食の楽しみを広げていきたい。新規事業「エレキソルト」が提案する新たな食体験
食品の塩味を増強させる独自の電流波形を活用した、味わいを変える製品「エレキソルト」が、キリンからデビューします。
健康上の理由から減塩食を選ぶ人にとって、少しでも食の楽しみを広げる手段に。今注目を集めるそのデバイスの誕生背景は、使命感に燃えて味覚を科学した一人の研究員の熱意が形になったものでした。
「キリンはこれまでお酒を含めて、楽しい食卓を支えようと頑張ってきました。エレキソルトも形は違えど、食卓を楽しくするという点では変わらないと思っています」
そう話すのは、エレキソルトの開発者でもあるヘルスサイエンス事業部の佐藤愛。佐藤は、キリングループ全体から広くビジネスアイデアを公募し、事業化に向けた社員のチャレンジを支援する「キリンビジネスチャレンジ」を経て、エレキソルトを事業化させました。
研究を始めたきっかけから、発売を前に今思うことまで、佐藤に「エレキソルトのある未来」の話を聞きました。
舌で「味の成分」をより感じやすくして、料理の印象を変える
─エレキソルトを使うと、なぜ塩味を感じやすくなるのでしょうか?
佐藤:エレキソルトは、微弱な電気を使って食品中の「味の成分の動き」をコントロールする技術が搭載されたデバイスです。食事に含まれる塩分やうま味といった味の成分は「イオン」と呼ばれる電気的な性質を持っています。
独自の電流波形を持つ電気を流すことにより、イオンの動きを制御して人間が味を感じる舌へ引き寄せていく仕組みとなっています。そのため、食品のベースの味わいを増強する役割があります。
─今日は「無塩カレー」を用意したので、まずは普通のスプーンで試してみてもいいでしょうか。これだけで食べると…塩味が足りないせいか、味わいに物足りなさがありますね。
佐藤:では、エレキソルトのスプーンを使ってみてください。エレキソルトのスプーンは、食品に触れる「スプーン先端」と、手が触れる「柄」の部分に電極があります。電源をオンにすると、電極から電気が食品を介して舌を通り、腕を通じて持ち手に還る流れを生んでいます。
─あっ?! たしかに「コクが増した」というか、味に厚みが出て、余韻を長く感じます。さらに、あえてカレーに食塩を振って塩味を強調してみると…うんうん、舌にすぐ塩味が乗ってくるような印象で、体感ではぜんぜん違います。
佐藤:エレキソルトの効果を感じやすいタイプの方みたいですね(笑)。完全に無塩のものではなく、減塩カレーのようにベースの味わいが含まれている食品だと、味の増強を感じられるかと思います。
─なるほど、特に後味が違いますね!やっぱりおいしさが増しました。個人的な体感では、塩味が倍になったと言ってもよいくらい、味の深みをしっかり感じられるようになりました。おもしろい!
佐藤:増強の対象が、塩味・酸味・うま味なので、最初は無塩カレーにエレキソルトスプーンを使用したことで酸味・うま味のみが増強されていたんですね。そこに塩を足したことで、塩味の増強もプラスされて、よりおいしさを感じられたんだと思います。
自身も3か月間の減塩生活を体験して、その難しさを痛感
─事業がスタートした経緯を教えていただけますか?
佐藤:「エレキソルト」デバイスは、キリンと明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科の宮下芳明研究室との共同研究で開発されました。
私は2018年頃から、お客さまの健康課題を解決できるような新しい技術を探索してきました。そのなかで、健康上の理由から減塩食に取り組んでいる方たちに出会い、薄味の食事を続けることは、その方法はさまざまあっても続けること自体が難しいことを知って、根本的な解決策を見つけたいと思ったんです。
当時「食」領域の研究所に属していた私は、バーチャルリアリティの学会で宮下教授の微弱電流を活用する技術に出会いました。そして、この技術と健康課題を組み合わせることで、お客さまの苦しみを解消できるのではないかと考え、共同研究を提案させていただきました。
佐藤:そして2019年から共同研究を開始しました。キリンの研究員が持つ「業務時間の10%を業務外の探索や研究に使える」というルールを活用し、まずは手作りの機械で実験をスタートさせました。共同研究だけに契約やお金も必要でしたが、研究所長に仲間になってもらったり、上層部にもプレゼンしてご理解をいただいたりしながら、プロジェクトを進めていきました。
─それだけプロジェクトに情熱を注げたのは、何か理由があったのでしょうか。
佐藤:二つの原動力があります。一つ目は、減塩が必要なお客さまからお話を直接うかがって、その辛さを実感したことです。私自身も3か月間、食塩相当量を1日6グラム未満に控える減塩生活を体験してみたのですが、次第に食の楽しさが失われていくようで、毎食続けることの難しさを痛感しました。
二つ目は、私はもともと「食」の研究をする一方で、バーチャルリアリティなど別分野の技術にも興味を持っていました。「技術の掛け合わせ」で新しい何かが生まれ、社会実装できる期待感があったんです。私にとっては技術者としての大きなおもしろみでもあり、エレキソルトを事業化する熱意が高まった理由でしたね。
いつもの食器のように使えて、日常に溶け込みやすくするために
─現状では、どのようなお客さまを想定していますか。
佐藤:まずは実際に減塩が必要な方に食事をより楽しんでもらうことが大切だと思っています。そのうえで、未病・予防くらいの段階の方々に対しても食の楽しさやおもしろさを伝えていきたいと思っています。
─医療機器のような形ではなく、スプーン型なのもユニークだと感じました。
佐藤:お食事の自然な動作のなかで、電気の流れを起こすためですね。エレキソルトの技術自体は、電流が食品を介して舌に流れればよいので、口や歯に装着するタイプの機器でも作用します。
