冷凍パンが作る、地域と健康の明るい明日。パンフォーユーとキリンが見据えるこれからの食文化
キリンと「パン」。近いようで遠いこの二つのキーワードから、今新しい取り組みが生まれようとしています。
2022年3月、キリンはCVCファンドを通じて、冷凍×ITで日本各地域のパン屋と消費者を結ぶプラットフォームを展開する株式会社パンフォーユーに出資をしました。
「新しいパン経済圏を作り、地域経済に貢献する」をミッションに掲げ、個人向け冷凍パンの定期便「パンスク」をはじめさまざまなサービスを提供するパンフォーユーは、糖質15g以下のパンの開発など、健康食品市場への参入も開始したスタートアップ企業。キリンがパンフォーユーと提携するに至った背景とは?
「食を通じた健康体験の創造」を目指す両社の思い、そして“胃袋を満たす”だけではない食文化の未来について、株式会社パンフォーユー代表の矢野健太さんと、ヘルスサイエンス事業部 新規事業グループの津川翔が語ります。
「健康なパンをつくりたい」という思いに惹かれた
─まずは「コーポレートベンチャーキャピタル(CVC)」について、教えてください。ベンチャー企業への投資活動を指す言葉ですが、キリンのCVCはどのようなものなのでしょうか。
津川:キリンは既存領域に加えヘルスサイエンス領域に力を入れていて、その分野で一緒に新しい価値を生み出していくパートナーを探し、投資活動を起点としたオープンイノベーションを進めているところです。
自前主義で新しい領域を広げようとするとどうしても“体力”がいりますが、外部の力をうまく組み合わせることでスピード感を持って進化していくことができます。外部の有望なベンチャー企業と一緒に中長期的な視点で価値を創出していくために、CVCが立ち上がりました。キリンではベンチャーキャピタルを活用して、共同ファンドを設立。「KIRIN HEALTH INNOVATION FUND」というファンド名でベンチャー企業に出資をしています。
─機動性のあるスタートアップに投資することで、ヘルスサイエンスにおける新しい事業領域にアクセスするスピードを上げるということですね。津川さんは部署の中でどのようなポジションを担当されているのですか?
津川:まだ開始から3年目のキリンのCVCチームは4人という少人数でして、私はその中で実務の取りまとめとして戦略や運用全般など全体の活動を推進しながら、自らも担当をもち投資活動やオープンイノベーションに取り組んでいます。
─その活動のなかでこの春、株式会社パンフォーユーへの出資が決まったんですよね。冷凍パンのサブスクリプションサービスが注目されている会社ですが、あらためて矢野さんから事業内容をお話しいただけますか?
矢野:パンフォーユーは「新しいパン経済圏を作り、地域経済に貢献する」をミッションに、全国の消費者とパン屋さんをつなぎ、「作る人」「売る人」「食べる人」三方良しのプラットフォームサービスを提供するスタートアップです。
具体的には、全国のパン屋さんから冷凍パンが届く個人宅向けの定期お届け便「パンスク」、オフィス向けの福利厚生サービス「パンフォーユーオフィス」、事業者向けのパンプラットフォーム「パンフォーユーBiz」、ネットで贈れるパンギフト券「全国パン共通券」といった事業を展開しています。
─3月には“糖質15g以下”のオリジナル冷凍パンブランド「まいパン」を開始して、健康食品市場にも参入していますね。
矢野:「健康に配慮している方でもおいしく食べられるパンをつくりたい」という思いは創業当初からありました。祖父と長く一緒に住んでいまして、高齢になると食べられないものが増えていくのを目の当たりにしたのが大きくて。僕自身も食事を日々の大きな楽しみだと感じるタイプなので、体調や体質でそこに制限がかかってしまうことにもどかしさを感じていました。
津川:打ち合わせの中で、「なんでこんなにおいしいものを我慢しなきゃいけないんだろう」と感じた矢野さんの経験談や健康分野に懸ける思いは、伺っていて、その熱意に個人的にもすごく惹かれましたね。
矢野:健康面に配慮したパンのブランドから始めるよりも、本当においしいパンのブランドをしっかり作ったうえで健康ブランドを立ち上げたほうが、お客さまもよろこんで召し上がってくれるんじゃないかなとずっと考えていました。そろそろかな、と「まいパン」立ち上げの用意を進めていたときに出資の声をかけていただいたので、すごくいいタイミングだったと思っています。
