知識や経験だけでなく、葛藤も共有する同志たちのつながり。地域トレセン青森レポート
キリンが支援している活動の一つに『キリン地域創生トレーニングセンタープロジェクト(以下:地域トレセン)』があります。
食を中心とした事業や活動を通して、地域の未来を牽引する“地域プロデューサー”を育て、全国規模でつなぐことで、日本の地域活性化を目的とした取り組みです。
全国各地の地域プロデューサーが参加し、各地域の現状共有と課題解決を目的としたフィールドワークやプレゼンを行い、地域・業界を超えたディスカッションの場を創り出していきます。
北は北海道、南は九州離島まで日本中で開催されてきた地域トレセンですが、回を重ねるごとに参加メンバーが増え、地域トレセンをきっかけに新たな事業がスタートしたり、参加者同士で会社が設立されたりと、さまざまな地域で新たな価値づくりが進められています。
そして2022年11月の舞台となったのは青森県。
青森の地域をリードするプロデューサー、そして一緒に活動する、食を中心として地域に根ざした活動をする青森の地域プレイヤーと、全国各地で活動する地域プロデューサーが真剣に意見を交わし、ともに街を歩き、親交を深めた2泊3日の旅。
その模様をお届けします。
おもしろい街をデザインする!青森の暮らしを楽しむ地域プロデューサーの挑戦
地域トレセンの由来は、2013年に東日本大震災の復興支援活動としてスタートさせたキリン絆プロジェクト『東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト』、通称「農業トレセン」にあります。
震災の被害を受けた東北で、次世代の農業経営者を育成するプロジェクトとしてキリンがスタートさせた農業トレセンですが、その経験をより広く活かすべく、2016年からは現在の地域トレセンの形となり、全国に活動を広げていきました。
地域トレセンでは、開催地で活躍する地域プロデューサーの一人が案内役となり、地域プレイヤーのたちの取り組みを紹介するプレゼンやフィールドワークが行われます。
青森で案内役を務めたのは、株式会社QLOCK UPの代表・中村公一さん。まずは、中村さんの経歴と、これまでに立ち上げてきた事業が紹介されました。
地元・青森に退屈さを感じ、早く抜け出したいと考えていたという中村さん。大学卒業後は都内の広告制作会社に勤めて、その後、単身ニューヨークへ渡ります。
ニューヨークでは映像制作を学び、現地のレコード会社でアーティストのブランディングを担当。刺激にあふれた環境で充実した時間を過ごしていましたが、ご両親の他界を機に、2009年に青森へ戻ることになります。
「青森に戻ってくるなんて1ミリも考えたことがなかったので、どんなに退屈な日常が待っているんだろうと思っていました。やりたいこともできなくなるんじゃないかなって…。だけど、帰ってきてみたら、ご飯はおいしいし、温泉も近いし、青森ってこんなにいい場所だったんだと驚いたんです。
ただ、当時、青森にはその魅力を伝える発信力がなかった。そこで、僕が培ってきたブランディングやデザインのスキルが役に立つんじゃないかなと思いました。街づくりの仕事をするために立ち上げたのが、『QLOCK UP』という会社です」
「おもしろい街をデザインする、社会課題をデザインで解決する」という理念を掲げて会社を設立した中村さんが、最初に取り組んだのはお店づくりでした。飲食店をメディアと捉え、自分たちで手がけた空間デザインやグラフィックデザインを広く知ってもらうという狙いが功を奏し、青森市内で次々とお店を立ち上げていったのです。
飲食店やコーヒースタンドの開業、チョコレートやケチャップの商品開発など、自分の街をおもしろくするために多種多様な活動を展開してきた中村さん。その噂は徐々に広がっていき、行政からも声がかかるようになりました。
現在は県や市と提携して、青森駅前にビーチを作るプロジェクトに参画。アメリカのサンタモニカで見た風景から着想を得てビーチ脇にオーシャンズダイナーをオープンしたほか、海岸に流れ着くゴミを集めてプロダクトや燃料を作るアップサイクルホテルの設立などを計画しているといいます。
「自分のやりたいことを諦めず、情熱を持って続けていけば成功すると書かれているビジネス書はたくさんあります。だけど、自分で事業を経験するなかで、それは嘘だと気づきました。実際には、自分のやりたいことと、地域の課題解決が同じベクトルに向いたときに応援してくれる人が増え、事業が成功しやすくなるのだと感じています」と語る中村さん。
課題から事業を考えるよりも、自分がやりたい事業が課題の解決になっている形が理想と考えていた彼が、同じ志を持つ仲間と出会ったのが地域トレセンでした。