ですが、ふだんの食事中に「特殊な機械だ」と感じずに使えた方が、日常のなかに溶け込みやすく、浸透しやすいと考えたんです。お客さまからも「身体のデリケートな問題でもあり、“何か特殊な機器を使っている人”と見られるのは避けたい」というお声もありました。
そこで、いつもの食器やカトラリーを置き換えるように使うという発想で、食卓で違和感のないように見た目も使い勝手も極力近づける道を選びました。
キリンビジネスチャレンジで学んだ「ビジネスの描き方」
─エレキソルトは「キリンビジネスチャレンジ」を経て事業化されましたね。参加を決めたのは、なぜですか。
佐藤:以前いた研究所でもエレキソルトの事業提案を何度かしましたが、その時点では「現業と合わないのでは?」といった意見がありました。「なぜキリンがこれを事業にするのか」という点を私自身が十分に説明できなかったんですね。研究者として技術面での提案が中心になってしまっていて、振り返ると「社会的意義」をうまく説明できていなかったと思います。
事業化前に学会で発表した際に、あるテレビ局の方が「社会的意義があって取り上げたいが、メディアへの露出の仕方を誤るとよくない伝わり方をしかねない」とアドバイスをくださったんです。
そこで、関係者で話し合って社会的意義を中心に据えた番組構成にしたところ、お客さまからも「生活が変わる」という期待の声をいただいて、その意義をしっかりと社内外へ伝える必要性を実感しました。
佐藤:そんな経緯もあって、今後どう進めるべきかを考えたときに、キリンビジネスチャレンジがあることを知りました。
一次審査から二次審査を経て、それぞれで求められる資料が異なってきます。最初はお客さまと課題についての説明、次に事業性、協業先の必要性といったことを、具体的にプランニングしていく流れです。プランを書きながら「考えが足りなかった」と気付くことも多く、内容をどんどん補強できました。
─技術者としてはいいものができそうでも、仕事の経験上としてもビジネスプランを描くのは難しかった。それが、キリンビジネスチャレンジを経て、佐藤さん自身も学びながら事業化への道が開けていったと。
佐藤:そうですね。技術にはずっと興味があって「いい製品を作れば売れる」という考えに陥りがちでしたが、事業として成長させるためには全体設計が重要だと気付きました。
そこで、他企業との連携でさらにサービスを広げることができると考え、今はほかの企業や自治体とも協力して新たな取り組みを進めているところです。
佐藤:それから、キリングループとしての強みも実感しました。協業先の探索では、キリンビールやキリンビバレッジの営業部や、協和キリンの方々にもご協力いただいています。お取引先や医療機関を紹介してくださったり、医師との面談などもスムーズに進んだりするのは、やはり「キリン」という信頼感があってこそだとあらためて感じます。
─ほかの会社と協業して新しいことができるチャンスも生まれて、まさに「次のキリンをつくる」やり方だと期待が膨らみました。一方で、「なぜキリンが電気機器を発売するの?」という疑問も聞かれそうです。
佐藤:私自身としては、エレキソルトがキリンから発売することには、そこまで違和感を持っていないんです。キリンはこれまでお酒を含めて、楽しい食卓を支えようと頑張ってきました。エレキソルトも形は違えど、食卓を楽しくする点では変わらないと思っています。
我慢を解消するのではなく、食の楽しみを広げていきたい
─今回エレキソルトデバイスを発売するにあたり、率直な想いを教えてください。
佐藤:この製品を使用することで、食品の塩味やコク、うま味をより感じることができ、料理の印象を変える手助けになればいいなと思っています。ただ、その感じ方にはまだまだ個人差が大きいので、購入前に実際に体感してもらえる場を今後もっと設けていきたいです。
それから、独自の電流波形を用いていますが、それに「鉄を舐めたときのような味」を感じる方もいらっしゃって、言わば「電気の雑味」が残っていることも課題ではあります。今後もこのような課題を一つずつクリアにしていきたいですが、まずは形になって本当によかったです。
─ちなみに、発売までのテスト段階で印象的だったシーンなどはありますか。
佐藤:一般家庭で製品を試していただく実食テストをした際に、あるお客さまが「お汁粉を食べるときに味わいを引き締めるのに使える」とおっしゃっていました。お汁粉には塩昆布を添えたり、仕上げに塩を少量加えたりすることがありますが、そういった楽しみ方はほかにもいろいろあるはずです。そういったフィードバックをいただくのは、私たちもとてもうれしいです。
減塩されている方々だけでなく、20代や30代の方々からも、浮腫み対策やダイエット目的で使いたいという声をいただいています。また、体を鍛えている方々からも「塩抜き」の必要があるときに使いたいというニーズがあり、そういった方々との交流もありますね。
─おもしろいですね!料理人といった食のプロからも注目されそうです。最後に、今後の展望についても聞かせてください。
佐藤:まずは、先ほどもお伝えしたとおり、お客さまが期待しているものと、製品とのギャップを、しっかりと埋めていくことです。販売をスタートしてからも、お客さまや協業先からご意見をいただきながら、製品自体を改良していくつもりです。搭載している技術も、今後どんどん改良していく必要がありますから、ぜひ少し長い目で見ていただければ、と思います。
将来的には、何十年先かは分かりませんが、音楽をダウンロードするように、「味を再現するための電流の波形」をダウンロードして、それを再現して食べることができるような技術を実現できればと思っています。例えば、通信を通じて味のデータをシェアしたり、取り寄せたりできるようになるといいですよね。
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