造り手たちの想いを未来へつなげる。映画『シグナチャー ~日本を世界の銘醸地に~』で描かれる日本ワインの夜明け
─日本を世界の銘醸地に。
日本のワイン業界がそこまでの夢を描けるようになった背景には、ある一人の先駆者とその想いを受け継いだ若い醸造家たちの存在がありました。
日本のワイン業界を牽引した現代日本ワインの父、麻井宇介氏(本名:浅井昭吾、元シャトー・メルシャン工場長)の想いを受け継いだ、醸造家・安蔵光弘の半生を描いた映画『シグナチャー〜日本を世界の銘醸地に〜』が2022年11月4日から全国公開されています。
今回、映画のモデルとなったシャトー・メルシャン ゼネラル・マネージャー安蔵光弘と、映画の中で安蔵役を演じた俳優・平山浩行さんの対談が実現。国内外から高い評価を受けている「シャトー・メルシャン 桔梗ヶ原メルロー シグナチャー」を飲みながら、映画の撮影秘話や、日本ワインのこれからを語り合いました。
リアルなワイン造りを描いた映画『シグナチャー〜日本を世界の銘醸地に〜』
安蔵:今日はよろしくお願いいたします。映画『シグナチャー〜日本を世界の銘醸地に〜』にも登場した「桔梗ヶ原メルロー シグナチャー」の2017年を持ってきたので、飲みながらお話いたしましょう。2017年はいい年なんですよ。
平山:そうなんですね。「いい年」というのは、日本ではいいけど、海外ではあまりよくないときもあるわけですよね。
安蔵:もちろん。長野がよくて、山梨が悪いというときもありますし、その逆もあります。「桔梗ヶ原メルロー シグナチャー」は今人気があって、手に入りにくくなってきているんです。では、乾杯!
平山:いただきます。乾杯!
安蔵:うん、いい感じ。まだ若いけれど、おいしいです。桔梗ヶ原地区のメルローは酸味があるので、熟成がゆっくりなんですね。
平山:そうなんですね。わ、おいしいです。先日も本作で招待されたニース国際映画祭で訪れたニースで安蔵さんと一緒にワインを飲ませていただきましたが、それ以来ですかね。ニースでもたくさんワインを飲みましたね。
安蔵:ニースはロゼが中心でしたね。たくさん飲みましたね(笑)。
─まずは、映画『シグナチャー』について語っていただきたいと思います。安蔵さんももう映画をご覧になったんですよね。感想を教えてください。
安蔵:私がシャトー・メルシャンでワイン造りに関わるようになった1995年から2002年までのエピソードが中心となっているのですが、すごくディテールにこだわって描いてくださって、とてもリアルでした。会社に入った当時のことを思い出しました。
─忠実に再現された映画だったのですね。
安蔵:そうですね。もちろん細かいところで、装飾された部分はあります。たとえば、デートで行くのがワインバーになっていますが、本当は焼鳥屋でホッピーを飲んでいました。20数年前は、あんなオシャレなワインバーは山梨にはありませんでしたからね(笑)。
ただ、日本のワイン造りの状況という点は、かなりリアルに描かれています。ワインの専門用語が出てくる場面があるのですが、あえて残しているとのことです。それも柿崎監督のこだわりで、「わかりやすさよりも、ワイン造りのリアルを伝えたい」という思いがあったようです。
─そもそもの映画化のきっかけはなんだったのでしょうか?
安蔵:今回の映画の出発点は、私が書いたエッセイです。麻井宇介さんの著作を復刻させるときに、付録としてつける冊子に寄稿した1667字の短い文章でした。
柿崎監督とは、映画『ウスケボーイズ』の撮影の際に出会い、その頃からのお付き合いでした。柿崎監督がそのエッセイを読んでくださっていて、一緒に飲んでいるときに「実はそのメモに前後のエピソードを書き足したものがある」というお話を柿崎監督にお伝えしたところ、ぜひ読んでみたいということになりまして。そこが出発点です。その後、これに書き足して、今年の10月31日に「5本のワインの物語 Five Wines' Story」(イカロス出版社)というタイトルで出版されました。
─撮影現場にも行かれたそうですね。
安蔵:映画の4割ぐらいのシーンをシャトー・メルシャンの勝沼ワイナリーで撮影しました。長いときは朝5時から夜10時まで、撮影に立ち会っていました。
─平山さんは安蔵さん役を演じられました。撮影現場でのエピソードを教えてください。
平山:やはり実在されている方を演じる難しさはあったんですが、撮影の序盤に、柿崎監督が「あまりそのことを意識しないでやってもらえたら」とおっしゃっていたので、そういう意味では気が楽になりました。
安蔵さんは現場に常にいてくださったので、その緊張感もありました。ただ、実際に経験しているご本人なので、ちょっと分からないなと思ったら「このときどう思っていたんですか?」と直接質問ができる環境でもありました。ちょっと恥ずかしそうに答える安蔵さんの姿を覚えています。
