『孤独のグルメ』の原作者・久住昌之さんに聞いた「酒場で飲むこと」
酒場で飲むこと、食卓を囲むこと、生産者とつながること、フィットする働き場所を選ぶことなど、暮らしのなかの「いい時間」を紐解きながら、「あらたなよろこび」「こころ豊かな社会」を探っていく連載企画「#いい時間」。
第1回にご出演いただくのは『孤独のグルメ』の原作者である久住昌之さん。緊急事態宣言明けのある夜、にぎわいを思い出しつつある居酒屋の片隅で、酒場で飲むよろこびってなんだろう?健やかな時間ってなんだろう?そんな問いを投げかけてみました。
松重豊さんと井之頭五郎の共通点
─今日はよろしくお願いいたします。まずは乾杯いたしましょう。
久住:よろしくお願いいたします。こうしてお店で飲めるようになってうれしいですね。焼きたての焼き鳥は家では食べられないんでね。では、乾杯。
─久住さんのエッセイや漫画を読んでいると、食べ物のチョイスやお酒との組み合わせがすごく魅力的で、「このお店に行ってみたいなぁ」という気持ちになります。久住さんは誰かからお酒の飲み方を教わったのでしょうか?
久住:大学で音楽をやっていたときの先輩が、みんな酒好きだったんですよ。
その先輩たちは立ち飲み屋が好きで、よく一緒に行っていました。僕はまだ20歳くらいだったので、「そんなところで飲むの?」と思っていたんですけど、先輩たちは「こういうところって、おもしろいんだよ」って言っていて。
行くとおじさんばっかりで、みんな一人で静かに飲んでいるんですよね。クッと一口お酒を飲んで、「んー」って首を傾げたりしていて。なんだかおもしろいなあと思って見ていましたね(笑)。
─学生の頃からいろんなお店を飲み歩いていたんですか?
久住:飲み歩くって感じではないですよ。学校や先輩の家の近所の店に行くことが多かったので、新しい店を開拓するという感じでもなかったですし。
でも、知らない街を歩くのは好きなんですよ。学生の頃は浅草なんか行ったことなかったから、試しに行ってみたものの全然お店がわからなかったりしてね。そういうのもおもしろかったです。
─久住さんは、今でもよく街歩きをされていますよね。
久住:歩くのが好きなんです。散歩は1時間でも2時間でもまったく苦じゃないし、知らない街に行ってふと気がつくと1時間以上歩いたりしますね。
同じことを松重豊さん(『孤独のグルメ』の主人公・井之頭五郎役)も言っていたんですよ。10年前、松重さんと会ったときに「僕は『顔は知っているけど名前は知らない』って役者なので。そういう役者って待ち時間がすごく長いんです」って言っていて。
だから、地方ロケで待ち時間があると、ロケ弁を食べないで30分でも1時間でも街を歩いて店を探していたらしいんですよ。それを聞いて「この人なら五郎役ができる」と思いました。
─お店を探すという目的ではなく、単に街を見て回るのが好きってことなんですか?
久住:そうですね、ぼんやり歩くのが好きなんです。何かを見つけようとがんばって歩くのは好きじゃない。それは散歩じゃないので。
知らない街だったらなんでもおもしろいんですよね。「この電柱すごい場所に立っているな」とか(笑)。
店と街はひとつながりだと思うんですよね。そして、そういう街とくっついているような店におもしろさを感じる。だから、ネットで店を調べて、ただそこに向かうだけっていうのは、なんだか寂しいなとも思っています。
久住:休みの日の昼から飲むというときは、街を歩いてから店に向かうんですよね。何かしてからお酒を飲みたいので、家から真っ直ぐ店に行って、ただ飲むっていうのはどうもおいしくない。
普段、僕がお酒飲むのは、仕事が終わってからなんです。ライブのあとなんか極みですよ。僕はやらないけど、草野球なんかやっている人は試合後のビールがうまいんだろうなと思うし。
旅でも、途中で飲むより目的地に着いてから飲む一杯がうまいじゃないですか。やっぱり何かをしてから飲むお酒がおいしいんだよなあ。だから散歩後のお酒はいいですよ。
お腹がいっぱいでは、空腹の人の気持ちはわからない
─久住さんはデビュー作の『かっこいいスキヤキ』以降、食をテーマにされた作品が多いですよね。もともと食に対するこだわりがあったんですか?
