40年連れ添ってきた「聖獣麒麟」。ぼくにとってのキリンラガービール〜編集者・エッセイスト 澤田康彦さん編〜
今回10年ぶりのリニューアルにあたって始まった特集企画、『改めて、キリンラガービールとは』。発売から132年、キリンビールの“原点”ともいえるキリンラガービールを改めて見つめます。
リニューアルを担った2人の醸造家に話を聞いた対談企画に続き、キリンラガービールを愛してやまない方々に、その魅力をたっぷりと語っていただきます。
最終回となる3人目は、編集者・エッセイストの澤田康彦さん。2019年11月まで『暮しの手帖』編集長として生活のヒントや暮らしを楽しむコツを伝えてきた澤田さんですが、昔からご自身の食卓には「キリンラガービール」があったのだそう。
昔から現在に至るまで、澤田さんにとっての「キリンラガービール」とはどのような存在なのか。幼い頃の思い出を交えてご執筆いただきました。
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今では通年飲むビール(ぼくの場合は連日のように飲むビールだけれど)、昔は夏の飲料。俳句では夏の季語。生家(滋賀県東近江市)でも当然ながら夏の飲み物だった。
駅前の酒屋さんが届けに来てくれていた。ぼくの幼い頃は、配達やご用聞きというシステムがたぶんどの町でも豊かに機能していて、人間が交差していたもの。牛乳配達はもちろん、電機屋も魚屋も仕出し屋も、クリーニングから置き薬、回覧板に至るまで、勝手口は大にぎわいだったのだ。貧しくつましくとも、あの活気はなつかしく、うらやましい。
ビールの俳句と言えば、敬愛する詩人・北原白秋の数少ない作品にこんなのがある。
わあ、なんというはしゃぎっぷり!
大正時代の作品で、5・7・5ルールを無視した自由律俳句。内容も自由、やってきた郵便屋さんに「のませた」なんて、大らかで素晴らしい。そういう時代だったのか白秋がそういう人だったのか、たぶんどっちもだろうけれど、行動にいささか問題ありつつも(飲ませるほうも飲むほうも)、夏を迎えた喜びは爆発的。それこそビールに似つかわしい。「郵便夫」だから、昼間だね! 昼間から!
ほかにこういう一句も。
こちらは打って変わって静かな世界。けれど同じようにビールを通じて得られる相手との一瞬の交歓が描かれている。「君」って誰だろう? 白秋、ビールわかってるやん! なんて生意気に思ったのも自分が社会人になる頃。おお、それとて40年前、昭和時代だ。ひえー。
駅前の酒屋さんはオート三輪でやってきた。運んでくるのは瓶ビール、持って帰るのはビール瓶。ビールのほかに清涼飲料も届けてくれる素敵な配達人だ。
がちゃがちゃとさわぐ瓶たちの妙なる音は、今も耳の奥底に残っているなあ。
家のビールは主としてキリンラガービールだった。小さかったのにはっきり覚えているのはラベルの印象的なビジュアルによる。サバンナのキリンの絵が得意で、親におだてられクレヨンで何枚も描き続けていたのだけれど、ある日食卓で何気なく父に聞く————
「これ何?」
「キリンや?」
「えっ!」
ずいぶん首の太く短いキリンやなあ。
「どこにいるの?」
「天や」
「えっ!?」
その後、こっちの聖獣麒麟のほうとこんなに長いつきあいとなるとは。どっしりと苦み走った大事な友だち。
今のわが家もそうで、これが新しいキリンラガービールだ、とぼくが言うと、中学生の娘がどれどれと観察し、「キ、リ、ン……同じ位置だね」。何を言っているのかというと、麒麟絵のたてがみに隠された3つの手書き文字のこと。父のビールタイムに、息子もふくめ、隠し文字の確認がときどき行われる。わが子が人生で覚えた「キリン」はこちらが先ではないかなあ。いささかメンボクなく、同時に頼もしいなーと喜んだりもするオロカな父親なり。
ちなみにこの隠し文字は、ものの本によると1933年にはあったそうで、時代によって位置も違う。目的は定かではないらしく偽造防止説やデザイナーの遊び心説などがあり、ぼくは遊び心説に一票を投じたい。愉しいものね。
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生家の話に戻す。
