「ビールを通して、東北をPRしたい」。「いわて蔵ビール」が大切にしている地域とのつながり・次世代のこと
「キリンだからこそ担える、クラフトビールの役割がある」
そんな志のもと、ブランドの垣根を越えてクラフトビールの楽しさを体感できる「Tap Marché(タップ・マルシェ)」というサービスがあります。コンセプトは“ビールの自由市場”。そこに共感したさまざまなブルワリーが参加してくださり、一緒にクラフトビール市場を盛り上げています。
タップ・マルシェ担当の丹尾健二がタップ・マルシェに参加するブルワリーを訪ね、ビール造りへの想いやタップ・マルシェ導入後の変化についてうかがう連載企画。第5弾では、岩手県一関市にある「いわて蔵ビール」を訪ねました。
1995年に立ち上がった「いわて蔵ビール」は、老舗酒造「世嬉の一酒造」の酒造りの技と、醸造士の経験と知識により生まれたクラフトビールブランドです。ビール造りにとどまらず、「地ビールフェスティバル in 一関」や、東北のビールをよりおいしくするためのクラフトビールブルワリーたちの勉強会「東北魂ビールプロジェクト」なども主催しています。
さらに、地元の食材を使った「三陸牡蠣のスタウト」や「ジャパニーズスパイスエール山椒」など、「ビールを通して、東北をPRしたい」という想いを込めて、多くの商品開発に取り組んできました。今回は、4代目・佐藤航さんに、「いわて蔵ビール」のビール造りへのこだわりや地域とつながることの意義、そしてクラフトビールの未来についてお話をうかがいます。
「ビールってこんなに幅広い味があるんだ」酒蔵から始まったクラフトビール造り
丹尾 健二(以下、丹尾):今日はよろしくお願いします。
佐藤 航さん(以下、佐藤):よろしくお願いします。さっそく『レッドエール』で乾杯しましょう。
丹尾:これは、タップ・マルシェでも提供させていただいている『みちのくレッドエール』ですね。今日は雨が降っているので、こういうコクのあるしっとりとしたビールがぴったりですね。このビールをタップ・マルシェに選んだのは、何か理由があったんですか?
佐藤:はい、品質チェックや分析の結果もありましたが、個人的にもこのビールが好きだったことが一番の理由です。それに、ほかのブルワリーではあまり造られていないスタイルだと思って。
ほかのブルワリーさんから「こういうしっとりしたビールは好きなんだけど、売れないよね」ってよく聞くんです。でも、僕らは「売れるかどうか」よりも「自分たちが売りたいもの」を出していきたいという思いがあったんです。
丹尾:ホップは、キリンと契約している遠野のホップ農家で作っている品種「IBUKI」を使っていただいていますよね。
佐藤:そうなんです。もともとアイリッシュスタイルのレッドエールには、イングリッシュホップだけを使っていたんですが、せっかく岩手からキリンさんのタップ・マルシェに参入するということで、東北らしいものを取り入れたいと思って。それで「IBUKI」を使うようになりました。今では既存の商品にも「IBUKI」を使っています。
丹尾:「みちのく」というネーミングには、奥ゆかしさがあって、平仮名表記なのもいいですよね。最初に見たとき、ビールのテクスチャーにも合っているなと思いました。
長年酒造りをしてきた「世嬉の一酒造」がブルワリーを立ち上げた経緯について、あらためて教えていただけますか?
佐藤:立ち上げたのは先代で、僕の父なんです。最初は、地元の菓子店やソーセージ屋さんなど、4社が集まって「町おこしのために地ビールを造りたい」という想いから始まりました。それが1995年で、実際にビールの製造を始めたのは翌年の1996年です。
丹尾:ちょうど地ビールブームが始まった時期、そして酒税法改正で規制緩和もあったタイミングですよね。佐藤さんご自身は、そのころはまだ民間企業にお勤めだったんですよね?
