壁に立ち向かうたび、力が湧いた。営業時代に知った「応援される自分でいること」の大切さ
キリンのなかにある多様な仕事のかたちを探るために、“自分らしい仕事”を見つけた人たちのキャリアを紐解いていく特集「自分らしい仕事のつくりかた」。
過去の出会いや経験から何を学び、どんなアイデアで目の前の壁を乗り越えてきたのか。それぞれの従業員が“自分らしい仕事”を見つけるまでの道のりを振り返ります。
今回お話を聞いたのは、2004年にキリンビールへ入社して以来、営業職として長年活躍してきた田中賢了。2021年から3年間にわたり国民生活産業・消費者団体連合(以下、生団連)に出向し、2024年にキリンホールディングス株式会社の経営企画部に帰任しました。
営業職から一転、未知の業界への出向。そこで得た学びや人とのつながりを振り返り、田中は「すべてが、かけがえのない人生の財産になった」といいます。次々と立ちはだかる壁に果敢な姿勢で挑み続けてきた、彼の挑戦の歴史を辿ります。
【これまでのキャリア変遷】
─キリンビールに入社した理由と、これまでの経歴を教えてください。
田中:人っていろんな場面でビールを飲みますよね。ときにはよろこばしいお祝いの席でみんなと、ときには辛いことがあった日に一人で。「人それぞれの人生の喜怒哀楽に寄り添うビールっておもしろい」と思ったのが、キリンビール株式会社に入社した理由です。
入社してからは一貫して営業畑を歩み、2014年に広域流通統括本部でスーパーマーケットの大手量販企業を担当することになりました。2018年からは同部署の部長としてマネジメントにも携わるように。その後3年間、生団連に出向して事務局長を務め、今年の春からキリンホールディングス株式会社の経営企画部に帰任しました。
営業時代に出会ったリーダーたちの教え
─入社から長年、営業として働いてどのような経験が心に残っていますか?
田中:そうですね。営業時代に限ったことではありませんが、印象に残っているのはこれまでキャリアの節目ごとに訪れた「素晴らしいリーダー(上司)との出会い」。個性あふれるリーダーたちと一緒に働いたことで、それぞれの仕事のエッセンスを吸収し、今の私が構成されていると思います。
例えば、最初のリーダーからは、結果にこだわって自由に挑戦することの大切さを教えてもらいました。
当時は新入社員でまだ営業職にも慣れていなかったので、その頃に言ってもらった「新入社員の失敗で会社が傾くことはないんだから、挑戦だと思って全力でやってみろ!そして、結果にこだわれ!」という言葉には背中を押されましたね。とにかく突き進むチャレンジ精神を学ばせてくれたリーダーのもとで、その後に長く続く営業職のスタートを切れたのはとても幸運でした。
その次のリーダーは、全く違うタイプの方で。その方からは、営業においての論理的思考や成長に向けて自立する力を学びました。
それまでは新人らしい勢いで課題を突破するような感覚で営業していたんですね。でもそこからもう一段階ステップアップして、「相手がどう思っているのか」「自分の伝えたいことをどう伝えたらいいのか」など思考を巡らせるようになりました。今思えば、そのおかげで営業マンとしての交渉の入口に立った気がします。
─対極的な二人のリーダーから多くを学び、今の田中さんがいるんですね。
田中:はい。もう一人強く影響を受けたリーダーがいるのですが、その方からは、営業である前に社会人・会社人・家庭人・個人という「4象限を大事にすること」、「愛をもって人と接すること」、自分がもし社長だったらどうするかという「大局でものを見ること」を学びました。そして実際にそれを体現されている人でした。
私がこれまでに出会ったのは、それぞれに素晴らしい魅力を持っているリーダーばかりで、その要素を一つでも多く吸収しようと背中を追いかけてきました。
タフな現場の営業担当に。でも逃げたくはなかった
─2014年には、広域流通統括本部で、キリンビールの売り上げの要とされる大手量販企業の担当に抜擢されたんですね。
田中:キリンビールの営業職のなかでも、百戦錬磨のベテランが揃うタフでハードな部署だと評判だったので正直不安もありました。実際に年上の社員が多く、当時33歳の自分には大きなプレッシャーでしたね。
そして実際に入ってみると、想像していた大変さを遥かに超えていました(笑)。営業の窓口となる大手量販企業の商品部の皆さんは業界で有名なベテランの猛者ぞろいです。バイイングパワーの強さに加えて求められる提案レベルも非常に高い。
さらに競合他社も、営業担当に据えているのは会社の期待を背負うトップセールスですから、一筋縄ではいきません。それまで日本のプロ野球でプレイしていたのに、突然メジャーリーグで戦わなければいけなくなったような感覚でした。
─なるほど…。そんな厳しい環境を、田中さんはどうして乗り越えられたんですか?
