遠野産ホップを地元の誇りに。ホップ収穫祭を通して生まれた地域との絆【#日本産ホップを伝う】
日本産ホップの一大生産地である岩手県遠野市で、毎年8月に開催されている「遠野ホップ収穫祭」。
実際にホップに触れ、みんなでホップの収穫を祝い、ビールのおいしさを分かち合うこの祭りは、2015年の開始から年々参加者を増やし、昨年は12,000人もの方々が会場を訪れ、今や遠野を代表するイベントになりました。
今年は残念ながら、コロナウィルスの影響で中止を余儀なくされてしまいましたが、これまで歩んできた道のりについて、5年前に企画を立ち上げた浅井隆平と佐藤鉄に話を聞くことができました。
長年に渡りホップの生産を続けてきた遠野市が直面している問題や、地道なエリア営業によって築かれた地元の方々との関係、そして来年以降の遠野ホップ収穫祭に向けた展望など。遠野市とキリンビールが共に育んできた日本産ホップの今をお伝えします。
ホップ生産を遠野市民の誇りに。チームで作り上げた「遠野ホップ収穫祭」
─はじめに、お二人の遠野との関わりを教えてください。
佐藤:僕は今キリンの北東北支店にいて、遠野の料飲営業をしています。2011年1月に初めて遠野に配属されて一時は別のエリアに異動したんですが、自身の希望も叶ってまた遠野に戻ってきました。
ビール会社の料飲営業の業務はさまざまありますが、一般的な仕事は酒販店さまや飲食店さまを回って、「こういう商品が出ましたよ」と新商品をご紹介したり、商品を活用した飲み方をご提案したりするのが仕事です。そのときに話すのは商品自体のことが中心となることが多く、ビールの原料を作っている生産者さんのことにまで話が及ぶケースは滅多にありません。
でも、遠野ではホップ農家の方と直接会ったり地元ブルワリーと話すこともある。自分が売っている商品のことを深く理解できるのは、遠野ならではの魅力だと思います。
浅井:僕は2013年の夏から遠野に関わりはじめました。キリンが東日本大震災の後にスタートさせた、キリン絆プロジェクト(※)の次世代農業経営者育成プログラムに参加していたんです。
そんななかで、遠野市からホップ農家の深刻な後継者不足に悩んでいるという相談を受けて。それがホップと関わるようになったきっかけです。
─遠野市とキリンビールは、どういった関係性なのでしょうか?
浅井:遠野市とキリンビールは「遠野産ホップや食材をPRする活動」として、2007年から「TK(遠野×キリン)プロジェクト」というのを進めています。ホップ畑の見学や遠野名物のジンギスカンとビールを楽しむバスツアー、遠野産ホップを使った『一番搾り とれたてホップ生ビール』の初飲み会などを開催していました。
ただ、そういった取り組みもマンネリ化しているところがあって、遠野市としてもキリンビールとしても新しい試みをしなくてはという想いがあったんです。
─ホップを盛り上げるための新たな施策を。
浅井:はい。それで、あらためて遠野の状況を見たときに、市民の方が地元産ホップに誇りを持てていないんじゃないかと思ったんです。
バスツアーは、市外からきてくれたお客さまにとって素晴らしい体験になると思いますが、それによって遠野市民の方が自分のまちを誇りに思えるかといえば疑問が残る。『一番搾り とれたてホップ生ビール』も、発売時にはワッと話題になるんですけど、期間限定商品なので一時的な盛り上がりなんですよね。
─なるほど。
浅井:そういうことを遠野の営業担当だった鉄さんや市役所の方と話しているなかで、今必要なのは「遠野市民が、このまちにホップがあってよかった」と思ってもらえるシーンを作り出すことだと思いました。それを実現するための、一つのアイディアとして立ち上げたのが、「遠野ホップ収穫祭」の企画です。