佐藤:そうです。当時は東京でコンサルタント会社に勤めていて、仙台支店の立ち上げに携わっていました。地ビールブームの波に乗ってブルワリーを立ち上げると聞いたときは、大反対しましたよ。祖父が急に倒れて、父が後を継いでなんとか生き残っている状態でした。業績が多少上向きになりつつあったからといって、急にポンと大きな投資をして大丈夫?と。でも、もうなんかやっちゃったんですよね(笑)。
そうしたらやっぱり駄目になって、2000年頃には倒産寸前に。ブルワリーのスタッフも次々と辞めていき、それで僕が戻ることになったんです。ただ、実際にビール造りを始めてみたら、意外とおもしろくてね。すっかり虜になってしまいました。
丹尾:どんなところにおもしろさを感じたんですか?
佐藤:最初にヴァイツェンを飲んだとき、「こんなに香り高いビールがあるんだ。ビールってこんなに幅広い味があるんだ」と感動しました。そのときにこれならまだなんとかなるかもしれないと希望が見えたんです。
流行りより、自分たちが造りたいものを。ビールで岩手らしさをPRしたい
丹尾:佐藤さんから見て、「いわて蔵ビール」のこだわりや特徴はどこにあると考えていますか?
佐藤:最初は、工場長の孝紀さんと二人でどんどん商品開発して、新しいものを造ろうといろいろとチャレンジしていましたが、最近は常に、「岩手らしさ」とか、視点を広げると「日本らしさ」、さらには酒蔵で造るので「酒蔵らしさ」…と、そういった要素がどこかにないといけないと思うようになりました。
レッドエールやスタウトのような、あまり注目されていないスタイルのビールを地道に造っているけど、ちゃんとファンもいてくれているので、「それでいいよね」と話しています。
丹尾:そう考えるようになったきっかけがあったんですか?
佐藤:ターニングポイントは、陸前高田の牡蠣を使った『オイスタースタウト』です。当時はまだ地元のホップを使えず、麦芽はもちろん輸入。岩手らしさを感じる原材料はないかと考えていたとき、かつてイギリスでは「オイスタースタウト」というビールが造られていたということを知ったんです。それを陸前高田の牡蠣で造ったのがきっかけでした。
そこから『山椒エール』も生まれ、今では麹を使った『サケイーストビール』も造っています。この『レッドエール』も遠野産ホップを使っていて、目立たないかもしれないけど、ビールを通じて岩手らしさをPRできたらおもしろいなと常に考えています。だからこそ、品評会には『山椒エール』や『オイスタースタウト』を出すんです。流行りのスタイルを造るのではなく、岩手や東北をPRすることに力点を置いています。
丹尾:「地ビールフェスティバル in 一関」や「東北魂ビールプロジェクト」の立ち上げにも関わられていて、ブルワリーが地元にある意味ってこういうことだよねと思わされるような取り組みをいくつもされていますよね。
佐藤:「地ビールフェスティバル in 一関」は、毎年全国からブルワリーとビールファンが岩手県一関市に集まるイベントで、もう20年以上続いています。
「東北魂ビールプロジェクト」は、2011年の東日本大震災がきっかけで立ち上がったプロジェクトです。
震災後、全国の皆さんに助けられてなんとか経営を維持できたので、その恩返しをしたいという気持ちで「秋田あくらビール」、福島県の「みちのく福島路ビール」、そしてうちをあわせた3社ではじめました。何が一番のお返しになるだろうと考えた結果、おいしいビールを提供することだろうとなり、勉強会として発足したんです。
今ではキリンさんも含めて17〜18社が参加して、ゆるく続けています。当初は恩返しからのスタートでしたが、今では「東北のビールっておいしいよね」と言われるような地域にすることを目指しています。
丹尾:個人的な感想ですが、「いわて蔵ビール」は造り手のキャラクターがビールにすごく反映されているブルワリーさんだなと感じています。麦の旨味がしっかりと、かつきれいに感じられる味わいには、実直さが表れているなと。だから、逆に最新のスタイルを追い求めてほしくないというか…。
佐藤:ありがとうございます。造り手のキャラクターや癖がビールに現れるのは、あると思います。「東北魂ビールプロジェクト」では、年に1回、各ブルワリーが同じ原料とレシピでビールを造り、それを分析する取り組みも行っています。できあがったビールは本当にさまざまで、全然違う味わいになるんですよ。設備の違いも大きく影響しますし、うちはどうしてもモルティな感じになりがち。
丹尾:その違いが、ポジティブに言えばクラフトビールのおもしろさにつながるのかなと思っています。
佐藤:そうですね。その癖を理解したうえで、うまくコントロールできるようになると、もっとビール造りの幅が広がると思います。これまで自分たちの感覚で香りや品質を確認していましたが、プロジェクトを通じて、キリンさんで品質の分析をしてもらうようになり、格段にビールの品質や技術が上がったブルワリーが多いんです。収量が上がったり、世界で賞をとるブルワリーも出てきていますから。
タップ・マルシェに参入で、販路の拡大と技術向上に
丹尾:タップ・マルシェへの参入はどういうきっかけでしたか?
