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技術をひらいて、クラフトビール文化をより発展させる。アメリカと日本の醸造家が思い描く未来

アメリカのクラフトビール業界を代表する醸造所として知られる「ブルックリン・ブルワリー(Brooklyn Brewery)」。キリンは、2016年より戦略パートナーの関係を結んでいます。

この度、「ブルックリン・ブルワリー」の創立35周年を記念して、醸造に携わってきたブリューマスターのギャレット・オリバー氏が来日。そこで、キリンビールで「SPRING VALLEY BREWERY」を手掛け、ビールの中味造りに長年携わってきたマスターブリュワーの田山智広が、“日本生まれのクラフトビール”を持ち込み、テイスティングしながら語り合う時間が設けられました。

また、テイスティングから時間を分けて、二人に尋ねてみました。それは、“日本らしい”ビールのあり方を探りながら、未来で飲まれゆく、この国のビールの姿を想像する時間となりました。

「ブルックリン・ブルワリー」創業者のスティーブ・ヒンディ氏が、その創業について書いた本の中で、ギャレット・オリバー氏は次のように紹介されています。

ギャレットは、醸造職人だが、美しいビールを創り出すことに情熱を燃やしている素晴らしい「アーティスト」でもある。(中略)醸造職人になる前は、映画をプロデュースしたりと、さまざまな職業を経験した。その傍らで、ホームブルーイングを続け、名門法律事務所での高給職を捨てて(給料を75%カットして)、ビール職人の見習いになった男だ。

スティーブ・ヒンディ著/和田侑子訳『ビールでブルックリンを変えた男 ブルックリン・ブルワリー起業物語』

自身もビールに関する著書を記し、世界中のビールを自らの足と舌でたしかめながら、「ブルックリン・ブルワリー」の醸造に熱意を燃やし続けるオリバー。彼の目に日本のクラフトビール業界はどのように映るのでしょうか。


アマチュアからクラフトビールを育てて、一大産地に

ギャレットオリバー

─まずは、オリバーさんがビールを造り始めたきっかけから教えてください。

オリバー:実は最初、ホームブルーイングには全く興味がなかったんです。1983年にイギリスへ移り住んだときに、木樽で発酵させて造る伝統的な「リアルエール」というビールを飲んで、その魅力にとり憑かれました。当時のアメリカでビールといえば、淡くて黄色い、当たり障りのないものばかり。「リアルエール」との出会い、それが私にとっての天啓でした。

そのあとはヨーロッパ中を旅して、ドイツ、ベルギー、イギリスで素晴らしいビールに出会いました。でも、アメリカへ戻ると、結局はいつものビールしか選択肢がなくて。仕方なく、自分の飲みたいビールを造るためにホームブルーイングを始めました。そうやって自宅で醸造するうちに、プロセスにも興味を持ち始めたんです。

ブルックリンブルワリーの店内

─わずか30年足らずで、アメリカはクラフトビールの一大産地に数えられるようになりました。なぜ、それほどの変化が起きたと考えますか?

オリバー:アメリカの醸造が強くなった理由の一つは、アマチュアからスタートして、自らクラフトビールを育てたという事実だと思います。

野球選手や音楽家と同じように、好きだから打ち込んでいくうちに、やがて恋に落ちる。趣味がプロの道へとつながったんです。趣味を仕事にするチャンスがあるのは、とても素晴らしいことです。

クラフトビール市場という「海」を作るところから始まった

マスターブリュワーの田山智広

─この30年間を振り返って、アメリカのクラフトビール市場と消費者の変化について教えてください。

オリバー:うんうん、興味深い話題ですね。今ではクラフトビールが一般的に認識されているけど、最初はそんな市場自体が存在しなかったんですよ。私たちを魚に例えれば、当初海すらなかった。

まずは土を掘り、水をいっぱい溜め、初めて海ができて飛び込めるようになりました。海ができると魚が集まるように、市場が確立するとたくさんのブランドが生まれて、多くのクラフトビールで賑わってきて。今、私たちは思い描いていた世界にいられるんです。

ギャレットオリバーの著書
オリバーの著書『The Brewmaster's Table: Discovering the Pleasures of Real Beer with Real Food』(2003年)と、『The Oxford Companion to Beer』(2011年)

─オリバーさんが本を書いた動機は、どういった熱意に支えられていたのでしょう?

