日本産ホップ価値向上へ向けて。遠野から考える日本のビアカルチャーの未来【#日本産ホップを伝う】
日本有数のホップ生産地である岩手県遠野市では、「ホップの里からビールの里へ」のスローガンのもと、2015年に始まった「遠野ホップ収穫祭」を中心に様々な活動が行われています。
新型コロナウイルスの影響で開催が中止となった今年は、参加できないファンの方々のために遠野の魅力をひとつの箱に詰め込んだ「TONO HOP BOX」を制作し、イベントのファンのみならずビール好きの間で大きな反響を生みました。更には未来の日本のホップ産業に向けた新しいアイディアも始動。今、遠野では壮大な「ビールの里」構想が広がっています。
しかし、足元では生産者不足という深刻な問題に直面しています。高齢化はもとより、老朽化した施設の修繕、分散している畑の集約に必要な資金調達など課題は山積みです。
そうした課題に真っ向から挑んでいるのが、今回お話を伺った遠野市役所の菅原康さん、株式会社Brew Goodの田村淳一さん、キリンビール株式会社の浅井隆平の3人。
これまで3回に渡って連載してきた「日本産ホップを伝う」の第4回目は、「ホップの里からビールの里へ」というスローガンを掲げ、遠野から日本の新しいビアカルチャーを作ろうとする3人に、日本産ホップの未来について語っていただきました。
ホップ産業への危機感から生まれた「ビールの里プロジェクト」
―遠野市は「ホップの里からビールの里へ」というスローガンを掲げて、「ビールの里プロジェクト」を進めています。こちらがスタートした経緯について教えてください。
菅原:ビールの里プロジェクトは、2007年から始まったTK(遠野×キリン)プロジェクトが元になっています。遠野市とキリンビールさんが協力して、遠野産のホップや食材をPRするという活動です。私は2012年からTKプロジェクトに関わっています。
浅井:僕は2013年に遠野へ来て、TKプロジェクトとも関わるようになりました。そこで菅原さんをはじめとする遠野の方々と話をするようになって、ホップ産業が立たされている危機的な状況を知ったんです。生産者の減少によって、このままだと産業の存続が危ないと。
菅原:当時も、TKプロジェクトでは遠野産ホップを盛り上げる活動をしていましたが、それらの多くは限られた人しか関わっていないクローズドなものだったんです。
―そうした状況を、どう変えていったんですか?
浅井:まずは、市民の方も巻き込むようなプロジェクトにする必要があるんじゃないかと思いました。
そのためには、わかりやすい〝旗〟が必要だと思って、「ホップの里からビールの里へ」というスローガンを掲げたんです。
ー 市民の方々にプロジェクトのことを知ってもらえるようにスローガンを打ち立てたと。
浅井:そうですね。そこで最初に立ち上げたのが「遠野ホップ収穫祭」だったんです。たくさんの地元の方々と一緒にその年のホップの収穫を祝う「収穫祭」というビールの里を象徴するようなお祭りを作り「わが町にホップがあってよかった」という誇りにつなげられたらと思って。
菅原:最初のホップ収穫祭では集客に苦戦しましたが、今では遠野市民だけでなく全国各地からお客さんがいらっしゃいます。畑見学のバスツアーは2〜3時間待ってでも参加されるお客さんがいるほどです。
住んでいる人にとっては当たり前だった風景が、ホップ収穫祭を機に、「地域の宝」という感覚に変わっていったんです。
―田村さんと遠野市の関わりは、どのようにして始まったのでしょうか?
田村:僕は2016年に始まった遠野ローカルベンチャースクールという事業に関わっていて、地域おこし協力隊の制度を使って遠野で起業する人たちのサポートを行っていました。
その中のひとつにビール事業のプロジェクトがあって、それをきっかけに浅井さんや菅原さんに出会いました。本格的にビールの里プロジェクトにコミットするようになったのは、それから1年後くらいです。
浅井さんから、「一緒にビール事業を進めていこう」というお話をいただいて、第3回のホップ収穫祭で実行委員長をやることになりました。
僕もビール事業は面白いなと思い始めていたところだったので、いい機会だと思って。
—浅井さんが、田村さんと一緒にビール事業を始めようと思った理由はなんだったのでしょうか?