田中:一言で表現すれば「責任感」でしょうか。それまでも失敗は山ほどしてきましたが、逃げられないし逃げたくなかったので。
担当企業をいくつか持つ営業であれば、「この取引先に営業をかけてうまくいかなくても、別の取引先と契約して取り戻そう」と自分の営業範囲のなかで目標達成に向けて進めていけるかもしれません。
でも、最大手といわれる量販企業の専任担当になると相手を変えることはできないので、うまくいかなくても何度も立ち向かわなくちゃいけない。リングの上で何度打たれても一人の相手と戦い続けるボクシングのようなものです。
そこから逃げだしてしまうと、お客さまが商品を手にできる環境を作れなくなってしまう。それは商品づくりに徹底的にこだわるマーケティング、生産、物流をはじめとする、すべての仲間たちのバトンをつなぐことができないことを意味します。
営業職は、会社の大勢の想いがこもった商品をお客さまのもとに届ける、“最後の砦”を担っているのだと感じました。
しかも最大手の量販企業はそのお客さまの数が圧倒的に多い。だから逃げられない、逃げない。ということに尽きるかと思います。
─そんなタフな現場において、うれしかったことややりがいを感じることはありましたか?
田中:そのように逃げずに奮闘していると、社内外のいろいろな仲間が増えてきて、支援してくれ、励ましてくれるようになりました。
そうした助けのおかげで、仕事のクオリティも上がり、取引先の反応にもよい変化が生まれ、キリンの商品を売るために積極的に取り組んでもらえるようになり、お客さまが手に取ってくださる機会が増えて、結果として自然と利益があがるようになる。この大きな流れを実感できたときは大変やりがいを感じました。
この好循環を生み出すために大切なのは、「助けたい」「応援したい」と思ってもらえる自分でいること。そのために、いつでも仕事に対して真摯でいることが大事だと思います。
「生団連」への出向で広がった多様性
─営業として長年さまざまな経験を積んだあと、一転、生団連の事務局長として3年間の出向。どのようなお仕事だったのか教えてもらえますか?
田中:生団連は「国民の生活・生命を守る」というミッションのもと、 700を超える企業、業界団体、消費者団体、NPO等が結束する日本で初の団体です。 国家財政、外国人の受け入れ、エネルギー問題、災害対応などの国民的課題に取り組みながら、生活者の目線に立って議論し声をあげています。
私は、戦略立案、団体内外のリレーション構築、事務局メンバーのマネジメントを担当していました。営業職から異業種に出向するのは稀なケースだったので、はじめは正直不安でしたね。
─キリンビールでの営業職とは大きく異なるように感じますが、それまでの経験が活かせましたか?
田中:商談を円滑に進めるために営業時代に培ったコミュニケーションスキルは、生団連での仕事にもよい影響を与えたと思います。事務局のメンバーは、会員企業からの出向者で構成されていて、バックボーンも仕事の領域も異なる人々の集まりです。
だから、同じ課題に取り組んでいても横の連携を取るのが難しくて。さらにそれぞれ出向期間が決められているので、仲を深めるための十分な時間もない。そこで私は、相互理解を目的とした自己プレゼンを取り入れました。
これは、キリンビールに入社して最初のチームリーダーだった方のアイデアで、新入社員のとき実際に私も体験したんです。その人の趣味や人生経験など職場ではわからない意外な一面を知ると、パーソナルな理解も深まります。この自己プレゼンの機会を取り入れたことで、事務局メンバー同士の連携がうまく取れるようになりました。
─ 一方で、業務の違いなどで苦労したことはありましたか?
