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東北と歩んだ10年を振り返る。明日に向けて、私たちが今思うこと

2011年3月11日に発生した東日本大震災。

キリングループは東日本大震災の約3カ月後に「復興応援 キリン絆プロジェクト」を発足し、被災地の復旧・復興活動をはじめ、街づくりや地域支援に取り組んできました。

その10年にわたる活動のなかで、東北の人たちとの間に生まれた絆は、数えきれないほど多岐にわたります。

noteでは、「復興応援 キリン絆プロジェクト」を改めて見つめ、活動を通じて生まれたさまざまな“絆のかたち”にフォーカスし、4つのインタビュー記事を配信していきます。

そのプロローグとして、今回はプロジェクトの舵を取るキリングループ CSV戦略部 絆づくり推進室(現 地域社会・コミュニティ)の2人が、10年にわたる活動を振り返るとともにその先の未来を語ります。

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【プロフィール】 天野 亮
2006年、キリンビール株式会社入社。量販店部門のマーチャンダイザーとして店頭活動を担当した後、2007年から10年にわたり営業職に従事。2017年よりキリンホールディングス株式会社 CSV戦略部 絆づくり推進室(現 地域社会・コミュニティ)に所属。「復興応援 キリン絆プロジェクト」では熊本地震の復興支援や長崎県佐世保市の地域振興、「東北絆テーブル」の構築にも従事。

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【プロフィール】 中井公子
2015年、株式会社三越伊勢丹入社。伊勢丹新宿本店にて販売業務を経験した後、ラグジュアリーバッグのアシスタントバイヤーに従事。社内公募制度を利用し、キリンホールディングス株式会社 CSV戦略部への出向に手を挙げ、2019年4月からCSV戦略部 絆づくり推進室(現  地域社会・コミュニティ)に所属。「復興応援 キリン絆プロジェクト」に携わる。


被災地と向き合いながら考えた「CSVとは何か」

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― 2011年7月にスタートした「復興応援 キリン絆プロジェクト」。この舵取りをしてきたのは、お2人が所属するCSV(※)戦略部ですね。

※ Creating Shared Valueの略。(企業が社会と)共有できる価値を創造すること

天野:はい。私も中井さんもCSV戦略部にある「絆づくり推進室」に所属し、復興応援活動を行ってきました。私はもともと営業畑の人間で、CSV戦略部に配属されたのは2017年のことです。

配属当初は、目の前にある「震災復興」という大きな社会課題に立ち向かうことに精一杯。復興支援活動に携わりながら、CSVを実現することの難しさを感じていました。自分たちの活動がキリンにとってどんな価値につながるのか、うまく言葉にできずにいましたね。

中井:私はもともと三越伊勢丹の社員で、キリングループが掲げる「CSV経営」を学びたいという想いから、2019年4月に出向してきました。

いざ絆づくり推進室の一員として迎え入れていただいて、先輩たちからこれまでの震災復興活動について色んなお話を伺って、とても驚きました。「キリングループは、こんなにも東北、そして熊本地域に入り込んで震災復興活動をしていたのか!知らなかった!」と。

天野さんが配属された当時のことを私は存じ上げないのですが、どんな風に“難しさ”を感じていたんですか?

天野:そうですね。日々刻々と変化する被災地の状況に寄り添いながら、大きな社会課題を解決するために取り組んでいく難しさ、といいますか。大小色んな視点を持つことはもちろん、地域との連携、中期的な支援など…すぐに解決しないものばかりで。

それまで10年間営業職に従事して売上と向き合っていましたが、それとはまったく違う難しさがありました。営業と違って、復興支援活動には明確な数値目標がありませんから。

今、現地に必要なことは何か、将来を見据えた支援とは何なのか。たとえ自社の経済的な価値に直結しなくても、現地と向き合いながら、“企業の社会的責任”として取り組んでいく。そういったことが大切だと感じていたんです。

だから当時は、CSVを自分のなかで明確に“業務”として評価できなかった。そこにも葛藤がありました。CSVを実現することに対して悶々としていたし、当時きっと同じように感じていた社内の人間もいたのではないかと思います。

中井:そんな時期があったんですね。天野さんのなかで、どんな変化があったんですか?

