地域とKIRINの挑戦。日本産ホップを通じた新しいビアカルチャーの創造へ
「日本産ホップを通じて、遠野から日本の新しいビアカルチャーを創造したい」。そんな想いを胸に抱き、農業、人材育成、観光など、さまざまな面からビールと向き合っている人物がいます。
彼の名前は、浅井隆平。KIRINのCSV戦略部 絆づくり推進室に所属する社員です。
CSVとは、「Creating Shared Value」の略で、「社会と共有できる価値を創造する」という考え方。社会課題への取り組みによる「社会的価値の創造」と「経済的価値の創造」を両立させ、企業価値向上を実現することを目指しています。
現在KIRINでは、CSV活動の一つとして、ビールの原料になる日本産ホップの生産量減少という問題に取り組んでいます。
日本産ホップの生産量減少の背景には、ホップ農家さんの高齢化による離農や、新規就農者の減少という社会課題がありました。「ビール造りに欠かせないホップと、それを育てる農家さんを守り、お客さまによろこばれるビールを造り続けるためには何をすべきだろうか?」。
そんな問題意識からスタートしたKIRINのCSV活動について、「ホップの里」として知られる岩手県遠野市を「ビールの里」にするというプロジェクトを進めている浅井に話を聞いてきました。
社会課題を解決しながら企業としての事業価値も生み出していく、CSVという取り組み
ー浅井さんが所属されている「CSV戦略部 絆づくり推進室」という部署について教えてください。こちらはどのようなことをされている部署なのでしょう?
浅井:CSVというのは、簡単にいうと自社と関連性の高い社会課題に対して、事業を通じて解決に取り組んでいくという活動です。僕たちは、その戦略部として、KIRINが事業を通じて、どんな社会課題に取り組めるかを考えています。
今ではCSVに取り組む企業も随分増えましたが、KIRINにCSVの部署ができたのは2013年で、日本ではかなり早いタイミングでした。
ーCSVに取り組むことになった背景には、どのような考えや意図があったのでしょうか?
浅井:社会にとって必要とされる会社であり続けるためには、どのような企業であるべきかを考えるようになったということですね。
これは僕なりの解釈なんですけど、2100年には人口が5,000万人になるともいわれている日本で、KIRINはそのときに何のために存在していて、どういう商品やサービスをつくり、お客さまはどんなベネフィットを得て、「日本にキリンが在り続けてくれてよかった」と思っていただけるかというのは、今いる社員から考えていかなきゃいけないことだと思うんです。
ーこれから先も社会にとって必要とされ続ける企業であるために。
浅井:そうですね。なんだか難しそうに捉えられがちですけど、本当はとてもシンプルで、「今から未来を見据えて、社会の課題にも向き合いながら、お客さまにとって必要とされる企業であり続ける」ということなんです。そういうイメージを、社員一人ひとりが持っておくことが重要だと思っています。
浅井:とはいえ、最初は僕も「CSVって何?」という状態でした(笑)。CSV戦略部に配属される前は4年ほど違う部署に出向していまして、KIRINに戻ったときには、浦島太郎状態だったんです。KIRINが今どんなことを考えて、何を目指しているかっていうのがわからなくて。最初にCSVって言われたときには、「コンビニ担当ですか?」って思ったくらいで(笑)。
一同:(笑)。
浅井:よくよく聞いたらまだ新しい部署で、その中には「復興応援 キリン絆プロジェクト」というチームもあって、当初は東日本大震災の復興支援を行うチームに配属なりました。それで僕は、KIRINが主催する「東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト(以下、農業トレセン)」に参加することになったんです。
そこで僕は、東北の農業経営者と東京のビジネスパーソンが、お互いの経験やスキルを持ち寄ることで、新しい農業の形を見つけるプロジェクトに取り組むことになりました。
農業経営とビジネスパーソンをつないだ「農業トレセン」
ー農業トレセンでは、具体的にどのようなことをされていたんですか?