オリバー:まず、ビジネスを継続させるという使命感は強かったですね。それから、周りの人々が私と同じ“ビールの言葉”を話せなければ、コミュニケーションが成立しないのも問題でした。周囲の誰も話せない言葉を、いつも説明しなければならなかったんです。

たとえば、いろいろなビアスタイルについて話すとき、「シュヴァルツビール」や「IPA」について言及するかもしれません。でも、誰もわからないと一つひとつ説明していたら、疲れてしょうがないですよね(笑)。みんなが同じように“ビールの言葉”を話せるようになれば、もっとおもしろくて複雑なビールの話をできるようになります。

そのためには、私たちが洗練されるだけでは不十分。消費者も洗練されていかなければなりませんし、実際に変わりつつあります。私たちがより洗練されていくにつれて、消費者も同様に洗練されていくと思うんです。 私の仕事の一つは、みんながビールに関するコミュニケーションを取れるようになること。製品を理解できなければ、消費者は購入してくれませんから。

必要なのは、造り手も消費者も洗練されること

ギャレットオリバー2

─造り手も消費者も、より洗練されるためにはどのようなアクションが必要ですか?

オリバー:洗練とはオープンマインドを持つこと。それが私にとっての洗練の定義です。「洗練されている」とは、ただ知識が豊富であるだけでなく、オープンマインドで柔軟な姿勢を持つことを意味します。たくさんの情報を知っていても、さらに新しいアイデアや考え方を受け入れる広い心がなければ、洗練された人とは言えません。

アメリカの消費者は、新しいものにオープンで、学ぼうとする気持ちを持っていました。たとえば、「燻製ビール」について説明するとしましょう。ビールを燻製した理由や歴史、現代における燻製ビールの意義、どのような食事とペアリングするのかを説明して、消費者に納得してもらえれば、すぐに受け入れて飲んでくれるんですよ。

消費者が本当に知りたいのは、「このビールが自分に何をもたらすのか、そして、なぜおもしろいと思うのか」です。私たちがやるべきことは、今まで味わったことのない新しいものを提案し、好きになってもらうことですよね。出会いがきっかけで、人生が変わる可能性もあるんですから。クラシック音楽しか聴かなかった人が、ジャズに目覚めるみたいにね。

ギャレットオリバー3

オリバー:私たちが目指しているのは、ちょっとの注意を払うだけで、人生がよりよくなることを人々に知ってもらうことなんです。ビールに対しても、毎日少しだけでもいいから、こちらに興味を持ってもらえるように。

コーヒー、ワイン、カクテルバーに携わる人たちを見てみてください。彼らの方がよほど説明に長けていて、うまくやっています。ビール愛好者がよくわからない言葉を多く使う一方で、ワイナリーは造り手の家族や土地の特徴、さんさんと降り注ぐ太陽の話をしている。私たちも同じように、そうしたストーリーを伝えるべきです。

以前、あるイベントでアメリカの大手ワイナリーである「ロバート・モンダヴィ」のシェフチーム責任者の女性に会いました。「ロバート・モンダヴィ」は、アメリカ全土でワインディナーを30〜40回、“毎晩”ホストとして運営しているんです。そのディナーでシェフたちは、「ロバート・モンダヴィ」のワインと最もよく合うレシピや調味料をひたすら調べ尽くし、提供しています。

彼らは、人々が実際に関心を寄せるものは何か、すなわち夕食のこだわりやバーで過ごす時間の楽しみについて深く理解しています。そして、時間と労力を惜しまず、よりよい人生を提供しているんです。

では、ビールに携わる人間はどうでしょうか?私たち含めて、まだそんなことはできていません。店頭に行ってビールが36種類もあると、何が何だかわからなくて、消費者は買ってくれないままです。購入する側が「それが何か」さえわからないのに、どうやって売るのでしょうか。

より多くの情報が、日本にはもたらされるべきだ

ブルックリンブルワリー

─田山さんにお聞きします。アメリカを手本の一つに、日本のクラフトビール市場も立ち上がってきたかと思いますが、今後はどのように進化していくと考えますか?

田山:はじめに、アメリカと日本の大きな違いは、日本ではホームブルーイングが法的に認められていないことです。オリバーさんが言うように、アメリカでの成功の鍵はホームブルーイングにありました。週末には自宅でビールを醸造し、ときには失敗もしながら、「もっとおいしいビールを造りたい」といろんな人が集まって楽しんでいたんです。

これがアメリカのクラフトビール市場の歴史ですが、同じことが日本では難しかった。ただ、1994年に行われた酒税法改正によって、日本でも多くのブルワリーが誕生しました。1990年代後半には最大で300軒ものブルワリーができましたが、多くが定着しませんでした。