浅井:そんな話をしていた翌月にはメディアに向けて「8月に遠野ホップ収穫祭をやります!」と発表したんです。その段階ではまだ具体的な中身はほぼ決まっていなかったんですけどね(笑)。
でも、幸いにも僕はイベント運営の経験があったし、協力してくれる方々もいたのでなんとかなると信じていました。
浅井:ホップ収穫祭をやると宣言したものの、開催まで残されていたのはわずか3か月。そんな短い準備期間でやれるのかと、疑いの目で見ていた人もいたと思うんです。
でも、一緒にTKプロジェクトに携わっていた市役所の方が、不安の声を僕らに感じさせないような防波堤になって、「やろう!やろう!」って背中を押してくれたんですよね。そこで市の方たちと僕らが、本当にチームになれた感覚がありました。
佐藤:その市役所の方が、「今のメンバーなら実現できますよ!」と鼓舞してくれたのは、今でもよく覚えてます。
みんなホップ収穫祭の次にある、「ホップの里から、ビールの里へ」という目標を見据えていたし、真面目なだけでなく、笑いながら話ができる間柄になっていたので本当にいいチームでした。
浅井:それも、鉄さんが営業担当者として、地道に遠野市役所との関係づくりを続けてくれていたおかげです。日頃からしっかりコミュニケーションをとっていたからこそ、いい関係、いいチームワークを築くことができたんだと思います。
まちの人たちを前向きに巻き込んだ営業の底力
─何もかもが手探りの状態で開催した第1回の遠野ホップ収穫祭は、どんな様子だったのでしょうか?
浅井:結果的に初回の2015年は大ゴケで、二日間の来場者数は2,500人でした。それ以上に問題だったのは、使った予算に対して赤字になってしまったこと。実行委員会の中には、「来年はもう無理だな」という声もありました。
佐藤:ホップ収穫祭の入場券代わりになるカップが初年度は大量に余ってしまって。当然、ビールも余ってしまいました。
浅井:収益的に見れば大ゴケだったんですけど、得られたこともたくさんあって。特に大きかったのは、市内の酒販店様やホップ農家さんの協力を得られたことです。ホップ収穫祭でビールを注ぐコーナーには、遠野市内にある4つの酒販店さまたちが順番に手伝いに来てくれたんです。
─お客さんがビールを注ぐのを手伝ってくれたんですか?
浅井:はい。これも、鉄さんがまちの酒販店様たちと接点を作ってくれたお陰です。酒販店さまからしてみれば、ホップ収穫祭はお酒を卸している飲食店さまのお客さまを奪うライバルにもなりかねないので、最初は受け入れてもらえるか不安もあったんです。
でも、鉄さんが収穫祭を開催する意味をしっかりと飲食店さまに説明してくれたり、「イベント後にはお客さまがまちに出ると思うので、そのときはぜひ受け入れてくださいね」と伝えてくれたんです。その地道な活動のお陰で、酒販店さまの協力を得ることができました。今では、収穫祭の日は営業をせず常連のお客さまと一緒に遊びに来る飲食店さまも。お店の方にも楽しんでいただけるイベントになってきたんですよね。
─営業のお仕事って、そういうことまでするんですね。
佐藤:これまで営業として遠野のみなさんと築き上げてきた信頼関係を崩したくなかったし、地元の人も一緒に盛り上がれるようなイベントにしたかったので。「キリンがお客さまを奪いにきた」という間違ったイメージを抱かれるのだけは避けたかったし、それをしっかり説明するのは自分にしかできない仕事だと思ったので。
─たしかに。それは、日常的にまちの酒販店さまや飲食店さまとコミュニケーションをとっている佐藤さんにしかできない役割ですね。
佐藤:だから、ホップ収穫祭にご協力していただけたり、イベント自体を楽しみにしてくれる方々がいるというのは、本当にありがたいことだなと思っています。収穫祭は、市民のみなさんと一緒に作り上げるイベントですから!