浅井:TKプロジェクトに関わり始めてから、僕が主となって活動の取りまとめをしたり、ホップ収穫祭を運営していたのですが、プロジェクトを作っていくのは、企業や行政の人間じゃなくて遠野に住んでいる人であるべきだなと思っていたんです。
田村さんが地域おこし協力隊として、遠野を盛り上げるべく新しい企画を立ち上げ、それらが広がっていく様子を見ていて、もう田村さんしかいないと。民間のリーダーとしての巻き込み力や推進力、企画力のある田村さんと協働していくことで、持続可能な事業体制を目指していこうと思いました。
田村: 僕もビールの里プロジェクトはすごくポテンシャルがあるし、これからの地域の取り組みをリードしていく存在だと思ったので、だったら自分がやろうと決意しました。
ホップ収穫祭が誕生したことによる市民意識の変化
―ホップ収穫祭を運営する上で、行政側の役割というのはどういったことになるのでしょうか?
菅原:実際に企画を進めるのは、浅井さんや田村さんが積極的にやってくれるので、私の役割は“隙間を埋めること”だと思っています。
遠野は、夜間に人が集まって盛り上がるようなイベントに慣れていない地域でしたし、イベントには飲酒も伴うので、トラブルが起きないように道路の管理者や警察とのやり取りをしていました。あとは、市内の方からのお問い合わせ対応などもしていましたね。
田村:僕は2016年からホップ収穫祭に関わっていますが、ここ1〜2年で行政や議会から聞こえてくる声がちょっとずつ変わってきてる気がします。菅原さんが各所とやり取りをしてくれているお陰で、僕らもより動きやすくなりました。
きっと僕らの耳には届かないところでは様々な声もあると思うんですけど、そういうことに気を取られず、自分たちのことに集中できているのは菅原さんがいてくれるおかげです。
—ホップ収穫祭を立ち上げる際に目指した「わが町にホップがあってよかった」という市民の気持ちは形成されてきていると感じますか?
菅原:そうですね。ホップ収穫祭のことを市役所に直接言ってくれる方は増えました。「来年は2週間くらいやったらどうなの?」とか(笑)。あとは別の事業者の方から、「うちでもビールを作りたい」といった相談を受けることもあります。そういう声もホップ収穫祭を始めたばかりの頃にはあまりなかったので、市民の方の意識も変わってきているように感じますね。
―「行政に相談したら、自分たちのやりたいことが実現できるかも」といった意識が根付いてきたんですかね。
菅原:そういった方々も出てきているような感じはします。市役所って、特別な用事がない限り行きたいと思わないじゃないですか(笑)。それでも、わざわざ窓口に来たり、電話で感想や意見を伝えてもらえるのはありがたいことですね。
地域とファンの繋がりを再確認させてくれた「TONO HOP BOX」
―昨年は12,000人ものお客さんが訪れたホップ収穫祭ですが、今年は新型コロナウイルスの影響で中止を余儀なくされました。その代わりとして企画されたのが、遠野のビールと地元の食材を詰め合わせた「TONO HOP BOX」だったんですよね?
田村:そうですね、はい。ホップ収穫祭が中止になったのも大きなことだったんですけど、それ以上に大変だったのが遠野市の「ズモナビール」や「遠野醸造」とか、地元で栽培しているビールおつまみの野菜「遠野パドロン」の売り先が縮小して、身の回りの事業者の方々が困り始めていたことだったんです。各地で予定していたイベントが中止になり、地元の産物を扱う事業者さんも飲食店への出荷も止まってしまったので。
―商品はあるけど、売り先がなくなってしまったと。
田村:そうなんです。これはまずいなと思って。だけど、そもそもビールの里プロジェクトには、ビールを中心に遠野の名産を掛け合わせて地域の魅力を発信するという構想もあったんです。
なので、地元のビールと食材を組み合わせた「TONO HOP BOX」を通じて遠野の魅力をまとめて届けることで地域全体をサポートすることが、自分たちの今やるべきことだと思いました。
―なるほど。そう聞くと、「TONO HOP BOX」は、ホップ収穫祭をそのまま箱に詰めたような商品なんですね。
田村:まさにそうですね。ホップ収穫祭を楽しみにしてくれている方々と、遠野の町をちゃんと繋ぎ止めておきたいという気持ちがあって。そういう意味では、ピンチだけどチャンスでもあると思っていました。ここで関係性を強化するための施策を打つべきだなって。それで、「いつかホップ畑で会いましょう」というスローガンのもと、「TONO HOP BOX」の企画を進めていった感じです。
―実際、第1弾の「TONO HOP BOX」はあっという間に完売しましたよね。やはり買ってくれたのはホップ収穫祭を楽しみにしてくれている方々が多かったんですか?