安蔵:映画でのクライマックスシーンの撮影では、麻井さん役の榎木孝明さんからも「安蔵さんはこのとき、麻井さんにどんな風に背中を叩かれたんですか?」なんて聞かれたりしましたね。実際にためしに榎木さんから背中を叩いて欲しいと依頼されたりして。
平山:それから、今回の撮影ではみなさんが本当にお飲みになっていたワインを用意していただいたんです。実際に飲みながらの撮影でした。個人的にお酒を飲みながら演じることが初めてだったのですが、「そのとき安蔵さんが飲んだのもこのワインだったのか」と思うと感慨深いものもあり、すごく良い経験をさせていただきました。どれもおいしくて、印象に残っていますね。
なにより作品を通して、日本ワインのおいしさに出会えたことに感謝です。
ワインと映画に通じるものづくり
─演じられるなかで、どんなことを学んだり、伝えたいと思ったりしましたか。
平山:やはり“モノづくり”という部分では、映画もワインも同じなんです。一つの作品にかける情熱と、ワインにかける情熱には共通しているものがあるなぁと思いました。
不思議なことに安蔵さんを演じさせていただく中で、安蔵さんの気持ちが乗り移ってきたんですよね。物語が進むにつれて、安蔵さんの湧き出てくる情熱を感じて、後半のシーンでは本当にグッと来てしまいました。安蔵さんの半生を演じさせていただけて、幸せだなと思いましたね。
映画を観ていただけるとわかると思うのですが、安蔵さんの半生というのは、特別でどこか神がかっていると言いましょうか、運命的なものがありますよね。安蔵さんを演じながら、麻井さんから受けた薫陶はどんどん伝えていかないといけないなというのは強く感じました。僕は醸造家ではないですけど、役者として若い世代に伝えられる“ものづくり”とはなんだろうと考えましたね。
安蔵:想いを伝えていくのは、難しいことですよね。私は今、ワイナリーでは一番年上ですが、若い人に「昔はね」「俺の若い頃はね」と伝えることは、やはり躊躇してしまうときがあります。なので、今回の映画は、日本ワインの造り手やメルシャンの人にも、麻井さんの人となりや功績、そこから私が学んだことを伝えられるいいきっかけになるとも思いました。
私は平山さんのように格好良くはないけれど(笑)、メルシャンの後輩たちが「安蔵さんは若い頃はあんな風だったのだな」と思ってくれて、当時の私と麻井さんの取り組みに興味を持ってくれたらうれしいですね。
麻井さんから託されたワイン造りの夢
─映画の中でもいろいろとエピソードが描かれていますが、安蔵さんと麻井さんとのやりとりで思い出すシーンはどのような場面ですか?
安蔵:麻井さんとのエピソードがいろいろ描かれていて、どれも懐かしかったのですが、私が本社にいるとき、麻井さんがワイン造りについてのセミナーをやるというので、私も潜り込んだことがあったんです。
セミナーが終わった後、「ちょっと今日、喉が渇いたから一杯行くか」と誘われて、居酒屋に行って。ワインを飲んでいる麻井さんしか見たことがなかったので、麻井さんがジョッキで生ビールを飲んでいる姿を見て「麻井さんもビールを飲むんですね」と言ったら、「夏はやっぱりビールだよね」と言われました。あの場面はとても懐かしいです。
平山:独身寮で風呂あがりに麻井さんとばったり会うのが、最初の出会いだったんですか?
安蔵:その前に自分の歓迎会と麻井さんの送別会で一度ご挨拶はしているんですけど、私は新入社員、向こうは雲の上の存在だったので、そんなに深くお話できたわけではないんですよね。
映画でも描かれていますが、「今日、独身寮に泊まるからよろしくね」と会社で言われて、帰ったら、浴衣で新聞を読んでいる麻井さんがいて、「今日はどうでした?」と話しかけられました。当時は会社のコスト削減のために独身寮に泊まるのだろうかと本気で思っていましたけど、私と話すためにわざわざ独身寮に泊まってくれたと後から分かりましたね。
─背中を叩かれるシーンも印象的でした。
平山:あのシーンの撮影のとき、僕は安蔵さんになっていたのかもしれないというぐらい、のめり込んでいました。麻井さんを演じた榎木さんの「君がこれからの日本のワイン造りを背負っていってくれよ」というセリフもめちゃくちゃ響いたんですよ。榎木さんの表情も忘れられないです。
きっと安蔵さんも同じような気持ちだったのかなと想像しながら演じていたんですけど、複雑な思いだったんじゃないでしょうか?
安蔵:そうですね。まだ30代前半で、会社に入って7年目のときでした。「背負ってくれ」と言われて「そんな重いものを背負えるかどうか」と返しました。そうしたら「君が背負わなくて、誰が背負うんだ」と言われて、背中をドンドンと叩かれたんです。よく覚えています。
この話を柿崎監督にしたら、柿崎監督が「目に浮かぶようです」とおしゃっていて。このエピソードをクライマックスに持ってくるという発想から、映画『シグナチャー〜日本を世界の銘醸地に〜』は作られたと監督から聞きました。
─そのときからだいぶ時間が経ち、今もワイン造りに携わっていますが、気持ちの変化はありますか?