浅井:農業トレセンは、単なる学びの場ではなく、必ずアウトプットを出すことになっているんですよね。そこで僕と一緒にプロジェクトを立ち上げたのが、岩手県の遠野市で農家をされていた吉田敦史さんでした。
吉田さんは、もともと東京の大手広告代理店に勤務していたこともあって、ビジネス的な感覚で農業を捉えている方だったんです。それでなんとなく感覚が合うなと思って話をしていたら、スペインでビールのおつまみとして親しまれているパドロンという野菜をつくっていることを知って。実際に、見学させてもらいに行きました。
浅井:パドロンを食べさせてもらったらすごくおいしいし、 なによりホップの産地でビールに合うおつまみ野菜を作っているというのが、おもしろいなと思って。CSVの観点から考えたときに、キリンビールが半世紀以上も、契約栽培をしているホップの一大産地、遠野でパドロンという野菜をブランド化していくことはすごく意味があることかもしれないと思ったんです。
それで吉田さんや、「丸の内朝大学」のメンバーと一緒に、「遠野パドロンブランディングプロジェクト」というのを立ち上げて、デザイナーのメンバーとロゴを作ったり、ブランド名を『遠野パドロン』と定めたり、マーケターのメンバーとプロモーションを考えたりしていきました。当時は業務外のプロジェクトとしてやっていたので仕事のあとにみんなで集まってやっていました。
ーそれぞれの特技を活かしてプロジェクトを進めていったんですね。
浅井:はい。そのあと、遠野パドロンをビールのおつまみ野菜として売っていこうというフェーズになり、どうやって販路を拡大していこうかという話になったときに、「これは、いよいよKIRINの出番だな」となりまして(笑)。
浅井:そこでまず、生産者の想いが詰まった食材を使ったメニューを提供している『キリンシティ』にプレゼンをしに行ったんです。「グループ会社だから使ってよ」ということではなく、ちゃんと作り手の想いを伝えて、お互いに納得のいく形で取り扱ってもらいたかったので、しっかりと提案書も作りました。
その熱が伝わって『キリンシティ』で『遠野パドロン』を取り扱ってもらえることになり、その結果KIRINの社員が『遠野パドロン』を口にする場ができて、ようやく僕がやっていることが社内で理解してもらえるようになったんです。
ー浅井さんが何をやっているかということが。
浅井:はい。それまでは、「浅井は農家になったの?」とか言われていましたからね(笑)。
仲間がほしかったから、夢を語り続けた
浅井:多くの方の協力によって。『遠野パドロン』は徐々に知られるようになっていったんですけど、そうした最中に遠野市から吉田さんに「ホップも栽培してくれないか」という話がきたんです。
遠野は日本産ホップの一大産地ですが、高齢化による離農者も増え、担い手不足が深刻化していて、テコ入れが必要な状況に立たされていたので。
ーホップ産業が廃れつつある現状を、『遠野パドロン』を盛り上げた実績のある吉田さんに打破してもらいたいと。市から直々にご指名があったんですね。
浅井:そうなんです。「あなたたちは東京のビジネスパーソンとのネットワークで、遠野に存在しないリソースを集めてプロジェクトが推進できる。そのやり方を、ホップの未来に注いでくれないか」という話だったんです。
だけど、僕は吉田さんにやめたほうがいいと言いましたね。
ーやめた?なぜですか?
浅井:まだ『遠野パドロン』のプロジェクトがはじまって1年くらい。やっと『キリンシティ』での取り扱いも決まり、「さぁ、これからだ」というときだったんです。だから、今は遠野パドロンに集中しようと言いました。ホップを始めるのは、2〜3年後でもいいじゃないですかって。
ーなるほど。事業を広げるのではなく、まずは『遠野パドロン』だけに集中しましょうと。
浅井:ええ。だけど、結果的に吉田さんは「俺はやる」と決心したんですよね。
やっぱり吉田さんも東京から移住してきて、どこかよそ者として見られている感覚があったんだと思うんです。そんな中で、市が遠野にとって重要な作物の未来を託してくれたというのがうれしかったみたいで。
ー地域の課題を解決し、なおかつ自分たちの事業価値も生み出すというスタンスって、まさにCSV的な考え方ですよね。
浅井:そうなんです。だから、それを聞いたとき、僕も腹くくりますと伝えました。実は僕も岩手出身なので、やるからには徹底的に取り組もうと。
浅井:ただ、いきなりホップの栽培を始めるといっても人手が足りないじゃないですか。ホップ農家さんの高齢化による離農や、新規就農者の減少が深刻化している状況だったので。そこで僕たちは、農業に興味のある人が集まる「新農業人フェア」というリクルートの場に出向いたんです。
ー遠野に移住して、ホップ農家になってくれる人を探しにいったわけですか。
浅井:そうですね。そこで、僕らは現状を悲観するような話は一切せず、夢を語り続けました。
「遠野は“ホップの里”と呼ばれているが、これからはブルワリーを創設するなど、“ホップの里”から“ビールの里”になることを目指している。そのために、僕たちは“仲間”を探しに来ました」と。その結果、埼玉から1名が遠野にやってきてくれることになったんです。
浅井:そういう地道な活動の甲斐あって、今では12人の若者が遠野に移住してきて、ホップ農家として活躍しています。
彼らに「なんで遠野を選んでくれたの?」と聞くと、「ホップが魅力的だから」とか「作った分は全量買取だから」といった理由ではなく、「遠野に行ったら、“仲間“ができるってわかったから」って言うんですよね。
ー仲間ですか。
浅井:たぶん、それが本質的な課題なんです。縁もゆかりもない場所に移住する怖さって、行った先で仲間ができるかどうかなんですよ、きっと。だけど、新農業人フェアみたいな場で、「この町に行けば仲間はできますか?」なんて聞けないし、人にもなかなか相談できないじゃないですか。
僕らが夢を語ったのは、結果的に移住希望者の心の課題を解決していたんだなと、あとになって気がつきました。
ビール大国ドイツより、40年も遅れていた日本のホップ栽培技術
ー12人の移住者の方がやってきてくれて、遠野のホップ産業は盛り上がってきているという実感はありますか?