天野:実際に被災地を訪問したことがきっかけですね。被災地の方々と直接向き合うことで、現地が求める復興支援のニーズと、自社の事業の強みを活かしてどんな貢献ができるかがだんだんと見えてきました。それと同時に、キリン社内の人たちに、その活動を伝えることも私の役目になったんです。

当時のCSV戦略部には営業経験者が少なかったこともあって、私が入ったことで、社内のハブになれたような気がします。「復興支援と事業をつなぐ」ことの重要性を伝える。それは、社内における絆づくりともいえるかもしれません。

被災地の姿から浮き彫りになった、日本の課題

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― 中井さんも被災地へ行ってボランティアを経験したんですよね。

中井:はい。出向後、私が最初に従事したのが「復興応援 キリン絆プロジェクト」の一環で行っていたボランティア事務局だったんです。私は熊本地震の被災地を訪れましたが、ボランティアに集うグループ従業員の皆さんの熱量に驚かされましたね。そして何より印象的だったのが、訪問した現地の方々とキリングループとのつながりの深さです。

毎年のようにボランティアにお邪魔していた訪問先でのことです。現地の方が「キリンの皆さんが来てくれるのを毎年楽しみにしているんですよ」と、涙ながらにお話してくださったことがありました。その時に思ったんです。あぁ、これが絆だ、と。当時のことは今でも鮮明に覚えています。

私も天野さんと同じように、現地を訪れたことで、今まで先輩方が継続してきた「復興応援 キリン絆プロジェクト」を通じて生まれた絆の深さを感じることができたんです。

天野:中井さんの言う通り、被災地とキリングループの絆は、震災直後から前任の先輩たちが育んできたものです。「復興応援 キリン絆プロジェクト」は東日本大震災をきっかけにスタートしましたが、2011年7月の発足から3年間に約60億円を拠出して、さまざまな取り組みを行ってきました。

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天野:そもそも私たちが復興応援活動をスタートさせたのは、東日本大震災で自社のキリンビール仙台工場が被災したことがきっかけでした。一時的ではない“持続可能”な支援を大切にしてきたのも、当事者意識があったから。

そのなかで私たちキリングループが気づいたことのひとつが、「未来への課題」です。東北の被災地ではハード面の復興が進むにつれ、過疎化や次世代の担い手不足といった地域に元々あった潜在的な課題が浮き彫りになりました。でも、実はそれは東北だけの問題じゃない。震災の被害によって、ほかの地域よりも先に課題が顕在化しただけで。

こうした社会課題に直面しながらも持続可能な支援として活動するにはどうすべきか。結果として出した結論は、「私たちが持っている強みによって社会課題を解決すると同時に、私たち自身も経済的な価値を創出する」というCSVの考え方です。そして2013年にキリンはCSVに舵を切ることになります。

中井:CSVを実現するには何をすべきなのか。私はキリングループに出向するまで、具体像を見出せずにいました。それを学ぶためにキリンに出向しましたが、その結果として、答えを得られたような気がしています。

まずは私たち1人ひとりが社会課題に目を向けること。そして、個々の意識と行動がひとつに結びついた時に絆が生まれ、その絆がCSVを実現するための大きな原動力になるのではないか、と。

絆からコミュニティが生まれ、一丸となって課題に向き合える

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― 中井さんは「現地を訪れたことで『復興応援 キリン絆プロジェクト』の絆の深さを感じることができた」と話していましたね。

中井:はい。その深さを感じることができたのは、今までの復興支援活動が一時的な支援で終わらず、この10年間キリングループの社員が何度も現地を訪れ、地域に寄り添い続けてきたからだと思うんです。つまりは継続性ですよね。

天野さんの言う通り、継続性を可能にしたのが「CSV先進企業になる」という、キリングループの強い企業姿勢。継続することで絆は育まれます。

辞書に倣えば、「絆=断つことのできない人と人とのつながり」のこと。人と人とがつながればコミュニティができ、そこにエネルギーが生まれて、1人では立ち向かうことのできない社会課題にも向き合えるはずです。

“絆”という言葉だけ聞くと、きれいごとに聞こえるかもしれません。でも、人と人との結びつきが未来に向かって進む力をくれることを、私たちは実感してきました。

天野:出向から2年の中井さんにここまで感じ取ってもらえたとは、先輩冥利に尽きますね。そして「復興応援 キリン絆プロジェクト」の継続性から生まれた絆をさらに発展させたのが、2019年にスタートした「東北絆テーブル」です。

―「東北絆テーブル」、どのようなプロジェクトなのでしょうか?

