軸を大切に、予定不調和を楽しむ。醸造、飲料研究、商品開発、海外駐在を経て気付いた「自分の仕事」の価値
さまざまな場所に残した点が、どんな線を描くのかは、人それぞれ異なるもの。特集「自分らしい仕事のつくりかた」は、キリンでの出会いや経験によって、“自分らしい仕事”を見つけた人たちのキャリアを紐解いていく連載です。
今回お話を聞いたのは、2007年にキリンビールに入社して以来、醸造、飲料研究、商品開発、海外駐在と多岐にわたる現場を経験し、現在は神戸工場で醸造エネルギーを担当する中村壮作。
『本麒麟』の開発に携わったのち、アメリカでのビールづくりを経験したことで、「キリンの強み」をあらためて実感したといいます。
常に新しい環境で自分の仕事と向き合ってきた彼に、これまでの道のりを聞きました。
【これまでのキャリア変遷】
─まず、中村さんがキリンビールに入社した理由を教えてください。
中村:大学では農学部に所属していて、卒業後は食品メーカーに進む先輩が多かったんです。私自身も「好きなものを自分でつくる仕事ができたら、おもしろそうだな」と思い、お酒のメーカーを受けてみることに。そして、ご縁があったのがキリンビールでした。入社前は「安心して働けそう」「社員がいい人そう」という印象を持っていましたね。
工場への配属を自ら希望した理由は、「現場を知らないと、その先の広がりはないだろう」と漠然と思っていたからです。希望が叶い、名古屋工場の醸造担当としてキャリアをスタートしました。
名古屋工場でがむしゃらに醸造の基礎を学んだ
─最初に配属された名古屋工場では、どのような業務を担当していましたか?
中村:製造現場での生産管理や品質管理を担当していました。例えば、商品の香味のバランスがずれてきた場合、発酵工程で調整する必要があるので、そういった対応を行っていましたね。『一番搾り』や『淡麗極上〈生〉』などの定番商品から、新商品や季節限定品まで、幅広く手掛けていました。
─3年半ほど醸造担当として過ごしたなかで、印象に残っていることはありますか?
中村:一番印象に残っているのは、新商品の製造工程を立ち上げた経験です。製造工程の立ち上げとは、研究所で開発した新商品のレシピを、工場で大量生産するための規模感に落とし込む業務のこと。
先輩にゼロから教えてもらいながら、原料配合や製造工程の条件を考え、完成した商品を評価されるという一連の流れに初めて携わりました。商品が店頭に並んでいるのを見て、「仕事をした」という達成感が湧きましたね。スーパーで1ケース買って実家に送ったことは、今でも覚えています。
試行錯誤した経験が、開発を加速させるアイデアに
─2010年に飲料未来研究所に異動。そのきっかけについて教えてください。
中村:ビール工場で醸造の基本を学んだからこそ、「ビール以外の仕事に携わりたい」という気持ちが芽生えてきたんです。自分の守備範囲を広げることに興味が出ていたタイミングだったんだと思います。その想いを汲んでもらい、その当時は主にRTD(※1)の技術開発をしていた飲料未来研究所へ異動が決まりました。
─これまで担当していた醸造とは、業務内容が大きく変わりますよね。
中村:そうですね。飲料未来研究所は、今までにない付加価値を持った商品を開発する部署で、まさに異分野に飛び込むような感覚でした。また、RTDは発酵ではなく、原料を調合してつくるため、ビールとは製法も大きく異なります。ノウハウも経験もないなかで、試行錯誤をくり返した時期だったなと。
中村:そのあと、RTDと技術的に近い領域として、ノンアルコールビールテイスト飲料の開発プロジェクトが立ち上がり、私もその担当に。2013年からは商品開発研究所に移り、それまでの経験を活かしながら、ビールの中味づくりに携わるようになりました。
─RTDから、再びビール類の分野に戻ることになったのですね。
中村:はい。それから6年ほど、ビール類の中味開発に携わりましたが、RTDでの経験は、私にとって必要なものだったと感じています。例えば2014年に発売した発泡酒の『淡麗プラチナダブル』の開発に行き詰まっていたとき、RTDの調合のノウハウを活かすことで、プリン体ゼロ(※2)・糖質ゼロ(※3)を実現することができました。異なる分野での経験が、思わぬところで活きてくるんだなと実感しましたね。
『本麒麟』の開発で心がけた、ブランドとしての中味づくり
─中村さんが中味を担当した『本麒麟』(※4)の開発について教えてください。
中村:『本麒麟』の前に、『キリン のどごし スペシャルタイム』という商品についてお話しさせてください。この商品は中味の評価が高く、リピーターも多かったのですが、大きなヒットにはつながらなかったんです。その理由は、あらゆるお客さまに手に取ってもらえる機会が少なかったからでした。
そのときにあらためて感じたのは、お客さまにとっては、中味、デザイン、CM、店頭での見え方など、すべてを含めて一つの商品だということ。だから、『本麒麟』では自分も中味をつくるだけではなく、ブランドをつくる過程にしっかり加わろうと思い、グループインタビューや社外調査にもできるだけ足を運びました。そういう場のちょっとした会話から、開発のヒントを得ることも多かったですね。
中味の開発においては、パッケージやネーミングに合わせて、満足感や飲みごたえを実現することを意識し、『本麒麟』というブランドイメージを一貫させていくことに注力しました。
─商品開発のやりがいは、どんなところにありますか?