佐藤:お声がけいただいたとき、最初は「うちでは規模的にも無理だろう」とお断りしていたんです。でも、クラフトビールメーカーが増え始めるなかで、僕らの販路がやや狭いことを課題に感じていて…。タップ・マルシェに参入することで、これまで「いわて蔵ビール」を知らなかった層にも届けられるのではと思い、それならおもしろい機会だよねと決心しました。
初回は予想通り大変でしたが、キリンさんにもご協力いただきました。回を重ねるごとに品質がどんどんよくなっていったのはうれしい誤算でした。ビール醸造は造る回数が技術を向上させるので、タップ・マルシェ参入によって『レッドエール』の技術も向上し、ワールドビアアワードで2年連続授賞するまでになりましたから。スタイル別でも1位をいただきました。タップ・マルシェでは定期的に品質チェックをしていただけるので、それをもとに改良していけたのは大きかったと思います。
丹尾:製造回数が上がればどんどん上手になっていくと皆さんおっしゃるんですよね。そのためにはビールが売れないと当然造れないので、そこに貢献できているのはうれしいです。
佐藤:うちの会社では、出荷作業を全員で行っているんですよ。レストラン部門から製造部門まで、部門関係なくみんなでラベルを貼って短時間で作業を進めています。タップ・マルシェの出荷も全員で行っていて、「ここの店で売れてるんだって」とか「岩手の旅館で飲めるらしいよ」という情報を交換する時間にもなっています。
ブームやファッションで終わらせない。アイデンティティを持ったビール造りを
丹尾:佐藤さんは、今のクラフトビール市場をどう見ていますか?
佐藤:クラフトビールに対する抵抗感がなくなって、飲んでみたいっていう人が増えたと思います。タップ・マルシェの影響もあり、クラフトビール専門店以外でもクラフトビールが飲めるようになりましたよね。
一方で、クラフトビールメーカーの数が増えて業界自体が活性化しているのはいいことだと思うけれど、お客さんの数よりもメーカーの数が増えていることには危機感を持っています。コストが下がり、誰でも造れるようになったのはいいけど、低品質では意味がない。ビール造りをブームやファッションだけで終わらせないためにも啓蒙活動を続けながら、もっとみんなで勉強していかないといけないだろうなと感じています。
あとは、ちょっと値段が上がりすぎていることも心配。ブームになって終わらないためにも、大手さんより少し高いけど、5回に1回、10回に1回くらいは買ってもらえる方がもう少し生活に入り込めると思う。今日の食事にクラフトビールを合わせてみようといった感じで、もっと生活に馴染むといいですよね。
丹尾:勉強会も主催されていますが、今のビール造りについても感じることがありますか?