「個人宅にパンを届ける」だけではない、ビジネスの広がりと可能性
─「健康分野に懸ける思いに惹かれた」というお話がありましたが、CVC担当としてパンフォーユーのどういったところに魅力を感じたのかをもう少しお聞きしたいです。
津川:まず出資を検討するにあたっては、私たちキリンのメンバー個人個人がその企業さんにワクワクするかが非常に大事だと考えています。着眼点やビジネスモデル、そしてそれに携わる人に対してのときめきと言いますか…。
今回は、パンという身近な食材で新たな健康体験を創造できる可能性に魅力を感じました。健康に関するニーズというのは非常に大きいと認識していますが、たとえば、サプリメント摂取や運動といったアプローチは有効な手段であったとしても、人によっては生活習慣に取り入れていくのが難しいことがあります。そういうなかで、パンは多くの人にとって身近な存在でして、そこを入り口にすれば、健康に対する新しい習慣が始まるかもしれない。そういった健康にかかわる行動変容が期待できるのではないかと考えたんです。
─出資が決まるまでにどのようなコミュニケーションがあったのでしょうか。
津川:2021年の12月に初めて、オンラインでお話ししました。それから何度か、矢野さんだけでなくパンフォーユーさんの他メンバーも交えて「こういうことができそうだよね」とディスカッションさせていただいて、いろいろお話をしながら具体化していきました。
─矢野さんは、今回のお話を進めるなかでキリンに対し、どのような印象を抱きましたか?
矢野:僕らのようなスタートアップが投資を受けるときは、「短期間で結果を出してください」ではなく、中長期でお互いどのようなアセットを蓄積できるかという目線でお話ができることが大事だと考えています。
今回お話するなかで、キリンさんが健康領域で「いかに新しい柱を作るか」を長い目で見据えているのを感じ、上場に向けてご一緒するいいお付き合いができるような関係値を築ける印象はありました。
津川:少なくともパンフォーユーさんも誰の投資でも受けるわけではありませんので、双方の気持ちがどこかで重なって「じゃあキリンから出資を受けよう」というご判断をいただいたと思っています。両社で一緒にやりたいことがないと、そういう話にはならないので。
─津川さんは、パンフォーユーのビジネスのどんなところに成長性を感じたのでしょうか。
津川:表面的には「個人向けにおいしいパンを毎月お届けしてる会社ですよね」と捉える人もいると思うんですけど、矢野さんのお話を聞くと、将来に対する期待感をいろんなところに感じるんです。もちろん健康分野への新しい挑戦もとても魅力的でしたが、さらに数十年後も見据えた戦略を巧みに考えて、熱さと精密さを兼ね備えたビジネスをされているのはすごくおもしろいですよね。
─数十年後の展望とは、具体的にはどのようなものですか?
矢野:「新しいパン経済圏を作り、地域経済に貢献する」というミッションの通り、当社の事業モデルがあることで町にベーカリーがしっかり存在し続けられる状態を目指したいんです。
人口が減っていく地方都市で店を続けたいベーカリーさんに定期便のプラットフォームを提供して、ITの力でベーカリーの運営を支える。ベーカリーが存続することでその地が魅力的な街になり、人が住み続けられる。その循環の中で当社の事業モデルが一つの機能として成り立つというのが、パンフォーユーの考える社会貢献なんです。
─パンを売るだけでなく、ベーカリーや地方都市の未来も考えたビジネスなんですね。
矢野:パンって、単価の低さや粗利率を考えると一般的にはかなり厳しいビジネスなんです。そのなかで、「お客さまは何に価値を感じているのか、何にお金を払うのか」を見定めてしっかり粗利を保っていることに対し、事業として成長しうると判断していただいたのかな…と感じます。
津川:ビジネスの戦略だけでなく、矢野さんの組織作りにも学ぶところが多いんです。先日パンフォーユーさんの全社会議に参加させてもらったのですが、社員一人ひとりがお互いをリスペクトしていて、みんなで目標を達成しようという盛り上がりを感じました。刺激的な時間で私も勉強になりました。
─企業規模が違うからこそ、お互いに学びがありそうです。出資に留まらず、今後は協業も進めていくと思いますが、現時点でどういった構想をお持ちですか?