田村:「毎年ホップ収穫祭を楽しみにしているけど、今年は行けないから買います」と言ってくれる方は多かったですね。そうやってファンの人たちが、一気に応援をしてくれたのは本当に心強かったです。
「ふるさと納税」を利用した地域課題解決のための財源確保
―菅原さんは生産者の方々との接点もあると思うんですけど、遠野のホップ産業についてどんなお話をされていますか?今抱えている課題などがあれば教えてください。
菅原:ホップ収穫祭は右肩上がりでお客さんが増えているんですけど、一方で生産者はどんどん減っていってるという現状があります。そこは真逆の動きになっているんです。
生産者の減少は、ホップ農業に高所作業があることや、シーズンが短くて忙しいというようなことも大きな要因なので、そこをいかにして解決していくかは農家さんたちも交えて考えているところですね。
田村:遠野のホップ栽培面積はピーク時の6分の1にまで減っています。毎年「来年は、あそこの家もホップ栽培をやめるかもしれない」といった話を耳にするというのが現状で。
新規就農者を増やす取り組みは進めていますが、ホップ産業が抱える課題は後継者不足だけではないんです。例えば、乾燥施設の老朽化です。老朽化によって作業効率が落ちていて、新調するにも莫大なお金がかかるんです。万が一、今の施設が壊れて、修繕の費用が発生するようなことになれば、遠野のホップ産業にとっては致命的なダメージになってしまいます。
―それは遠野市にとっても大きな課題ですよね。
菅原:はい。これだけ遠野ホップ収穫祭が盛り上がってきているけど、生産者の減少など課題はたくさんあるので、そこは突き詰めて考えなければいけないのが今の課題ですね。
田村:生産者の方からしても、町は盛り上がっているけど、現場はどんどん疲弊しているって状況は不健全じゃないですか。
だから、我々は遠野に来てくれる人を増やすことと同時に、生産現場の課題を解決することにも注力していく必要があるんです。そうしないと僕らと生産者さんの関係性もよくないし、ホップ収穫祭の意義もなくなってしまうので。
—確かに、生産者の方々が疲弊している状況の中では、純粋にホップ収穫祭を楽しむことができませんね。
田村:だから、我々は今抱えている課題を解きほぐすことをやってきたんですけど、シンプルに言えば解決すべきは老朽化する乾燥施設の問題と、畑の集約という2点だと考えています。
―「畑の集約」というのは、どのようなことなのでしょうか?
田村:ホップの栽培面積がピーク時の6分の1になっているということは、もともとたくさんあった畑が歯抜けになっているわけです。
つまり、小規模の畑が点在する状態になっている。だから、新規就農者が入ってきても点在している小さな畑を使わなければならないのが現状なんです。ホップだけで生計を立てたい、生産量を増やしたいと思っても、畑の状況や栽培方法の問題で難しいのです。
また、これまでホップ栽培を支えていた遠野の先輩農家は、ホップ以外の作物を栽培したり、畜産をするなど、複合経営を確立されていました。しかし、市外から移住してきた新規就農者がいきなり農業の複合経営をするのは難易度が高いという現実があります。
未来のホップ産業を支える若手のことを考えていくと、こうした状況を打開していく必要があります。老朽化している乾燥施設の更新または修繕を行って、さらには畑を集約して作業効率を上げていくことも進めていかなくてはなりません。
田村:これらを実現するためには、未来に向けてたくさんのお金が必要になります。そこで、その一部を「ふるさと納税」の仕組みを活用して、まず自分たちで集められないかと考えました。
例えば、「TONO HOP BOX」をふるさと納税の3万円の返礼品として出します。それを一般の方が選んでくれると、半額が返礼品を調達する費用と事務手数料に、残りが市の財源になるという仕組みです。寄付をする際に寄付先として「ビールの里プロジェクト」を指定していただくと、市の方でもその財源を我々のプロジェクトに当ててくれるようになるんですよね。
―なるほど。使い道が指定された財源になるってことですね。
田村:そうなんです。そのお金を乾燥施設の更新や修繕など持続的なホップ栽培の実現に活用していけないかと菅原さんたちと話しています。実際、ふるさと納税を増やす取り組みを始めた結果、納税金額は昨年より大幅に伸びました。でも、まだまだ増やしていきたいと思っています。
僕たちは、ホップ収穫祭を開催したり、「TONO HOP BOX」のようなプロダクトを作ることで遠野のファンを増やし、その方々に協力してもらってふるさと納税を集め、それをホップの農業に投資をするというモデルを考えているんです。それが実現できれば遠野のホップ産業は持続可能になるし、僕たちの活動も加速していけるだろうと。今は、そういう絵を描いています。
—離れていながらも遠野のホップ産業に参加している実感が持てると、そこで作られたビールに対する思い入れや味わいも特別なものになりそうですね。
田村:そう思ってもらえたら嬉しいですね。ふるさと納税でビールの里プロジェクトに寄付してくれた方が、自分の選択によってホップが持続可能になり、町が発展し、遊びに来てくれたときに自分事のように喜んでくれるというふうになったらいいなと思っています。
そういう活動によって、ビールの里プロジェクトの盛り上がりが、生産者の方々や自分たちの仕事にポジティブな影響を及ぼすということを感じてもらえたら、町としてのまとまりも強くなっていくんじゃないかなと考えています。
—菅原さんは、田村さんたちと一緒にホップ収穫祭やふるさと納税での試みをされていて、民間の方たちがこういうアクションをしていることについては、どのように捉えていますか?