佐藤:うちが気をつけているのは、自分たちのアイデンティティをしっかり持って醸造することです。アメリカのブルワリーは必ず、自分たち発祥のスタイルを持っている。日本の若い子たちは流行りのスタイルのビールを造ろうとする傾向がありますが、もっと自分たちがやりたいスタイルを造ってみたら?と、おじさん的には思っています(笑)。だからうちはいつも変なのを造っているんですけど。
例えば、山椒のビールも最初は全然売れなかったけど、10年くらいかけてようやく売れるようになった。時間はかかるけれど、誰も造っていないものを地道に造り続けていくと、どこかで花開くんじゃないかなと。
丹尾:僕たちも物を買うときには、何をやっているかよりも、なぜやっているかがわかったときに、「買ってよかった」って思います。流行りのスタイルを造るのも決して悪いことではないんですけど、そのスタイルを選んだ理由がその人の思想の中にしっかりあれば、「なるほど」と感じ、より飲みたくなるし、飲むことがもっと楽しくなるだろうなと思っています。
地域とともに生きていくブルワリー。次世代につなげていくためにできること
丹尾:「いわて蔵ビール」としては、今後の展望や課題はありますか?
佐藤:最近では、トマトのビールやリンゴのシードル、地場産麦芽で地コーラも造っています。あとは、たまたま地元のビアバーで出会った訪問医療に従事されている方と、患者さんでも飲めるノンアルコールビールを造ろうと開発しているところです。うちの設備でできることは、いろいろと試しています。
僕らはこの地域で100年以上お酒を造っていますが、これからもこの地域で生きてくなら、地域の人たちが必要とすることや、やりたいことに耳を傾けながら、事業とのコラボレーションをしていけたらおもしろいですし、お互いにいい関係が築けるのかなと思います。そして、これが地域で生き残るための鍵でもある。
例えば、うちで出た麦芽かすは近隣の乳牛の飼料として利用されているんですよ。その乳牛から搾られた牛乳が学校給食に使われています。酪農家さんたちからも「飼料の値が高騰しているので助かっている」と感謝の声をいただいています。
丹尾:あらためてお話をうかがっていると、ビールは嗜好品であると同時に、原料や人とのつながりを通じて地域に貢献できるプロダクトだなと感じました。
佐藤:ほかのアルコール飲料よりも自由度が高いので、いろんなことができますよね。
丹尾:「いわて蔵ビール」は味はもちろんですが、モノづくりへの姿勢や地域貢献の考え方にも、共感される方が多いんだろうなと思います。最近、長年自社での製造を停止していた日本酒の醸造を復活させたとのことですが、それも地域とのつながりからですか?
佐藤:日本酒の復活には意地もあったかもしれません。事業不振によりもう40年もの間、自社での清酒の製造を休止して、蔵を活かした別の事業により企業を存続させてきましたが、「世嬉の一酒造」と酒造を名乗っているのに…という気持ちはずっとどこかにありました。あともう一つは、孝紀さんがビール醸造にどっぷり浸かっているので、私は日本酒の醸造に取り組むことで自分の領域を作ることもできました。
ただ、ビールも日本酒も次の世代へどう引き継ぐかを考えているところです。孝紀さんと僕は、バルブを感覚で調節しながら煮沸の様子を経験で判断するみたいな、いわゆる非科学的な造り方で30年やってきました。それができるようになるには時間がかかりすぎる。そういうのは俺らで終わりだよねとよく話しています。次の世代はコンピューターで管理できるようにして、ちゃんとした味覚と考え方をしっかりつなげればいいかなと考えています。
丹尾:ブルワリーさんにお邪魔して話を聞くと、やはり次の世代へどう引き継いでいくかが共通の課題なんだなってすごく感じますね。
佐藤:実家に戻ってすぐの頃、「木内酒造」さんのところへビール造りの修行に行かせてもらったんです。「すみません、同業者なんですけど勉強させてください」と頼んで、1か月間学ばせてもらいました。後々、「あの時、なんで受け入れてくれたんですか?」って聞いたら、「おいしいビールを一つでも多く出すところがないと、この業界は良くならない」って木内さんがおっしゃっていて。その言葉を今でも思い出します。
僕は常にクラフトビールのブームが終わることを考えているので、その後の10年をどう生き残るかを考えていきたい。だからこそ、ブームやシェアに左右されずに、自分たちがどう生きたいか、何を造りたいかに注力したビール造りをこれからも続けていきたいですね。