中村:新商品の開発は、大きな責任が伴いますが、それ以上にやりがいを感じる仕事です。ただ、原料や製法へのこだわりが強くなればなるほど、工場や各部署との調整が必要になり、苦労も多くなります。「これだけ力を入れても、果たして売れるのだろうか」といったプレッシャーもありました。
だからこそ、製造現場の人に「『本麒麟』のおかげで製造予定がしっかり埋まってきたよ」と声を掛けてもらったときはうれしかったですね。工場が忙しくなるのは、商品が多くのお客さまに選ばれている証拠です。現場から伝わってくるポジティブな雰囲気には、感慨深いものがありました。
私自身、工場での経験があるからこそ、お客さまはもちろん、製造現場にもよろこんでほしいという思いが強くあります。関わる人みんながハッピーであることを、自分の中で大切にしているので、『本麒麟』ではそこに近づけたのかなと思います。
アメリカのブルワリーを見て気付いた「キリンの強み」
─2019年からは、キリンの提携先であるアンハイザー・ブッシュ社のロサンゼルス工場へ。どのような経緯で異動したのでしょうか?
中村:開発の仕事を6年ほど続けていたので、そろそろ異動のタイミングかなとは思っていました。ただ、次のステップについて「こうしたい」という明確なイメージはなかったんです。
それまでもホップの調査やクラフトビールの視察で海外へ出張することはあったので、うっすらと語学の勉強はしていたものの、内示を受けたときは「人違いでは?」と驚きました(笑)。
そして、アメリカで展開する『KIRIN ICHIBAN(一番搾り)』の品質管理や需給調整の担当することになり、業務委託先であったアンハイザー・ブッシュ社に3年ほど駐在することになりました。
─実際にアメリカのビール製造の現場を経験してみて、どう感じましたか?
中村:率直に言って、大変でした(笑)。日本とは違って、少ない人数でチームを運営しなければならず、日々さまざまな課題が発生して…。
製造したビールを試飲して調整をお願いしても、なかなか思うように物事が進まなかったり、価値観の違いに戸惑ったりと、ジレンマを感じることが多かったです。
中村:語学やコミュニケーションの面でも苦労が多く、慣れるまでに時間がかかりました。一番しんどかったのは、やっと現地での生活に慣れてきたというタイミングでコロナ禍になり、現場に行けなくなってしまったこと。リモートになったことで、表情やジェスチャーといった非言語コミュニケーションが制限され、意思疎通の難しさを実感しました。
─そんな経験を通じて、どのような学びがありましたか?
中村:アンハイザー・ブッシュ社のロサンゼルス工場は、アメリカ国内でもトップ3に入るくらいの大きなブルワリーで、その生産量や販売量には圧倒されました。一方で、「キリンも負けていない」と思ったのは、製造工程において品質を追求する姿勢です。これは、外に出なければ気付かなかったことですね。
─キリンで当たり前にやっていたことが、すごいことだったと。
中村:そうですね。キリンビールの工場で当然のように行っていることが、こんなに価値があるのかという発見がありました。
もちろん、国民性やカルチャーの違いも大きいです。クリスマスには従業員たちで大きなクリスマスツリーを飾るなど、楽しみながら仕事をする自由な雰囲気が彼らの持ち味なんです。これまでとは異なる環境から、自分のいた場所を見つめ直すことは、とてもいい経験になりました。
やりたいことは抽象化しておくと、予定不調和を楽しめる
─帰国後は、横浜工場を経て神戸工場の醸造エネルギー担当に。製造現場を再び希望した理由を教えてください。
中村:アメリカでの経験を踏まえて、もう一度ビールづくりの基本に立ち帰りたいという想いがありました。また、さまざまな経験を重ねてきたことで、以前とは見えている景色も目指すものも大きく変わり、その変化を還元したかったというのもあります。同じ場所に戻ってきたというよりも、螺旋を描きながら上がっていっている感覚なんです。
─今は、神戸工場でどんな役割をされていますか?