菅原:本当にありがたいことです。一緒にできてよかったなと思っています。ただ、行政側としてひとつ気がかりなのは、外から遠野にやってきてホップ農業を始められた方は8組いらっしゃるんですけど、市内の農家で新たにホップを始めるって方がひとりもいないことなんですよね。
家も、畑も、知り合いもいるのに、そういう方々がホップ農業をやろうとしない。そこには何か根本的な理由があるんだろうなと。そういう部分にもしっかり向き合って、本質的な解決につなげていけたらと思っています。
▼ふるさと納税でビールの里プロジェクトを応援!
持続可能な生産体制に向けて。ホップの品質向上のための新たな取り組み
田村:日本のホップ産業が持続的に発展していくためには、品質向上や国内外のブルワリーに遠野のホップが販売できる仕組みが必要だと思っていて。そのために、僕ら遠野メンバーは今、ホップのラボを作りたいと考えているんです。
—ホップのラボ?
田村:海外では、農家からホップを買い、それをペレットに加工して販売する「サプライヤー」と呼ばれる会社があります。そこを経由して世界にホップが売られているんです。
そこには大抵、ホップの研究をする「ラボ」があるんですよ。農家さんが栽培するホップの品質を調べて、よりよいホップを作るために数値の分析などを伝えるんです。そうすると、農家さんが作っているホップの品質が上がって、市場価値も高まっていきます。そういう仕組みが日本にはないんですよね。
—なるほど。
田村:基本的に日本のホップ栽培地の場合、大手ビールメーカーが契約栽培で農家さんにホップを育ててもらい、それを使っているので、サプライヤーという機能がないんです。ただ、この先のホップ産業を考えて品質向上を目指し、国内外の多くのブルワリーに日本産ホップを使ってもらうには、サプライヤーの機能が必要なんじゃないかなと思っていて。
―サプライヤーの役割によってホップの品質が向上し、流通ルートが確保されるということですよね。
田村:そうなんですよ。僕は日本産ホップが国内にはもちろん、海外にも流通していけたら面白いなと思っていて。そのためにはまず起点となるラボが必要です。
海外のサプライヤーでは、ラボにブルワリーが併設されている事例もあるようです。開発した新品種のホップを試験的に醸造するために使われたりするんです。もし、そういった新しいブルワリーの設立が遠野で実現すれば、例えば農家さんが自分のホップで醸造するということもできるかもしれません。
そういうことが遠野でできたら、ラボ自体が観光施設になる可能性だってあります。
—そういう場所があったらぜひ行ってみたいですね。
田村:アメリカに、ヤキマというホップの一大産地があります。私も昨年現地に行ってきました。収穫の時期になると世界各地からブルワーやビール好きの人たちが集まってくる場所なんです。ホップ畑を見に行って、その後に町のブルワリーへ散らばって、様々な人たちとビール談義をしているんですよ。
ヤキマほどの規模は難しいですが、そういうことが遠野ならできるんじゃないかなと思っていて。むしろ、そこまでやらないと、日本のホップ産業は先細りしていく一方だと思います。
浅井:日本全体の人口が減少し、農業人口も減り、ホップ産業も縮小の一途を辿っている今、持続可能な産業にしていくために既存の構造を見直すという議論はあるべきで、そういう時期にきてるんじゃないかなと思います。
今考えるべきなのは、いかにして日本産ホップの価値を高めるかという全体像だと思うんです。ビールの里プロジェクトによって、日本産ホップの価値が高まっていけば、全国各地のブルワリーでも日本産ホップを活用して、日本らしいクラフトビールを造ろうというムーブメントが起きるかもしれません。
そうやって日本のビアカルチャーを面白くしていくには、やはり日本産ホップの一大生産地である遠野が先頭を切って厳しい現状に立ち向かっていく必要があると思っています。
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「日本産ホップの魅力をもっと知ってもらいたい」と始めた特集「#日本産ホップを伝う」では、これまで日本産ホップに関わる多くの方々に、具体的な取り組みやホップにかける想いを聞いてきました。
2021年も引き続き、日本産ホップの魅力・価値をさらに高め、日本の新たなビール文化醸成に挑戦し続ける遠野の姿を追いかけていきます。
この特集を読んでいただいた方々と、いつかホップ畑で会えることを願って。