久住:いや、僕は漫画でもエッセイでも、「食がテーマ」と思って書いたことはないんですよ。
最初に出した『かっこいいスキヤキ』は、「弁当を食べる順番って考えたりしない?」というのが根幹です。その食べ物が何かということより、「弁当のおかずの順番を考えちゃう自分って情けない」みたいなところ。
外から見たら、かっこいい人が弁当を食べているだけなんだけど、頭の中は情けない僕と一緒っていうのがおもしろいかなって。『孤独のグルメ』と同じなんですよね。40年に渡るワンパターンですよ。ひどいよね(笑)
─そうだったんですね。『孤独のグルメ』の連載をされていたときは、実際にいろんなお店を食べ歩いていたんですか?
久住:締め切りが迫っているときは行っていましたね。もう(作画担当の)谷口ジローさんに描いてもらわなきゃいけないってときに、「どうしよう…。行ったことのない大井町あたりを歩いてみるか」みたいな感じで。
『孤独のグルメ』は、主人公が知らない街でお腹を減らすって作品だから、自分も知らない街に一人で行かなきゃいけないんですよ。実際に街を歩き回って、気になるお店で食べてみて、「ダメだ…」ってなったり、家に帰ってきてから「やっぱりあの店よかったかも」って思ったりしながらね(笑)。
いずれにしろ1話につき1回の取材で決まることはないですね。あのメニューも食べてみないとダメだとか思うので。そうすると、翌日にもう1回行くんです。何度も行くのは手間だけど、一度にたくさん食べてお腹がいっぱいになっちゃうと、空腹の人の気持ちになれないので。
─そう考えると、『孤独のグルメ』にはドキュメンタリーとしての側面もあるんですね。
久住:実際に見聞きしたもののなかから、創作するって感じなので、そうですね。腹を空かせておくというのは、松重さんもそうなんですよ。前日から食べないでドラマの撮影に来たりしていて。
あと、ドラマには変わったお客さんが出てくるんだけど、あれもすべて実際にお店で見た人がモデルですから。そうじゃないとおもしろくないんですよ。だから、『孤独のグルメ』という作品は、街と店と味がつながっているんです。
個人店は“国”のようなもの?
─コロナ禍になってからは、お店に食べに行く機会も減ったのではないかと思います。この期間で、久住さんの生活にはどのような変化がありましたか?
久住:やっぱり飲みにいくことは減ったし、飲み方も変わりましたね。コロナの前は、夜中の1時くらいまで仕事をして、仕事場の近くで遅くまでやっている店に行っていたんですよ。そこでちっちゃいグラスの生ビールを頼んで、あとは冷酒を2杯くらい飲むというのが定番でした。
でも、緊急事態宣言が出て、店に行けなくなったじゃないですか。だから、仕事場で飲んだりもしてたんですけど…パソコンを前に飲む日本酒って、おいしくないんですよ。
─なんとなくわかる気がします。逆に居酒屋には何があるのでしょう?
久住:やっぱり気分が変わるんでしょうね。僕、個人店ってほとんど国だと思っているんですよ。
店によって雰囲気も違うし、ルールも違うし、別の国みたいじゃないですか。だから、店長は国王なんですよ。
─なるほど(笑)。場所によって物価も違いますしね。
久住:そうそう。で、メニューは国王が書いた歴史や法律ですよね。それは国の年表ともいえるし、叙事詩ともいえるかもしれない。それを眺めながら、店が辿ってきた道を知るっていうね。それはもう知らない国にきた旅人みたいな体験ですよね。
前に池袋の立ち飲み屋で、「携帯電話禁止。メールも」って書かれているのを見て、笑っちゃったんですよね。「メールも」って書き加えたところに、そう書かないといられなかった書き手の感情が吹き出ているようで(笑)。ものっすごく嫌なんだよね、仕事してる前でケータイいじられるのが(笑)。わかるけど。
─以前、名古屋の『大甚』というお店の取材をさせていただいたんです。相席が基本のお店なんですが、店主の方がテーブルを見ながら「この人は静かに飲みたそうだからこっち」、「あそこは気が合うかもしれない」と考えて、お客さんを案内しているとおっしゃっていました。それも国をよくするために施策ですよね。
久住:それはまさに国王の気遣いですよね。そういういい国王のいる国はさ、何かあっても国民がみんな「王様バンザイ!」ってついていくんだよ(笑)。
─たしかに、また行きたくなるお店でした。そう考えると、再訪したくなるのは、いい国王がいる国なんでしょうね。
久住:自分にとってのね。「あそこはいい国だ、あそこは居心地悪い国だ」っていうのは個人個人違うから。
それに、店っていうのは、店主と客、人のつくるものだよね。だから一度行ったくらいじゃ、わからないよ。その時たまたま店が忙しくて、なかなか料理が来なかったり、うるさかったり、店主が機嫌悪かったり。そういうこともある。そこがまたライヴなおもしろいところでさ。だから初めて訪れた国のことは、ただちに食サイトとかで、感情のままに書くことじゃないよね。全世界に対して(笑)
店には始まりと終わりがあって、行けるのはその途中だけ
─飲みに行ったときには、お店の方と話したりもしますか?