「今年の鹿児島の地域トレセンに参加して、自分のように悩み、考えている人が日本中にこんなにたくさんいることにびっくりしました。今はネットの力によって、距離に縛られないコミュニティを作ることができます。そうして各地の人がつながることで、世界は変えていくことができるんじゃないでしょうか。
地域トレセンは、そういう関係性のきっかけを築いていける場所だと思っています。今回もよろしくお願いします。ようこそ、じゃわめぐ(津軽弁で『血が騒ぐ』の意味)青森へ!」
中村さんのドラマチックなプレゼンに、会場からは盛大な拍手が。こうして一気に熱量が高まり、青森の地域トレセンが幕を開けました。
個の熱量が伝播し、新しい熱を街に呼び込む。青森から世界を見据える街角のコーヒースタンド
青森で活動する地域プレイヤーとして最初にプレゼンに立ったのは、QLOCK UP運営のコーヒーショップ『COFFEEMAN good』の店主を務める橋本雄大さん。
もともと『COFFEEMAN good』は、中村さんがニューヨークに住んでいた頃に通っていたコーヒースタンドをイメージして作られました。そこで毎朝会話をする人がいたことが海外生活での支えになった経験から、青森でもコミュニティが生まれるコーヒースタンドを作りたいと考えたそうです。しかし、思うように売り上げが伸びず、閉店の危機に。そんなときにお店を訪れたのが橋本さんでした。
当時、神奈川県のコーヒー店で働いていた橋本さんは、帰省の際に『COFFEEMAN good』を見つけ、「こんなに素敵な店が青森にできたんだ」と思ったといいます。残念ながら中村さんに会うことはできませんでしたが、自身がコーヒー抽出の競技会で使うために用意していた豆をお土産として置いていきました。
お店のスタッフからその話を聞いた中村さんは、橋本さんの豆で淹れたコーヒーを飲んで「この味を出せる人ならお店を救える」と確信。翌日には橋本さんを口説くために神奈川へ向かったそうです。
「中村さんから、青森に戻ってきてほしいと言われましたが、すぐに青森に帰って働こうとは思いませんでした。だけど、『コーヒーを通じて人の集まる場所を作りたい』という話を聞いて、自分も同じ考えだなと思ったんです。お店に行った翌日に会いにきてくれた行動力にも驚かされましたが、とても熱い想いが伝わってきました。いつかは自分のお店を持ちたかったので、いい機会だと考え、妻を説得して約1年後に青森へ戻ることにしました」
橋本さん夫婦の努力と周囲のサポートによって、閉店の危機に瀕していた『COFFEEMAN good』は見事に復活。橋本さんは『Japan Aeropress Championship 2022』というコーヒーの抽出競技会で準優勝を果たしたほか、南米のコーヒー農園へ足を運んで直接取引を始めるなど、お店は日々進化を続けています。
「青森からでも競技会で勝ち進めるほどの味や技術を追求することができると証明したいですし、取引をさせてもらっている生産者の方々の想いも一緒においしいコーヒーを世界中に届けたい。そして、『青森はコーヒーがおいしいから行ってみたい』と言ってもらえるような街にしていきたいと思っています」
そんなビジョンを力強く語る橋本さんの表情には、思い描いた未来を自分の手で作る喜びが滲み出ていました。実際に、青森でコーヒーのイベントが行われるなど、街は変わり始めています。
その後も、弘前市やつがる市などの視察先やプレゼン会場を移しては、十人十色のナラティブや想いを持つ青森の地域プレイヤーが登場します。
温泉街でブルワリーを立ち上げている事業者や、東京から青森にIターンをして企業支援をしている移住者、障がいを持った方とともに地域貢献を目指すりんご農家、さらに地元に戻ってエリア再生事業に取り組む市役所職員などが、取り組みの現状や抱える課題、そして思い描く未来を語ってくれました。
移動中も懇親会でも続く熱のこもったディスカッション
地域トレセンの運営委員で、『丸の内朝大学』など数多くの地域プロデュース・企業ブランディングを手がけてきた古田秘馬さんは、このプロジェクトの役割を次のように話します。
「トレセンは答えを出す場ではないんですよ。誰がすごいとか誰がダメだってことじゃなくて、いろんなキャラがあって、いろんなアプローチがあるってことを、みんなで共有することが大事なんだと思います」。
青森のプレイヤーのプレゼンに対しては、さまざまな角度からのフィードバックが行われ、忌憚のないディスカッションは移動中のバスでも続きました。
五所川原市で農林体験の場として利用されていた『グリーンバイオ村』を訪れた際には、中村さんが既存のコテージや食肉加工施設を活用してグランピング施設を作るというプランを紹介。これに対し、参加した地域プロデューサーのメンバーからは次のようなアドバイスが伝えられました。