天野:「復興応援 キリン絆プロジェクト」を通じ、東北各地にいくつもの事業が誕生しました。数にすると農産業48件、水産業47件にのぼり、各プロジェクトにあらゆる業種の人たちが関わっています。その関わり、つまりはプロジェクトを通じて育まれた絆を継続させ、さらに深化させるためのプラットフォームが「東北絆テーブル」です。

ただ、東北に生まれた事業をより地域に根付かせるには、キリン主導ではいけません。現地の人や現地の企業がリーダーシップを取り、主導していくことで真の自走化が実現します。

復興支援の考え方として、最終的には「被災地が自走することが重要」であるはずだと、キリンはこの10年間に、ハードからソフト(6次産業化、ブランド化)、人材育成、そして自走化の仕組みづくりを行ってきました。

そこで今年中を目処に「東北絆テーブル」の法人化を実現し、以降はビジネスパートナーとして対等に連携していけたら、と。そこにキリングループもひとつの企業として関わり、引き続き絆を育んでいくイメージです。

中井: かつてはプロジェクトごとにバックアップをしていたキリンが、今度はビジネスパートナーになる。そのビジネスから事業が拡大し、消費者の皆さんに向けて何かを生み出すことになれば、さらに1歩、大きく前進しますね。

全国に仲間がいるような、よろこび。その想いが強みになる

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― 中井さんは2021年3月に出向を終えますが、どんなことを持ち帰りますか?

中井:そうですね。コロナ禍の今、百貨店のみならず、多くの企業が苦境に立たされています。でも、そんな時こそ“課題に目を向け、社会をより良くしていく志を持つことが大切“だと、キリングループへの出向経験から学びました。また、そのためには「人と人とのつながり」がとても重要であるとも感じています。

私がまずできることは、いつも三越伊勢丹をご愛顧いただいているお客さまや、キリングループをはじめ百貨店に商品を届けてくださるお取組み先さま、その先にいる原料生産者の方々…そして、もちろん従業員も一丸となって、さまざまな場所でたくさんの“人と人との絆”を育んでいくこと。

こんな時だからこそ、これからの未来につながると信じて、人とのつながりを大切にしたいと、改めて想っています。

天野:中井さんの熱い想い、そして「人とのつながりを大切にしたい」という言葉から、改めて実感しました。「復興応援 キリン絆プロジェクト」に携わって、私自身も「人とのつながり」を深く考えるようになったな、と。

中井:天野さんは私の何倍も多くの人たちと出会ってこられましたもんね。

天野:だからかもしれません。日常の買い物をするにも産地を見てしまうし、そこで東北産の食品を見つけると、活動をご一緒した方々の顔が思い浮かぶんです。まるで、全国各地に仲間がいるような感覚というか。仲間の存在こそが、「復興応援 キリン絆プロジェクト」を通して育んできた絆ではないかと、そう思っています。

この絆を大切にして、さらに大きなコミュニティへと発展させていくことが、私たちが目指す「よろこびがつなぐ世界へ」というコーポレートスローガンにもつながるはず。

そして、この想いをキリングループが一丸となって抱くことが、CSV先進企業を目指す私たちにとって、またとない強みになると思うんです。

手探りの状態からスタートした「復興応援 キリン絆プロジェクト」は、現在もさまざまに形を変えながら広がり続けています。今回の特集では、そのなかから4つの絆のエピソードをご紹介していきます。

振り返ってみると、東北の地に関わりを持つ多くの方々とともに、夢中で走ってきた10年でした。立ち止まってしまいそうな時も誰かと手をつなげば前に進めることを、実感した10年でもありました。

でも、まだゴールは見えません。むしろこれから先も、いろいろな困難が待っているかもしれません。

東日本大震災から10年を迎える2021年、先日2月13日に福島県沖に起こった最大震度6強の地震。そして、コロナ渦で飲食業界をはじめ社会全体も、まだまだ多くの課題を抱えています。

だからこそ、今改めて私たちの活動をここに残すことにしました。それは、ただ過去を振り返るためではありません。

東北で起こったこと、想いや体験を伝えることで、これから先の未来にわずかでも光を射すことができたら、と願っています。

▼東北とともに歩んだ10年間

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