人気のおにぎり・とん汁専門店「山太郎」店主の、キリン由来のモノづくりとお客さまへの想い
東京の雑司が谷で、専門店「おにぎり・とん汁 山太郎」の店主を務める、樋山千恵さん。注文を受けてから、たっぷりのご飯と具材を海苔でつつみ、お客さんの目の前で作るおにぎりが人を呼び込んでいます。
お品書きは、20種ほどの具材から選べるおにぎりと、糀味噌(粒味噌)で仕上げたとん汁のみ。2022年10月の開店直後から人気店となり、本店は約6坪、カウンター6席とテーブル3席の規模に客入りはおさまらないほど。本店すぐそばにテイクアウト用の店舗も開業したほか、夜にはおにぎりの具材でお酒を楽しめる「夜山太郎」の営業もスタートしました。
セカンドキャリアとして新たな一歩を踏み出したキリンの元従業員に、現在に活かされている過去の学びを伺う連載「仕事のギフト学」。 第2回では、樋山さんがキリン時代に得た経験や知見が、いかに飲食店づくりに生きているのかを聞いてみました。
おにぎりは、いつも誰かの「特別なもの」だから。専門店を開いた理由
─おにぎりととん汁のお店にしたのは、どうしてですか?
樋山:おにぎりって、私自身にとっても、多くの人にとっても、何かしらの「特別なもの」だと思うんです。幼い頃、遠足に親が持たせてくれたおにぎりがうれしかった、みたいに。
私も、幼稚園や小学校で遠出をするとき、母は決まっておにぎりを作ってくれて、それがずっと好きでした。大きくなってからも自分の中では特別なままで、だからこそ「最後の晩餐に食べるならおにぎりにしたい」と思うくらいになったんです。
お店に立っていると、毎日のようにお客さんから「日本に住んでいてよかった」といった言葉を耳にします。きっと、おにぎりへの思い出を、一人ひとりが持っているからなんでしょうね。
─おにぎりには幼い頃からの思い入れがある人も多いですよね。では、とん汁にした理由もありますか?
樋山:おともをとん汁にしたのは、野菜たっぷりで栄養のバランスも良いですし、おにぎりのベストパートナーだと思っていたから。あとは、私がドラマの『深夜食堂』の影響で、とん汁に一時期ハマってしまって。一緒に食べれば満足度もさらに高くなって、どこかほっとする。おにぎりにとん汁の組み合わせが、個人的にもすごく気に入っているんです。
─おにぎり専門店を開くまでには、どういった経緯がありましたか。
樋山:夫と「いつか一緒に飲食店を開きたいね」と日々話していたんです。キリンを退職してからしばらくは専業主婦をしていましたが、ある日、夫から「半年後に会社を辞めるね」と言われて。「おにぎり屋をやればうまくいく。おにぎりの担当はよろしくね」って(笑)。私自身は行動力がないタイプなので、それで背中を押されました。
早速、今までに食べて最高のおにぎりだと思えた、大塚の「ぼんご」へ修行を申し込んだら、女将の右近由美子さんが会ってくださって。自分もおにぎり専門店を開こうと考えていること、おにぎりに特別な想いを持っていることなどをお伝えしたら、快諾してくれたんです。
週5日、半年間ほど勤めて仕込みや握りを学んで、夫も「ぼんご」の定休日に開かれていた「おにぎり教室」に参加しながら、一緒に勉強しました。修行後の半年間は実践経験を積むために不定期で間借り営業をしつつ、出店準備を進めていきました。
自分としても、また仕事をするならば好きなことや得意なこと、楽しいことでなければしないと決めていたんです。食べるのは好きでしたし、中でもおにぎりが大好き。そういったすべてが合致して、「山太郎」へ結びつきました。
─なるほど。人気店の「ぼんご」譲りの良さが活きているわけですね。
樋山:たしかに「山太郎」のおにぎりも、「ぼんご」が大切にしている「大きく、握りたて、具沢山」というコンセプトは共通しています。私も、そのおにぎりに感動しましたから。
ただ、同じものを出していては「ぼんご」を超えられないとも思っていて。より若い年齢層の方々にもお店に来てほしいし、感度の高い方にも知っていただきたい。そんな想いから新しい具材を考案したり、店内の細部にもこだわったりと、「山太郎」らしさを出していけるように努めています。
「良いお店」のポイントを足で知り、キリン流のマーケティングを学ぶ
─樋山さんはキリンに入社後、しばらく飲食店向けの営業をされていましたね。その当時の経験は「山太郎」にも活かされていますか?
樋山:私は東京の杉並区エリアの飲食店や酒販店への営業を4年半ほど担当していました。たくさんの飲食店を訪問させていただくなかで、次第に「流行っているお店」の共通点が見えてきたり、また逆の結果を招いてしまう理由も私なりにわかってきたりしました。
当時はまだ自分が飲食店をやるつもりはありませんでしたが、今振り返ってみると、知らずしらずのうちに「良いお店」の基準やポイントが知見として貯まっていたんでしょう。もし、営業職で何千軒とお店を巡っていなければ、得られなかった経験だと思います。
たとえば、「良いお店」は言葉で表さなくても、何を売りとして表現したくて、何をお客さんに提供したいのか伝わってきます。空間、食、接客といったすべてでコンセプトが体現されているようなお店は、やっぱり流行っていましたね。
─キリン時代は、営業職以外も担当しましたか?