田中:キリンビールの営業ではわかりやすく月間、四半期、年間など比較的短いスパンでの売り上げ目標がありましたが、生団連は「国民的課題の解決」という短期間ではなかなか実現し得ない大きな課題解決を目的にしています。
数年、数十年と解決できていない複雑な問題に長い時間をかけて向き合わなくてはいけないことに、最初は戸惑いましたね。それに、世界の情勢や日本全体の現状も幅広く把握しておかなければいけない。
これまで団体活動には無縁でしたし、政治や行政の分野も得意ではなかったので大変でした。その壁を乗り越えるために、とにかくいろいろな業界の方とお会いして話を伺い学びました。
─3年間の出向経験を経て、田中さん自身に変化はありましたか?
田中:ものの見方が変わりました。事務局に関わる人々は、業界、職種、国籍もさまざまでリアルな多様性があります。彼らから多くを学び、一つの物事に対し多角的な視点を持って考えるようになりました。
特に、生団連の小川賢太郎会長から学んだことが大きかったと思います。なぜ自分たちは生きていて、その限りある人生で何を成すべきかという本質的な問いについて、とても多くの薫陶をいただきました。「人類共生、世界平和、自らの手で」という帰任時にいただいたメッセージは宝物です。
実務的な学びで印象に残っているのは、「政治は国境を超えられないが、株式会社は国境を超えられる」という言葉。
生団連ではさまざまな取り組みをしていますが、その先には世界平和や人類共生などとても大きな目標があります。これらは、なにも政治や行政、国連などの公的機関からしか実現できないというものではなく、世界中の人々が幸せになるために、企業にしかできない方法があるのだと教えてもらいました。
キリンに戻ってきた今も、小川会長のその言葉を胸に、大きなことでも小さなことでもいいから自分の手で行っていきたいと思っています。
一人じゃなく、人とのつながりを大切にしながら歩み続けたい
─「キャリアジャーニー」のように仕事と人生は旅に例えられますが、田中さんはこれからどのような旅をしたいですか?
田中:具体的なプランはまだ決めていませんが、何十年か先に会社を卒業する時や年老いて人生の幕を閉じる時に「おもしろかった!」と言えるような旅にしたいですね。それがよいキャリアジャーニーを送れたことを意味するのだと思います。
最近感じることですが、目先や自分自身の利益に囚われがちな人が増えている気がします。自分の価値を高めるためにキャリアアップを重ねるのも大切ですが、同時に「その旅は一人旅ですか?」と問いたくなる気持ちもあって。
人間って、誰しもが誰かのために生きていると思うんです。みんなが関わり合って社会が構成されて、この世界がある。人間は一人ぼっちでは生きられないので。だから近くの人でも家族でも、社会全体でもいいから、誰かの人生に貢献したいと考えることも大切だと思います。
特に、利害関係を考えながらコミュニケーションを取る営業という立場こそ、人とのつながりが大切。人とつながることで仕事にも彩りが出るし、多様性も生まれます。
営業の仕事だけに限らず、社内のいろんな部署でいろんな考えや価値観を持つ人たちと関わることも一つのチャンス。置かれている環境をどう捉えるか、どう受け取るか次第ですよね。人間は完璧じゃないけど、それぞれによいところやすごいところは必ずあるから、ベテランも若手もお互いに学び教え合えるといいなと思います。
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目の前の大きな壁から逃げずにトライするチャレンジ精神や、上下関係なく他者のいいところを積極的に吸収する姿勢で、縦にも横にも広がり続ける“人とのつながり”を大切にしながら、キャリアアップを続けてきた田中。
最後に、彼自身が座右の銘に掲げる、高い志で理想を持って行動していけば同志は自然に集まってくるという意味を持つ一節を。「龍となれ、雲自ずと来たる」。
文:平井莉生、庄司楓(FIUME Inc.)
写真:上野裕二
イラスト:Daisueke Takeuchi (daisketch)
編集:RIDE inc.