遠野のホップ農協からキリンの醸造家へのバトンパス
─遠野ホップ収穫祭と、地元のホップ農家の関わりについても聞かせてください。
浅井:収穫祭では、遠野のホップ産業や、そこで作られたホップについて、遠野市の方々に知ってもらうことにこだわっています。会期中はホップの収穫時期なんですけど、オープニングではホップ農協の組合長に挨拶をしていただいたり、若手の新規就農者にステージ上で自己紹介をしてもらったりしています。
それと、すごく大事にしているのがホップのバトンパス式です。初日の朝、地元の小中高生たちにホップ畑へ来てもらって、そこでカゴいっぱいの毬花を手摘みしてもらうんですよね。それが会場に届けられて、ホップ農協の組合長から、キリンの醸造家に手渡されるところからホップ収穫祭がはじまるんです。
─それは「ホップの里から、ビールの里へ」というビジョンを象徴するような光景ですね。遠野でとれたホップとともに、おいしいビールを造ってくださいというメッセージが手渡されると。
浅井:そうなんです。ホップの作り手からビールの造り手に原料を渡す姿を見てもらうことで、遠野のホップで『一番搾り とれたてホップ生ビール』が作られていることを遠野市のみなさんに伝えたいと思ったんです。
佐藤:そのバトンパスを見て、僕はあらためて実感しました。「ビールは農業なんだ」と。
浅井:あとは、会場の入り口に5mのホップの蔓であしらったゲートを作ったり、生のホップを割って香りを体感いただくコーナーを作ったり、会場とホップ畑を行き来できるバスを走らせたりもしています。
─会場でホップに触れ、ビールを楽しみ、興味があれば畑も見学できる。すごく楽しそうですね!
浅井:「自分のまちで作られたホップを通じて、遠野市民の誇りを醸成する」ことを実現するためのコンテンツを詰め込もうと思って。とにかく、遠野市のみなさまに「我がまちにホップがあって本当によかった!自分たちのまちって、こんなに魅力的なんだ!」ってことを感じてもらうための仕掛けをたくさん考えたんですよね。
─こういうイベントを通じて、ビール造りの背景を覗くと『一番搾り とれたてホップ生ビール』の発売もますます楽しみになりますよね。
浅井:そうですね。収穫祭が行われる前は発売時期にだけ盛り上がっていたものが、ホップ畑から製品になる過程を見てもらうことによって、発売前から『一番搾り とれたてホップ生ビール』を楽しみにしてもらえるようになりました。
─そういう場面に立ち会っていると、飲んだときの味わいも変わるでしょうね。
浅井:会場でホップ農家さんの顔を見た方や、ホップ畑に訪れた方は、『一番搾り とれたてホップ生ビール』飲むときに思い出すと思うんです。それってすごく豊かな体験ですよね。
─先ほど佐藤さんがおっしゃっていた「ビール造りは農業だ」というのを、きっとお客さんも実感することになりますよね。
遠野の人たちが待ち望むイベントになった収穫祭の中止と今後の展望
─初回の2015年は2,500人だったホップ収穫祭の来場者は、昨年の第5回には12,000人にまで増えました。この5年間で感じている変化があれば教えてください。
浅井:最初は、ホップを通じて遠野市民の誇りを醸成することを目的にはじまったお祭りでしたが、回を重ねるごとに全国のビール好きの方々が遠方からも来てくれるようになりました。
それによって、ビールを楽しむために、こんなにたくさんの人が全国各地から遠野へ来てくれるってことを実感した地元の人は増えてきたと思います。しかも、ホップ収穫祭に参加したことをきっかけに、遠野にUターン移住してきた人もいるんです!
─着実に、市民の方々の誇りが醸成されてきているんですね。しかし、残念なことに今年はコロナウィルスの影響でホップ収穫祭が中止となりました。まちの方々は、どのような反応でしたか?