当時は造り手の技術も足りず、ドイツなどから醸造家を招いて学ぶことがありました。しかし、彼らが国へ帰ると品質が落ちてしまい、見よう見まねで造るビールでは、やはりクオリティが伴わなかった。結果として、「地ビール(そしてその展開としてのクラフトビール)はおいしくない」という先入観ができてしまい、日本では成長が遅れてしまったのでしょう。

しかし、2010年代に向けて、生き残ったブルワリーは技術が向上し、さらにアメリカなどから高品質なビールも輸入され始めました。それらのビールとともに、付随する情報も一緒に入ってきて、ブルワリー同士が情報交換をしながら、お互いに切磋琢磨しています。

まだ小規模ながらも、日本のクラフトビール市場はユニークで高品質なビールが増えているので、今後は市場が大きくなっていくと思います。アメリカに比べて遅れていますが、日本でもここから一転して、ますますクラフトビールが広まることを期待しています。

ギャレットオリバー

─その勢いを増すために、さらに求められることは何でしょうか。

オリバー:日本の中で、醸造技術についての情報が活発に飛びかうことですかね。たとえば、あるアメリカ人が「日本酒を造りたい」と思っても、アメリカ国内では日本酒造りに関する翻訳本が乏しい。でも、日本には既に多くの本があったり、技術を持った人々がいるから、アメリカよりも近道できるはずです。

同じように、クラフトビールに関する情報が世に出回るからこそ、消費者もクラフトビールに興味・関心が湧きます。それこそが、造り手と消費者がともに洗練されることにつながると思うんですよね。

ライターのマイケル・ジャクソンが書いた『The New World Gudie to Beer』(『世界のビール案内』、晶文社出版、1998年刊行)が日本語訳されたことで、当時の日本人は世界中にさまざまなスタイルのビールがあることを知れたはずです。現在はインターネットやSNSで情報は得られるかもしれないけれど、それでもなお、日本の消費者には情報が行き届いてない、あるいは不足しているということではないでしょうか。これは一つの機会損失だと言えます。

キリンマスターブリュワーの田山智広

田山:オリバーさんが「洗練とオープンマインド」について話してくれましたが、日本人にもオープンな気持ちはあるはずです。興味を持ったものを深掘りするオタク気質もある。でも、ビールに対しては、その興味がまだまだ向かないことがあります。

ビールは「乾杯のため」や「疲れを癒やすため」といった飲み方を含めた固定概念も強く、それを壊すのが難しいですね。ビールを「興味深い対象」として見る機会が足りないのかもしれませんし、情報が行き届いていないのも理由の一つでしょう。

ビールはもっと自由な存在。なので、その固定概念をどう変えていけるのか、日々苦労しています。クラフトビールへの興味を喚起し、市場を広げることが、私たちの最大の使命です。それこそ、キリンビールが主導して進めていこうと、私も臨んでいます。

日本でなければ醸せないビールを、目指し始めている

日本各地のクラフトビール

この日、田山は日本各地のクラフトビールを持ち込み、オリバー氏とともにテイスティングを楽しみました。

田山が「日本らしいクラフトビール」として提示したのは、日本の農産物を副原料に使ったもの。まずは、ゆずの果皮と山椒を用いた「SPRING VALLEY」の『DAYDREAM』から始め、大和橘の果皮を用いた「奈良醸造」の『PHILHARMONY』や、柚香(柑橘類)を用いた「RISE & WIN Brewing Co.」の『KAMIKATZ MORNING SUMMER』などを試飲しました。

他にも、米麹と清酒酵母を使った「島根ビール」の『松江ビアへるん 吟醸ヴァイツェン』や、麦芽を使用せずに米麹と清酒酵母で醸したという「ORYZAE BREWING」の『JAPANESE WHITE No.9』といった、日本の醸造技術をベースにし、親しみのある原材料を用いたものも。

ビールの栓を抜くたび、新たなビールをたしかめるたびに、二人の間で香りや味わいについての感想とともに、醸造法などの質問が次々に飛び交っていました。

クラフトビールを飲むギャレットオリバー

田山は、「私たちは、既存のビアスタイルのコピービールを造るところからスタートしてきた。そこでスキルを磨いていった次のステップとして、日本でなければ醸せないビールをいろんな人が目指し始めていることに、とてもワクワクしているんです。日本のビールがこの先、花開いていくといいなと思っています」と伝えると、オリバー氏は頷いて、「You have to learn to walk before you run.(走る前に歩くことを学ばなければならない)」ということわざを返し、こう続けました。