津川:キリングループという視点で、パンとの相性がいいものはたくさんありまして、小さいものから大きいものまでいろいろ準備はしていますが、まだ社外秘のものが多くて…。ざっくりお話すると、「プラスの健康」という観点からいろいろ協業のご提案ができるのかなと考えています。
─「プラスの健康」とは?
津川:健康食品が掲げる健康には、「プラスの健康」と「摂りすぎない健康」の二つがあります。たとえば「無糖茶」とか、パンフォーユーさんが手がけられている「糖質15g以下のパン」も摂りすぎないのほうですよね。プラスの健康とは、「ある特定の栄養素を多く取りたい」といったニーズに答えるものです。あとは飲みものなどとの組み合わせで、おいしいさから生まれる「心の健やかさ」も含まれると思います。
矢野:もともとの僕の思想は「『ある特定の栄養成分を減らさないとパンを食べられない』という方に、どうすればおいしいパンを食べていただけるのか」から始まっています。つまり、「摂りすぎない健康」です。この先はさらに「プラスの健康」の視点でよろこんでくれる方を増やしたい。ひいては、飲みものや、ほかの食品とセットでパンを召し上がっていただくような設計をキリンさんとご一緒できたら、より新しい食文化を生み出していけそうだと感じています。
「胃袋を満たす」に留まらない食の進化を共に目指したい
─具体的な事業以外に、お互いに共通して目指す世界観のようなものはありますか?
矢野:キリンさんって、やはり歴史的にもビールのビジネスが長いと思いますが、胃袋を満たすだけではなく「ビールを飲むことがうれしい、楽しい」と思えるような、消費者の心を満たすための戦略をずっとやられてきたと思うんです。コンビニでビールを買って持ち帰る時間が、その日の楽しみになるような。
僕らもパンを通じて同じようなことをしていきたい。ですが、お客さまの心を満たすためビジネスとして何をするかを考えるのは、難しいなとも日々感じています。
津川:パンもビールも日用品ですからね、身近なものに付加価値をつけることにチャレンジしているという点で、目指すものは非常に近いと感じます。
今回の出資を機に私も「パンスク」を契約してみたんですけど、ただおいしいパンが毎月届くだけじゃなく「どこから届くかわからない」「何が入っているかわからない」という楽しみがすごく大きいんですよね。この“ワクワク感”って、同じ食品を扱う私たちももっと追求できることだと思いました。
矢野:歴史を紐解くと、食の産業って胃袋を満たすためというより、会話のツールとして発展してきたと思うんです。お酒が会話の促進剤として機能してきたように、「その食品を通じて、どんなコミュニケーションが生まれるか」を考えた先に事業の成長があるのだろうと思います。
─津川さんは「パンスク」を通じて会話は生まれていますか?
津川:家族で「これおいしいね」とかよく話します。最近は2歳の子どももすごく楽しんで食べてます。子どもにはちょっと贅沢品だなって思うんですけど(笑)。
矢野:パンを通じてご家族と話す機会が生まれるっていうのは、うれしいですね。
─「食品を通じたコミュニケーションを生むことを目指す」は、両社の共通点の一つですね。
津川:大きな話になりますが、まとめると「どうやって食べ物を一緒に進化させていくか」なのかなと。食品には空腹を満たすだけではないさまざまな機能があって、そのなかに健康やコミュニケーションや地域の活性化といったテーマがあります。新しいことにどんどん取り組んでいけるベストなパートナーになれたら良いですよね。
編集部のあとがき
「コンビニでビールを買って持ち帰る時間が、その日の楽しみになるような」
矢野さんからこの言葉を聞いた時に、その場にいた取材陣が皆一様に「わかる~」と盛り上がりました。
これまで多くの町のパン屋さんと対話をし続け、「町と暮らし」を見つめ続けてきた矢野さんだからこそのお言葉だと感じました。その後に食の産業の成長について語られた「その食品を通じてどんなコミュニケーションが生まれるか」という見解が、より具体的で説得力のある言葉として響きました。
この記事では公表できないことも水面下でたくさん動き始めているようです。両社のコラボレーションによってどんなコミュニケーションが暮らしに産まれるのか、今からとても楽しみです。