「こういう場所を利活用するときには、既存のインフラやアセットから物事を考えがち。『食肉加工の設備があるからソーセージを作ろう』とか。それって最短距離に見えるかもしれないけど、今あるものを使おうと考えている時点で、思考が狭まっていることには注意したほうがいいと思います。宿泊移設もあるからグランピングって発想ではなく、そもそもここに泊まらなきゃいけない理由から考えるのが大事なのかなと」。
古田さんからは「グランピングをしたい人が、わざわざこの場所を選ぶ理由が見当たらない。それをやるためには、まず観光のコンテンツを作らなきゃいけないので、時間がかかりすぎる。だったら、観光ビジネスではなく、基礎インフラを活かして、自給自足の職業訓練ビレッジみたいな施設を作るのも面白いかもしれない。食肉加工や醸造のことが学べたり、太陽光発電の仕組みを自分で作れるようになる施設のニーズは一定数あると思うので」という意見も挙がりました。
多くの知識と経験に基づいた説得力のある提案には、中村さんも納得の様子。お互いに真剣だからこそ、時には厳しい意見が出ることもありますが、その積み重ねによって信頼関係が構築されていくのでしょう。視察で訪れる場所ごとに、こうした議論が交わされ、熱いプレゼンとフィールドワークが続いていきます。
夜には食事の時間でさえ寸暇を惜しみ、プレゼンや地域の食を学ぶ時間が続きます。青森では県産のリンゴで作られたシードルやブランデー、元廃校の加工場で作られている生ハムなど、視察先で生産された食材と地元のシェフによる食事が振る舞われました。
お酒も入ってリラックスした雰囲気のなかでも、各席から聞こえてくるのは地域と事業の話。全国各地から集まった地域プロデューサーや青森で活躍するプレイヤー、オブザーバーの方々など、ほとんどの参加者が自分たちで事業をしているため、似たような悩みを抱えていたり、具体的なアドバイスを受けられたりと、実践的な意見交換の場になっていました。
懇親会でも熱量は上がっていくばかり。地域や事業内容は違っても、こうして同じ熱量で語り合える人と出会えることが地域トレセンの魅力であることは間違いありません。
ビジョンも葛藤も共有できるからこその強い信頼関係
約20の施設を巡り、10名を超える地域プレイヤー、さらには他の地域のナレッジを持つプロデュサーたちのプレゼンが行われた青森での地域トレセン。
それぞれの事業や街の未来を語り合いながら、東北の豊かな食文化を堪能するという、非常に中身の濃いツアーとなりました。登壇者のみならず、その場で青森の熱い取り組みを体感し、話を聞いていた参加者全員が心に火をつけられるような3日間だったのではないでしょうか。
参加者の方々からは「受け身ではいられない場所だから、すべてが自分ごとに思えました」や「早く地元に戻って思いついたことを実践したいですね」といった声が聞かれました。
また古田さんは「今回、いろんな場所を見学させてもらって、(中村)公一くんがデザインというアプローチで作っている世界観が、ものすごく好きだなと思いました。見た目がいいだけでなく、コンセプトがしっかりしているプロジェクトが多くて刺激になります。
すごくチープな言葉かもしれないけど、地域トレセンは仲間を作る場所なんだと思います。仲間っていうのは何かと言うと、常に葛藤を共有している人のことなんじゃないかな。だから、公一くんとは今後も一緒に何かやっていきたいですね」と話します。
最後にマイクを渡された中村さんは、時折声を詰まらせながら「僕は父親に認められたいっていう気持ちがすごく強くて。それがモチベーションにもなっていました。もう亡くなってしまったので、認められることはないんですけど、そういう人間になろうと思って頑張ってきた10年でした」と、言葉にしにくかった心情を吐露。
「でも、だんだんと皆さんのような仲間ができて、父親の代わりに認めてもらえていることが実感できて、少しずつですけど自分が生きていることを感じています。ありがとうございました!」と深く頭を下げると、会場からは賛同と労いの意味がこもった盛大な拍手が送られました。
青森のプレイヤーの方々が情熱を持って自分たちの活動を語り、それを真摯に受け止める地域プロデューサーたちが豊かな経験をもとにしたフィードバックを返す。
真剣さも笑いも、時には涙も溢れるディスカッションを積み重ねていく様子は、まさに人と人、人と地域がつながっていく過程を眺めているようでした。いわば、地域創生・活性のナレッジと人財のネットワークが広がっていく場なのです。
実際に中村さんは、今回のトレセンを通じて深めた青森のプレイヤーたちとさらに活動を進めていくために、新たなアクションへの一歩を踏み出し始めています。
これからも地域トレセンで出会った人たちが、地域とつながりながら新たな取り組みを生み出していく未来が楽しみです。
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