久住:話すときもあれば、話さないときもありますよ。それは、みんなそういうもんじゃないのかな。初めて入る店ってドキドキするじゃないですか。その店のことも、店員さんのこともわからないから。だけど、向こうだって、こっちのことはわからない。
インターネットで情報を調べたくらいで「ここは◯◯な店だから」みたいに決めてかかるのは、お店に対してひどい上から目線だなって。僕はそういう人にはなりたくないです、客として。
別に、下調べなんかしなくていいんですよ。人として失礼のないようにしていれば。どんな店主も心の底で本当に望むことは「いい客に何度も来てほしい」っていうことじゃないですか。
─久住さんが、ずっと通っているお店ってあるんですか?
久住:何軒かあります。『孤独のグルメ』の連載をはじめた頃は三鷹に仕事場があったんですけど、そこの近くの居酒屋には、30代から40代半ばにかけて、年間300日くらい行っていましたね。
当時は夜中の1時、2時まで仕事をしていたから、その時間になるとほとんどそこしかやってなかったんですよ。2時に行っても絶対やっていて、「まだいいですか?」って言うと、「いつまででもいいよ」って言ってくれる店でね(笑)。
その頃は、生ビール一杯飲んだあと、いつも焼酎を飲んでいましたね。年間に何本飲んだかなぁ。小鍋立ての肉豆腐を頼んでね。スポーツ新聞を読んで、スケジュールを立て直したりしていました。本当にほっといてくれる店だったんですよ。
そこはライブの後にも行っていたし、どこかで飲んできた帰りにも寄っていましたね。有名店でもなんでもない居酒屋。でも、真面目な夫婦がやっていて、焼き鳥とか煮込みとか、普通のものが普通にちゃんと美味しいんですよ。
久住:その店には、まっちゃんって呼ばれている常連さんがいたんですよ。口下手で、いつも黙ってニコニコ飲んでるんだけど、いないとみんなが「今日、まっちゃんは?」なんて話題にあげるような、どこかユーモラスな人でね。
だけど、その店に通っていた時期の後半は、まっちゃんはいなくなっていて。そこには10年くらい行っていたから、出入りする人もだんだん変わってくんですよ。僕も引っ越して、三鷹からいなくなったし。そういうことも、そのお店で知りましたね。
─常連さんとはいえ、人は移り変わっていくものなんだと。
久住:それと、常連さんは大事なんだなってことも知りました。若い頃は常連っていう言葉が嫌いだったんですけど、結局そういう人たちが店を支えているんだなって。その店へ長く通うなかで知ったことは多いかもしれないですね。
街のことを知るにも、店のことを知るにも、人のことを知るにも、やっぱり時間はかかると思います。でも、そうしているうちに、気づけば自分が心地のいい場所になっているんじゃないですか
久住:その三鷹の店には、吉祥寺に仕事場が移ってからも年に1、2回は行っていたんですよ。その度に、いつもと同じように「おぉ、いらっしゃい」って迎えてくれてね。だけど、去年の暮れに突然閉まっちゃったんですよ。
そのことは地元の人に教えてもらって…。「え、なんで!?」って聞いたら、店主が亡くなったっていうんですよ。それは、コロナ禍で一番ショックな出来事でした。
去年の正月には店に行っていて、そのときは元気だったから、まさか病気だとは思ってなくて。ご夫婦でやってたからご主人が亡くなったことで、閉めちゃったんでしょうね。奥さん、どうしてるかなあって思いますよ。本当に、毎晩毎晩ひとりで行っていたから。あんな店とはもう一生出合えないですよ、この歳からじゃ。
若いときには、昔からある店って未来永劫続いていくような気がしていたけど、ちゃんと終わりがあって、しかも店の寿命って思っているよりも短いんですよ。自分がまだ元気で飲んでいても、店がなくなっちゃうことはあるんです。それは飲み屋に限らず、すべての店がね。
─突然終わりがきたりするわけですもんね。
久住:病気とか、コロナとか、そういうことがあるからね。店には始まりと終わりがあって、今はその途中なんだから。始まりも知らないし、終わりも知らないってことは珍しくないですよ。そういうものなんです。だから、好きな店は大事にしたほうがいいなと思いますね。行けるうちに。
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■取材協力
焼き鳥 みすず
東京都武蔵野市吉祥寺本町2-19-7