部活のミーティングに関わる頻度を上げないと、責任を持った指導ができないと感じたんですよね。
 
責任を持った指導とはどういうことかというと、最終的な責任を取る覚悟があるかどうかなんです。それを私なりに自問自答しました。円滑に学生を育てられるか、運営をしっかりサポートできるか、山で命を守れるか、そして万が一のことが起きたときに責任を取れるかということを。それらを熟考した結果、当時のCSV戦略部の仕事は出張も多かったので、両立は到底無理だろうと判断して、キリンを退職することにしました。

明治大学山岳部の部室
過去に在籍した学生たちの名札がずらりと並ぶ

─責任と覚悟をもってキリンを退職されたんですね。

中澤:キリンって、いい会社でね。退職準備の休暇を半年くれるんですよ。その間に次の仕事のことを考えていたんですけど、就職しちゃうと結局学生の面倒は見れないし、長い休みを取って山に入るのも難しい。しかも、登山には山までの移動にかかる交通費などさまざまなお金がかかる。そう考えたら自営業しかないよなということで、会社を立ち上げました。

─どんなことをする会社なんですか?

中澤:何でも屋ですよ。最初に請け負ったのは農業マーケティングの会社の仕事で、そこはトレセンの関係者がつなげてくれたんですよ。あとはキリンの頃から付き合いのあった茨城の木内酒造さんで販路拡大を手伝ったり、現在は横浜支社時代に知り合った外食関連企業で事業計画を立てたり、いろいろとやらせてもらっています。

─キリンにいた頃の関係や知識が、今の仕事に役立っているんですね。

中澤:キリンでの経験が活きているなと思う場面はたくさんありますね。どんな仕事をしていても、やっぱり現場が大事だなと思いますし。飲食店の仕事でいえば、事業計画を作りながら、場合によってはお店のホールに立って「いらっしゃいませ」と接客することもあります。
 
それってすごく大事なことなんですよ。現場の仕事を自分自身も一緒にやらないと、どこに課題があるのかわからないので。実際に現場に立って、メンバーと一緒に仕事をしてみて、ほとんど教えてもらう立場なんですが、「オペレーションはこうしたほうがいいかも」とか「バックヤードのここは使い勝手が悪いね」とか見えてくるんですよね。そういうのって事務所に座って仕事しているだけじゃわからないし、いきなり外部から来て一方的に意見を言うだけでは、誰も話を聞いてくれないじゃないですか。事実は現場にあるという考え方はキリン時代から変わらないですね。

後悔のない人生のためにチャレンジを続ける

明治大学山岳部の部員

─山岳部の監督に就任されて7年目。活動のなかで部員の方たちには、どんなことを伝えていますか?

中澤:時代は変わっても、明治大学山岳部が常に大切にしてきたのが「創造的登山の実践と発展的継続」という理念です。山を総合的に楽しむことを前提とし、そのために体力、技術力、山での生活力、判断力、メンバーシップ、リーダーシップといった基本的能力を養成する。そうすることでようやくクリエイティブな山登りが主体的にできるようになるから、能動的に取り組もうと言い続けていますね。
 
監督の仕事としては、学生の安全をサポートすることが重要な任務です。普段の生活からコンプライアンスやガバナンスを守ることや、山の中でのマナーを守る意識を持つことで、結果的に安全な行動や仲間同士の信頼関係に結びつきます。

─キリンを辞めて山岳部の監督をやる道を選んだことを、今はどのように捉えていますか?

中澤:まさかこうなるとは思わなかったですよ(笑)。そもそもキリンに入るとも思っていなかったし、自分のキャリア的に監督を任されることになるとは想像もしていませんでした。10年前の私は、絶対に今の自分の姿を思い描けなかったでしょうね。それくらいわからないものなんですよ、先のことって。

だからこそ、若い世代の人たちには、何事も無難なほうを選ぶのではなく、積極的にチャレンジしてもらいたい。我々の時代は、頑張る人が認められる社会でした。今は「頑張ってもどうせ」という空気感があったり、プロセスを時間の無駄と捉えて、すぐ答えに辿り着きたいと考えたりする傾向がありますよね。だけど、チャレンジしてみないと、自分の可能性ってわからないじゃないですか。自分の将来やポテンシャルを切り拓くアクションと捉えて、少し前向きにやってもいいんじゃないのかなと思いますね。