浅井:いや、まだ道半ばですね。後継者不足を一時的に食い止めたというのは、一つの成果ですけど、栽培面の課題がまだまだで…。当初からいろいろと施策は考えていたのですが、若い農家さんのやる気を活かせない状況が続いていました。
浅井:自分たちのやり方だけじゃダメだということが決定的になったのが、吉田さんとドイツのホップ畑へ視察に行ったときでした。
今、遠野では33戸のホップ農家さんが、合計25ヘクタールの畑で作付けをしています。だけど、ドイツのハラタウというホップの産地では、3人家族で25ヘクタールの畑をやっていたんです。
ー遠野全体でやっている規模感の栽培を、たった3人で。
浅井:そうなんです。要するに、機械化、高度化が進んでいるんですよね。
街にはホップの博物館があって、栽培の歴史が展示されていたんですけど、僕らが遠野でやっている作業って、ドイツでは40年前にやっていた作業と同じだったんですよ。それを目の当たりにしたときに、完璧だと思っていた僕らのやり方が一気に崩れたんです。
ー40年遅れの農業…。今のままじゃ生産量も上がらないし、農家さんが稼げないと、新たな作り手も生まれてこないと思わされたんですね。
浅井:ええ。生産者の数を維持することも大事だけど、それと同じくらい一人あたりの栽培量を増やす方法を考えるのは重要なんだと痛感しました。
そのためには、僕らだけの力じゃどうにもならないと思ったんです。棚の設計を変えたり、ドイツの機械を購入するためには、ある程度の出資者や融資が必要だなと。それで、吉田さんと一緒に、「BEER EXPERIENCE社(以下、BE社)※」という農業法人を立ち上げたのが、2018年のことでした。
ホップづくりとクラフトビール。二つの方向から描く日本のビアカルチャー
浅井:BE社の命題は、「サスティナブルな日本産ホップの生産体制の確立」。そして、日本における新しいビアカルチャーの創造です。遠野を“ホップの里”からもう一歩踏み出した「ビールの里」にしたいんです。
ー具体的には、どのようなことをされているのでしょうか?
浅井:まず機械化、効率化が可能なドイツ式のホップ畑を作り、『MURAKAMI SEVEN』という品種を育てています。まだ若い株ですが、数年後には立派なホップが収穫できるはずです。
それと遠野市内にあるブルワリーと協力して、フレッシュホップを使ったクラフトビールなどの製造も行っています。
浅井:栽培や収穫とは別に力を入れているのは、ビアツーリズムです。農業法人で観光をやっているところって少ないんですけど、やっぱり体験って、その人のビール観を変えると思うんですよ。
例えば、ホップ農家さんの畑を見学すると、ビールを飲むときにその人の顔や情景が浮かぶじゃないですか。それって、単純にビールがおいしくなるし、ビールに対する考えを一段上に上げるきっかけになると思うんですよね。
ー確かに収穫の現場を見せていただくと、香りや味だけでなく、造られた背景まで含めてビールを楽しめるようになりますよね。
浅井:そうなんですよ。それは、結果として日本産ホップに光をあてることにもなると思うんです。
そうやって、BE社だけではなく、遠野だけでもなく、いずれは日本全体のホップが盛り上がっていけばいいなと思っています。
浅井:僕は、日本のビアカルチャーはまだ未成熟だと思っていて、それはワインと比べるとよくわかるんですよね。
ワインだと、ソムリエやワインアドバイザーの資格を持っていない人でも、「牡蠣にはシャブリだよね」みたいな話をしてたりするじゃないですか。僕は、それがビールの世界でも起こると思っているんです。
ー資格を取るまでいかない層でも、ビールの違いを楽しめる人が増えるというか。
浅井:はい。世界には100種類以上のビアスタイルがあって、ホップの種類だってたくさんある。その組み合わせの豊富さが知られていけば、自然とビールに対する日本人のリテラシーは上がっていくと思うし、選ぶ楽しさも増えていくと思うんです。
スーパーマーケットでワインが産地やブドウ品種ごとに並んでいるように、いずれはビールの棚もビアスタイルやホップの品種ごとに分けられるようになっていくはずだと思っています。
ーそうなったら、毎日のビール選びも楽しくなりますし、興味を持ってくれる人も増えそうですね。
浅井:そう思います。逆にいうと、ビアカルチャーはまだ未成熟だからこそ、伸び代だらけだとも思っていて。ワインでいうところのテロワールみたいに、畑の格付けとか、その土地ならではのホップの栽培も可能だと思うんです。
そうやって日本産ホップが盛り上がっていけば、日本独自のビアカルチャーというのが必ず確立されていくと確信しています。
香りや味だけでなく、造られた背景まで含めたビールのおいしさを届ける
ー10月29日には、毎年恒例の『とれたてホップ 一番搾り』が発売になります。こちらのビールに使われているホップには、遠野に移住されてきた12人の農家さんが栽培したものも使われているんですか?