中村:現在は、個別の業務というよりも、チーム全体を見渡す立場にいます。現場の課題の解決や、組織のあり方を考えて、それをメンバーに共有することが主な役割です。
特に意識しているのは、いい仕事はしっかりと褒めること。キリンビールの仕事の水準はとても高く、みんな当たり前のように取り組んでいますが、実は素晴らしい仕事をしているんです。メンバーそれぞれに、自分たちの仕事に誇りを持ってほしいと思い、それを言葉で伝えるようにしています。
─それは、働くモチベーションにもつながりますよね。「専門性と多様性をキーに成長する」というキリンのキャリア指針については、中村さんはどう解釈していますか?
中村:私の場合、開発の現場で長く経験を積んできたことが、自分の専門性になっているのかなと。多様性という面では、工場での経験やRTDの技術開発、海外での仕事といったさまざまな経験が、幅を広げることにつながっています。
ただ、これは自分でデザインしたわけではなく、気付いたらここにいたという感じですね(笑)。キャリアというのは、夢中で取り組んできたことを、数年後に振り返って初めて見えてくるものだと思います。
私もRTDの開発に携わっていた当時は、この経験が将来どう活きるかなんて考えもしませんでした。でも結果として、それを別の分野で活かすことができましたし、目の前の仕事に全力で取り組んできた結果が、今につながっているのだと実感しています。
─自分らしさを伸ばしていくためには、どんなことが大切でしょうか。
中村:キャリアイメージを具体的に持っておくことが必要なのかと問われると、私自身、まだ答えが出ません。むしろ、自分がなりたいものや目指す方向性は、ある程度抽象化しておくほうがいいのではないかと思うんです。
中村:抽象化しておくというのは、例えば「商品開発をしたい」と具体的に思ったときに、その根底にある想いに目を向けることです。なぜそれをしたいのか、自分に問いかけていくと「自分の手で何かを生み出したい」「お客さまに価値を届けたい」といった、本質的な動機が見えてきます。この動機を軸として持つことで、必ずしも商品開発じゃなくても、その想いを実現できる道筋が見えてくるかもしれません。
それくらい考え方が柔軟なほうが、現状と将来の折り合いをつけやすいんじゃないでしょうか。決まったゴールだけを見つめていると、想定外の出来事に対応できず、仕事のおもしろさを見失ってしまう可能性がありますから。
─理想どおりにいかないと、心が折れてしまうこともありますね。
中村:そうですね。理想と現実のギャップに落ち込んでしまうのはもったいないと思います。もちろん自分なりの軸を持つことは大切です。ただ、長い目でその軸を見つめていくことが重要なのかなと。
すぐに目に見える結果が出なくても、仕事に向かう姿勢や諦めない気持ちは必ず伝わるので、それが次のステップにつながっていくはずです。
こうして積み上げたものが、自分の目指す方向性と大きくずれていなければ、それでいいと思います。私自身、これからもゴールを決めすぎず、ある程度の柔軟さは持っておきたいですね。
─これまで未知の領域で挑戦を重ねてこられたと思います。そんななかで前向きに取り組む秘訣はありますか。
中村:自分がコントロールできないことは、あまり気にしないようにしています。自分がどれだけ開発に力を入れても商品がヒットするとは限りませんし、アメリカでのコロナ禍も予測できませんでした。「そこに文句を言っても仕方ない」と、線引きをうまくできるようになったのは、大きな進歩だと感じています。
「おもしろき こともなき世を おもしろく」という高杉晋作の言葉がありますが、結局は自分の心のありよう次第で、物事をネガティブにもポジティブにも捉えられます。どんな状況も捉え方次第で、貴重な経験になる。そういう考え方を持つことは大切だなと、これまでの経験から学びました。
自分が納得できるまで取り組めたら、結果がどうであれ受け入れられます。これからも自分がいる場所で、できることを精一杯やっていきたいですね。
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醸造や開発を軸に、仕事の幅をさまざまな方向に広げながら、キャリアを築いてきた中村。遠回りに思えることも、真摯に向き合い続けることで、あとになって大きな意味が生まれる。そんな働き方を体現しています。
「自分らしい仕事のつくりかた」では、今後もキリンで“自分らしい仕事”を見つけた人たちの、職務経歴の裏側にあるストーリーを伝えていきます。次回をお楽しみに。
文:坂崎麻結
写真:土田凌
イラスト:Daisueke Takeuchi (daisketch)
編集:RIDE inc.