「音楽の世界でも、ギターをかき鳴らそうとするなら、きちんと基礎を学び、テクニックを身につけ、往年の名曲を知ったうえで、自分ならではのスタイルを確立する必要があります。そこからが創造性豊かな表現に挑戦する一歩だと思いますから」

リアリティのあるビール造りが、次へ進むためのステップになる

ギャレットオリバー5

─今日はありがとうございました。最後に日本のビール醸造家たちへ、ぜひメッセージをいただけますか。

オリバー:今日は日本生まれのビールをたくさん試飲しましたが、日本のメーカーはすでに素晴らしいビールを造っているし、いいところまできていると思いますよ。アメリカも5年や10年で激変したわけではありません。「ブルックリン・ブルワリー」だって、今年35周年ですから。それでも、まだまだなんです。

ただ一つ言えるのは、自分の足で現地に行き、実際に見て、味わってから造り始めることが大切です。私は「アメリカンIPAを飲んだことのない人が造ったアメリカンIPA」を嫌というほど飲まされてきました(笑)。最初のステップで、名作ビールと同じものを造ろうと考えたときに、日本まで運ばれてきたビール瓶の栓を抜いて味わったとして、「本物」と呼べるものを造れるでしょうか。やはり、もともと生まれた場所まで赴き、新鮮なものをたしかめてこその「本物」だと思うんです。

田山:それでこそのリアリティ、ですね。

ギャレットオリバー6

オリバー:私は、ことあるごとに「ドイツやベルギーを訪ねなさい」と勧めています。それから、アメリカにもね。アメリカではクラフトビールのカンファレンスが毎年開催され、醸造技術に関する情報が豊富に公開されていて、みっちり学ぶことができます。

日本でも、それこそキリンの醸造家がカンファレンスを開いて、いろいろな技術を伝授することも可能な気がするんですよね。「このビール会社は秘伝を全部みんなに教えちゃうのか!」みたいに。

何かしらのクラフトビールを飲んで「まずい」と言うのは、誰でも簡単にできることです。でも、その一杯がおいしくなければ、私たちが造るクラフトビールまでおいしくないと思われかねない。それは、とてもよくないことだと早く気づかないと。競合他社のビール品質も高いものにしてもらわないと、自分たちも困るんです。競合他社のビールが優れていれば、さらに上を目指さないといけないから、自分にも発破がかかる。

そうだなぁ、1年に1回、田山さんと二日間のカンファレンスを開催して、日本の若手醸造家や海外からのスピーカーも交えて、日本でアクセスができてないノウハウや、新しいテクニックを紹介していく……なんてこともいいかもしれない。

田山:やりましょう!日本でもクラフトブルワリーが集まるイベントはあり、そこでお互いのビールを飲んで意見を交換することで技術やスキルが向上してきました。ただ、ちゃんとした教育の機会が足りないのは事実です。

オリバー:技術的な部分は、技術者がもっとオープンにプレゼンするべきでしょうね。ある有名なビール醸造家で、世界でも屈指のドライホッピングの技術を持つ人がいるんです。彼のプレゼンを直接受けると、桁違いの学びがある。その話を聞いた翌日から技術改良が始まるくらいのインパクトがあるんですよ。
私に「ドライホッピングはどうやっているの?」と尋ねてくる他の醸造会社があれば、知りうる限りの情報をすべて提供しますよ。
 
田山:もっとギブしないといけませんね。
 
オリバー:ギブすることで、返ってくるものもいっぱいありますからね

ギャレットオリバーと田山智広

【プロフィール】ギャレット・オリバー
ブルックリン・ブルワリーのブリューマスター。長年アマチュア醸造家として活躍した後、1989年にプロとして醸造を始め、1994年からブルックリン・ブルワリーの醸造長を務めている。
2014年ジェームス・ビアード賞の優秀ワイン、ビール、スピリッツ・プロフェッショナルの受賞者であり、『オックスフォード・コンパニオン・トゥ・ビール』の編集者であり、『The Brewmaster's Table』(いずれもベストセラー)の著者であり、ビールに関する世界的権威のひとりである。

【プロフィール】田山 智広
1987年キリンビールに入社。工場、R&D、ドイツ留学等を経て、2001年よりマーケティング部商品開発研究所にてビール類の中味開発に携わる。2013年から商品開発研究所所長、2016年4月からキリンビールのビール類・RTDなどの中味の総責任者“マスターブリュワー”に就任。『一番搾り』や『本麒麟』も監修。『SPRING VALLEY BREWERY』は企画立案より携わり、現在もマスターブリュワーとしてビールの企画開発を監修する。

文:長谷川賢人
写真:土田凌
編集:RIDE inc.