浅井:はい! しっかり使われています。
ーそれを聞くと、また味わい深い一杯になりそうですね。
浅井:今年のホップもよい出来なので、期待してください!『一番搾りとれたてホップ生ビール』は、畑で収穫されてから約1時間以内に生ホップを冷凍車に載せて、その日の内に急速冷凍をかけ、早期に各工場で醸造されている商品なので、みずみずしく華やかな香りと、フレッシュな味わいです。
浅井:『一番搾りとれたてホップ生ビール』の発売日前日には、毎年遠野のホテルで“初飲み会”をやっているんです。
そこにはホップ柄のネクタイを締めた農家さんたちが誇らしげに来て、遠野市の方々もたくさんいらっしゃるんですよ。チケット制なんですけど、全部で400人くらいかな。いつも当日までには、完売していて。
ーそれはすごい!収穫祭みたいな場なんですね。
浅井:そうなんです。ホップ農家さんたちを市民が囲んで、みんなで開栓するんですよ。そして、みんなでホップ農家さんに感謝しながら、「今年もありがとうございました!」と言いながら出来たてのビールを飲むんです。
ーそこで飲むビールは、さぞかしおいしいでしょうね。
浅井:いやぁ、最高ですよ(笑)。
浅井:遠野市のスーパーの中には、発売時に『一番搾りとれたてホップ生ビール』が約1,000ケース並ぶ店もあるんです。それを市民の方々が我先にと買ってくださって、中には親戚や大切な友人に送るという方たちもいらっしゃって。
もちろん、全国各地のスーパーでも買える商品なんですけど、遠野から送られてきた『一番搾りとれたてホップ生ビール』に意味があるんだということで、よろこんでいただいています。
ー地元の人にとっても誇らしい存在なんですね。
浅井:人口約2万6,000人の街の名前が入っていて、全国流通しているビールって他にはないですからね。こうやって一つの街で括ることって、やっぱり遠野のような一大産地じゃないとできないんですよ。
だけど、こんなに地元の方によろこんでいただけるというのは、僕らもやってみて初めてわかりました。遠野の街の元気につながる商品なんだなって。だからこそ、その背景までちゃんと伝えていくのも我々の役目だなと思っています。
ー今日、商品ができるまでの背景を伺って、『一番搾りとれたてホップ生ビール』を飲むのがますます楽しみになりました(笑)。
浅井:ありがとうございます(笑)。最終的に僕たちは、KIRINにしかできないソーシャルグッドなビールを造っていきたいんです。
「これを飲む=日本のビアカルチャーが盛り上がる」とか、「これを飲むとホップ生産者が増えて街が元気になる」というところまで接続していける活動をしていきたいと思っています。
ーそれはまさしく、目の前のことをではなく、何十年後を見据えてやっていく活動ですね。
浅井:ですね。故に難しいところもあるんですけど、遠野のホップや『一番搾りとれたてホップ生ビール』がKIRINのCSVを体現する存在になればいいなと思っています。
『一番搾りとれたてホップ生ビール』が、間もなく発売開始!
国内最大級のホップ産地であるビールの里・岩手県遠野市で今年収穫したばかりの生ホップを急速凍結して使用する『一番搾り とれたてホップ生ビール』を、10月29日(火)から数量限定で全国発売します。
ぜひこの機会にお試しください!
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この記事の公開準備をしている最中、遠野の仲間からうれしいnoteが投稿されました。せっかくなのでこちらで紹介させていただきますね。
投稿していただいたのは遠野醸造の田村さん。
遠野と始めさせていただいた取り組みが、こうしてつながっていくことがとてもうれしいです。引き続き一緒に盛り上げていきましょう!