明治大学山岳部の監督とキャプテン
明治大学山岳部の現キャプテン・川嶋すず菜さん

中澤:未経験のことにチャレンジするのは恐いですよ。それは当たり前。でも、何もせずに、何も残らないことのほうが後悔につながると思うんです。そうならないためにも、常に主体的に考える癖をつけなさいと、学生には伝えています。誰かに言われたからではなく、自分の意思で決めてやってみる。そういう気持ちで取り組めば、たとえ失敗しても悔いのない人生が送れるんじゃないかなと。私は、そう思うんです。

昨年は、OBと一緒に今のキャプテンをヒマラヤに連れていきました。高いレベルが求められる登山だったんですけど、本人が行きたいと言い、個人にとってもチームにとっても成長の機会になると思ったので。結果としては、途中で彼女は高山病になって下山しました。でもね、私からするとそういう状況も想定していたんですよ。

─途中で下山になる可能性もあるだろうと。

中澤:そう。だけど、自分の力だけではどうすることもできなくて、背負われて下山したからこそわかることってあるじゃないですか。今の自分の実力とか、周りに感謝しなきゃいけないこととか。そういうことを身をもって経験すると、他の人が同じ状況になったときに伝えられることがありますよね。それって大きな成長だと思うんです。

明治大学山岳部の部員

─チャレンジがなければ得られなかった体験ですもんね。中澤さん自身も失敗から得たものは多かったですか?

中澤:もちろんですよ。山でもキリンでも失敗は数えきれないくらいあったし、周りの支援があったからこそ今の自分があると感じています。
そういった経験を積み重ねて、現在私自身が大事と考える指針(決め事)があります。「他責にしないこと」、「何歳になっても学ぶ姿勢を忘れないこと」、「常に感謝の気持ちを持って過ごすこと」、そして「人の悪口や不満を言わないこと」です。これを守れればおのずと心に余裕が生まれ、自分の可能性を信じてチャレンジングな行動ができる。それって部活だけでなく、会社でも一緒だと思うんですよね。

─長く企業で勤めていた経験があるからこそ、中澤さんの言葉は説得力を持って学生さんにも届きそうですね。

中澤:社会に出るときに明治大学山岳部の出身者として、自身を誇れる人間として巣立たせてあげたいんです。だからこそ、企業での経験も含め、チャレンジすることの大切さは伝えていきたいと考えています。

明治大学山岳部の看板

─改めて振り返ってみて、キリンはどんな会社でしたか?

中澤:いろんな意味で懐の深い会社でしたね。やりたいことは大体やらせてもらったし、意欲と意識があればある程度はやりたいことをやらせてもらえる会社なので、若い人たちはそういうところを上手く使ってほしいなと思います。人生は1回きりなので、いろんな困難やしがらみがあったとしても、自分の可能性を試すチャレンジをしてみたらいいと思うんですよね。できないことを他責にしないで。何事も「It’s up to you(あなた次第)」なんだから。

─今のお話と重なる部分もあるかもしれませんが、今後のキリンに期待することはありますか?

中澤:キリンのシンボルって、聖獣マークじゃないですか。あれが元気に見えないとダメだと思うんですよ。市場のなかで躍動して、元気に羽ばたくように。だって、聖獣は幸せを運ぶ象徴でしょう。
キリンって、他社には絶対真似できないアイコン(聖獣)を持っている会社なんですよ。だから、もっと果敢にチャレンジして、働いているキリン従業員の皆さんも聖獣のように元気に躍動してくれることを期待しています。そうすることで、キリン商品を購入している我々も元気で豊かな時間を過ごせるのだと思います。

編集部のあとがき

明治大学山岳部・中澤暢美

キリン在籍時から変わらず、まっすぐ力強いまなざしでチャレンジし続ける中澤さん。「さぁ、あなたはどうなんだい?」と問われると同時に、「私は今、高い山に挑戦できているだろうか」と刺激されたインタビューでした。
また、取材の後に「もし山に登りたいという方がいれば、経験問わず歓迎します。いつでも連絡ください!」とうれしいお言葉もいただいております。ご興味のある方はぜひチャレンジしてみませんか?(担当:矢野)

文:阿部光平
写真:土田凌
編集:RIDE inc.

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