佐藤:最後の最後まで「今年はやらないんですか?」とか「規模を小さくしてもいいからできませんか?」という声が遠野の方々から上がりました。酒販店さまも、楽しみにしてくれていた方が多かったですし。
─それくらいみなさんが待ち望むイベントになっていたんですね。
浅井:僕らも先行きの見えない日々にもどかしさを感じながら、ギリギリまで縮小してでも開催するプランを練っていたんです。みんな、やらないという選択肢は選びたくなかったので。
でも、2週間先には状況が変わっているような状況でしたから、最終的には中止という判断になりました。
浅井:そこからは、人が集まるリアルイベントができないなかで、どうやってお客さまとつながるかを考えました。そこで「ビールの里チーム」で考えて出した一つの答えが、遠野のビールと食材を組み合わせた『TONO HOP BOX』(※)の製作です。
外出できない状況下でも、遠野の旬が楽しめるものを集めて、遠野の今がわかるメッセージを添えて、「 #いつかホップ畑で会いましょう 」という未来への約束も込めたギフトボックスを作ったんです。ありがたいことに多くの反響をいただいて、第1弾は完売することができました。
─収穫祭の開催日には、オンラインイベントもされていましたよね。
浅井:そうですね。毎年会場になっているこの場所から、収穫祭のユニフォームを着て配信を行いました。何もない芝生を映して今年の収穫状況を伝えたり、収穫祭の実行委員や遠野の事業者に出演してもらって、未来の話をしたりもしました。
─形は違いますが、それは収穫祭でやろうとしていたことと地続きになっている取り組みですよね。
浅井:今年は収穫祭の感動はなくても、今のビールの里の様子を発信することが大事だと考えていたので、やれてよかったなとは思います。
─まだまだ先行きの見えない状況ですが、来年の収穫祭に向けての展望があれば聞かせてください。
佐藤:コロナの影響によって、遠野でも多くの事業者さんが本当に苦しい状況に直面していますが、雨降って地固まるというか、苦境を迎えて結束が強まりそうな予感もしています。だから、なんとか苦しい状況を乗り切って、今まで以上にALL遠野として団結して、パワーアップしたホップ収穫祭をできるといいなと思っています。
たとえば、遠野名物であるジンギスカン屋さんの方々に参加してもらうなど。新しいお客さまにも来ていただけるし、何より遠野全体が盛り上がるようなイベントになると思うんですよね。そういうふうに、これを機に変わっていけたらいいですね。
─ジンギスカンとビール。それは想像しただけで楽しみですね!
佐藤:そんな風にやりたいことがどんどん浮かんでくるので、正直、この場所ではもう収まりきらないんです。だけど、ここでやることにはこだわりたくて。
まちの中心地で、駅から歩いて来られて、観光の見所もある。さらに、イベント後には、お客さまが近くの飲食店さまを訪れてくれるっていうのは、この場所でやるからこそのメリットなんですよね。だから、問題を解消しつつ、来年もこの場所でホップ収穫祭を開催できたらなと思っています。
浅井:僕はコロナの状況が見えないなかでも、ブレずに遠野市民がホップに誇りを感じる瞬間を増やしていきたいなと思っています。ホップが絶えてしまったら、「ホップの里から、ビールの里へ」というビジョンも消えてしまうので。
今、遠野のホップ生産現場は、未来に向けて大きな舵取りをするタイミングにきています。ホップ収穫の際に使用する機械・施設の老朽化という問題を抱えていて、持続可能な生産体制についてより踏み込んで考える必要があります。
そういう時期に収穫祭ができなくなったのは、「絶対になくしてはいけないものに、もっと注力しなさい」って言われているような気もするんですよね。
─日本産ホップの未来を見つめ直すいい機会だと。
浅井:そう思います。その過程もSNSでしっかりと発信をして、遠方からでも遠野に関われるような機会を作っていかなきゃなと思っているので、今はそこに注力したいですね。もちろん、来年のホップ収穫祭では、またこの場所で最高の乾杯をしたいと思っています。
次回は、遠野産ホップを使用した『一番搾り とれたてホップ生ビール』の誕生物語。商品開発を担当した山田精二にインタビュー。
商品ができるまでの道のりや遠野市との関わりについてお聞きします。
次回もお楽しみに。