安蔵:そうですね。シャトー・メルシャンには「日本を世界の銘醸地に」というヴィジョンがあるんです。普通は「シャトー・メルシャン」の目標を掲げるところを、日本ワインを盛り上げていきたいからこそ「日本を世界の銘醸地に」としたんです。
これは、麻井さんもずっと言ってきたことでした。私も日本ワインをもっと盛り上げていかなくてはいけないなと思っています。そう思えるのは、麻井さんという偉大な先輩と出会ったことが大きいでしょうね。
映画『シグナチャー』を通して知った日本ワインのおいしさ
─平山さんはバーテンダーのご経験もあるそうですね。ワインについて、魅力に感じられていることを教えてください。
平山:私がバーテンダーをやっているころは、まさにワインブーム。結構ワインを飲むお客さんがいたんですね。ところが日本のワインは置いてなかったんです。
そして、この作品で改めてワインと出会い、勉強させていただいたのですが、日本のワインって、本当においしい。今まで知らなかったのが悔やまれます。今はプライベートでも、日本ワインを飲むようになりました。
安蔵:ありがたいですね。
平山:海外のワインよりもおいしいワインもありますし、いろいろチョイスができるので面白い。特にブドウの品種で明らかに味が違うことが、面白いですよね。海外でも真似できない、日本ワインの個性やおいしさについて、もっと知りたいなと思います。
安蔵:メルローのワインはフランスのボルドーにもありますけど、ボルドーのワインとは全然違いますからね。日本の風土が味に出ているのだと思います。
平山:土地の個性が出ているということですよね。
─これからの日本ワインやワインカルチャーについて、どのような期待をお持ちですか?
安蔵:“日本ワイン”という言葉が法律で使われるようになったのが、2015年(※1)。2018年からワインラベルの表示基準の法律(※2)がスタートしました。その前から日本ワインへの注目度は高まっていたわけですが、生産量を急に増やすことはできないんです。なぜなら、ブドウを植えて収穫できるまでに3〜4年、ワインにして出荷できるまでにさらに1〜2年かかるから。
2018年からワインラベルの表示基準の法律がスタートして、ようやく今、新しく植えられたブドウが出てきているわけです。なので、これから生産量、流通量も増えてくると思います。量が増えるということは、いろいろな品質のワインが増えるということでもあります。だからこそ、より一層身を引き締めてちゃんとしたワイン造りをしないといけない。
“日本ワイン”とついていれば何でも買ってくれるというのは、造り手の甘い発想です。日本ワインがこれから大きなカテゴリーに育とうとしている今こそ、きちんとした品質のワインを造ることがやっぱり大事だと思いますね。
平山:これからがますます楽しみですね。ちなみに、ワインの味を一定にする技みたいなものはあるのですか?
安蔵:大手のビールはなるべく味が安定するように造っていますよね。でも、ワインに関しては、ヴィンテージが違えば、スタイルが違っていいんです。当然欠点がないように造りますが、醸造担当はヴィンテージの特徴が出るように仕込みます。なるべくそのブドウが持っている持ち味を上手に表現することが大事かなと。
平山:ワインとは自然の恵みを活かして造る飲み物なんですね。本当に面白いです。
ワインは楽しい食卓に合う飲み物
─長年ワイン造りに携わってきた安蔵さん、今回、その想いやワイン造りに触れられた平山さん。お二人にとってワインとはどんな存在なのでしょうか?
平山:日々の食事のなかで楽しみたいお酒だなと思いますね。もちろんワインだけでもおいしいんですけど、食事とのペアリングで、もっとワインが際立ってくる。やはり食事に合うお酒だと思います。
安蔵:そうですね。食事と寄り添う飲み物ですよね。加えて、ワインは人を呼ぶお酒だとも思っています。ワインは二人で一本飲んでちょうどいい量なんですね。もし2種類飲むなら4人、3種類飲むなら6人…。そう考えると、ワインは人を呼ぶお酒だなと思います。
平山:たしかに、にぎやかな食卓に合う飲み物ですよね。
─最後に、映画を楽しみにされている方々へメッセージがあればお願いします。
平山:ご覧になった方から「普段ワインを飲まないけど、この映画を見て飲みたくなりました」と嬉しいお言葉をいただきました。ワイン好きの人はもちろん楽しんでいただける映画だと思いますが、この映画を通じて日本ワインを飲んでみたい、もっと知りたいと思う方が増えるとうれしいです。
安蔵:山梨という東京からそう遠くない場所で、ブドウという農産物を元に、ものづくりにこだわっている人たちがいることを知ってもらえたらいいなと思います。
そして、平山さんも言うように、見終わった後に「日本ワインをちょっと飲んでみたいな」と思っていただけたら。普段ワインを飲まない方でも、飲んでみようかなと思える映画になっていると思います。そこから「日本ワインって面白いかも」と興味を持っていただけたら、うれしいです。
映画『シグナチャー〜日本を世界の銘醸地に〜』/全国順次公開中!
平山浩行 竹島由夏/榎木孝明 ほか
監督・脚本:柿崎ゆうじ
文:五月女菜穂
写真:上野裕二
ヘアメイク(平山浩行):佐藤由佳
編集:RIDE inc.