樋山:マーケティング部へ公募制度を利用して異動しました。昔から工作や絵画など手作業が得意でしたし、自分自身にミーハーなところもあって、新しいものもどんどん体験してきたつもりでした。そのうちに「マーケティング部で、自分の手でつくったものをお客さんへ届けられたらいいな」と思うようになって。
マーケター時代は、『キリン ハードシードル』というりんごのお酒や、『ひんやりあんず』といった商品を担当していました。同じチームメンバーと「どういうものが世の中で求められているか」「どうやったら手に取ってもらえるか」を常に考え、商品へ活かしていく部署でしたから、インプットは豊富でした。
自分自身が飲食店を経営する立場になったら、その頃の学びは100%直結してきましたね。どういったお客さんをイメージするか、どこへ出店すべきか、どういったものをつくるか……。
たとえば、女性客や感度の高い若者、家族連れが住んでいて、文化度も高い地域を考えると、マッチしたのがこの雑司が谷でした。インプットした「キリンのマーケティング」の知識や経験を、夫の助けを借りながら、「山太郎」でも実践しているような感覚はあります。
─当時の先輩たちからの学びで、印象に残っていることはありますか。
樋山:ビールの造り手である上司から学んだのは、自分で造っているからこそ、その答えを持っていること。その方は「キリンのモノづくりの象徴」のような存在で、商品に関して何を聞いても1から100まで答えてくれました
私も「山太郎」を自分たちで一からつくり上げてきたから、お客様の問いかけにも答えられます。その方と同じような視点に立って、あらためてその凄さがよりわかりました。
樋山:そしてもう一人は、マーケティング部時代の大先輩です。その方は「一歩、二歩先のものではなく、半歩先のものをつくっていこう」とよく仰っていました。
私たち夫婦がおにぎり専門店を始めようとしていたのは、私のおにぎり好きはもちろんですが、世の中やSNSでもおにぎりに対する熱気を感じ始めていた頃でした。その中で「ぼんご」はおいしさは当然として、すでにあった作り置きで提供するお店ではなく、お客さんの目の前で握る「ライブ感」も新鮮で、人々を惹きつけていった。まさに「ぼんご」は半歩先の存在になったのだと思います。
今でこそおにぎり専門店も増えてきましたが、「山太郎」は開店時期も早く、半歩先の存在になれているかもしれません。
自分自身が飲食店を経営するようになって、キリン時代の上司や同僚が教えてくれたことに合点がいったり、納得したりすることは多いです。
「夜山太郎」のメニューには元同僚からの意見も。今も続くキリンとのつながり
─おにぎり専門店が増えるなかで、おにぎりの具材でお酒を楽しめる「夜山太郎」は特色の一つですよね。
樋山:おにぎりの具材はお米との比率を考えて、味が濃いめに仕上げてあるので、酒の肴になると思っていたんです。
「夜山太郎」で出しているお酒のほとんどがキリンなのですが、やはりキリンのお酒が好きなんですよね。自分の好きなお酒を自分のお店で出して、お客さんにおにぎりと一緒に味わってもらいたい。キリンで学んだことを活かした自分のお店で、私なりにキリンへ恩返しが少しでもできたらとは思いました。
樋山:あとは、キリン時代の同期が商品ブランドのマーケティングや営業を担当していて、今でもよく会う間柄なんです。「夜山太郎」に置くお酒のラインナップも、「この具材に合う銘柄はどれだろう?」と相談したりしながら決めていきました。キリン時代の人脈が私のお店のメニューに活きています。
─今もキリンで働く同僚たちが応援してくれるのはうれしいですね。
樋山:ありがたいですよね、本当に。お酒のプロたちがすぐ近くにいるのは、夜営業をするときにもすごく心強くて。同僚たちは「夜山太郎」にも遊びに来てくれますし、「気になることがあったら言って」と尋ねれば意見もくれますから。キリン従業員には真面目で誠実な人が多いなとあらためて感じます。
自分の手が届くところで、お客さまの喜んでくれる顔が見たい
─あらためてキリン時代と現在を比べて、気づく点はありますか?
樋山:キリンで営業やマーケターとして働いていた当時は、たくさんの人が手にとってくれるような大規模な商品に関わることができました。それは本当に貴重な経験です。今は自分の目と手が行き届くこの「山太郎」で、お客さん一人ひとりの喜んでくれる顔が見られる。どちらも大切なことですが、私にとっては今の規模が自分には合っていると思います。
私がキリン時代に経験したことを「山太郎」に活かしているように、いまの仕事や人とのつながりが自分の未来につながることがあります。今の経験がいつか役に立つと考えれば、大変なときでも頑張ろう!と思えるかもしれません。
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