母の言では、戦後しばらく、ビールはとても贅沢な飲み物で、お客さんが来たときや、祭・法事のときに出すもの。父も滅多に飲まなかった(飲ませてもらえなかった)そうだが、その父ヒロシが真夏のある日曜の昼間に突然栓を抜いてビールを飲み出し、「びっくりしたんやわ!」と今でも母は繰り返す。我慢できなかったんだろうな。
キリンラガービールの大瓶。
わが家の栓抜きは大きく重く、これで王冠をコンコンと叩いて、シュポッと栓を抜き、コップに真面目に慎重につぐ。その時の父の行為を見たわけでもないのに、そんな絵と音が浮かぶ。くはー! の声も。
高度経済成長期の働き盛りの父。仕事仕事仕事の日々の中で、炎天の日曜日にやおら身を起こし飲む禁断のビール。それはどれくらい美味だったろう、と息子のぼくは思うのだ。
父が当時飲んだビールは、働いて働いてやっと買えた、家電・3種の神器の一つ“冷蔵庫”で冷やしたものだ。これもまた大いなる喜びであったろうなと想像する。それまでの飲料は井戸水で冷たくしていたわけで、スイカやマクワウリ、トマト、キュウリなどはちょうどよい冷え方だったわけだけれども、ビールとなるともうちょっと……であったに違いあるまい。
冷やし方で言えば、ぼくが最も好むのは野外の、キャンプでもイベントでも、人が大勢いる場に置かれた巨大なクーラーボックス。大ぶりの美しい氷がけちらずたっぷり浮かんで揺れていて、中に缶ビールが無造作に何十缶も浸かり「ご自由にどうぞ」。冷え冷えの水に自分で手を突っ込んで取り出す。これはキリンラガービールをおいしく味わう一つの到達点だと確信する。
こんなに長いつきあいとなるとは、と上に書いたけれども、これは本音で、(あこがれの)東京に来て大学生となり、フランス語を専攻して、華道部や映画研究会に入って、映画館に通って、書店や雀荘や出版社でアルバイトをして……若い頃、どの場にもキリンラガーがあったなあ。麒麟を見ていたというより、麒麟がぼくを見ていたのだった。本当に二十歳越えたら、人生のあれこれ以上に諸先輩がまず教えてくれたのがお酒とのつきあい方で、その中心にはこの聖獣麒麟がいたのであった。
歌人・若山牧水に「空想と願望」という長めの詩がある。ここには彼の願いがたっぷり書き連ねられていて、例えば「いつでも立ち上って手を洗へるやう、手近なところに清水を引いた、書斎が造り度い」。「窓といふ 窓をあけ放っても、蚊や 蟲の 入つて来ない、夏はないかなア」。「おもふ時に 降り おもふ時に 晴れて呉れ」……。読めば読むほど、この放浪歌人はわがまま! と思うのであるが、ラストの一節はこう。
詩と言うより、既にあまりにも普通のつぶやき。けれど、これだけは、絶対的に同感だ。
「白玉【しらたま】の歯にしみとほる秋の夜【よ】の酒はしづかに飲むべかりけり」と詠んだ、旅と独酌を愛する歌人が、ビールはどんなふうに飲んだのだろう?
旅館で、居酒屋で、外で……牧水先生の目にも映っていたに違いない麒麟の画、クラシックな壜の像、景色がぼくには浮かぶ。時空を超えて同じ場にいたいな、そしてそこで飲むラガービールはどんな味だろう? とかなり真面目に思うのである。白秋先生んちに通う郵便夫になりたいとか。
いずれにしても、北原白秋のように誰かと飲むビール、若山牧水や父のように1人で飲むビール、ぼくの好む野外やホールで大勢と飲むビール。シーンはそれぞれ相当に違うけれども、いずれにもフィットしうる特別な飲料だ。
昨年東京での出版社勤めを辞し、今年からは京都の家族の元に戻り生活している。ぼくはぼくで暮らしのシーンが変わったのである。コロナ禍も加わり、家にいる時間が長くなり、夜もずっと家族との食事という日々。前述の“大勢でクーラーボックス作戦”が目下遠のいてはいるけれども、たまにはまあ落ち着けサワダってことかなあ。
この新しいキリンラガービールも、日々じっくり味わえるし。
味については、いくつかのルポの通り、苦みの質が確かに変わり、マイルドになった。立ちのぼる香りにフルーティさが増した…とは思うけれど、ずっと昔、編集者時代に部員みんなでやったビールのブラインドテイスティングに(ほぼ全員)失敗し、苦い記憶がある身である(ビールだけにね)。以降あまりエラそうなことは語らぬように心がけているため、多くは申しません。
でも、もう一缶空けて、味わってみよう。こないだ大慌てで近所のスーパーで入手できた旧バージョンもあるので(8月下旬)、こちらと比べてみよう。飲めばわかる。苦さの違い、ホップの働きは、どうかなどうかな?
お気に入りのクリスタルのビアグラス2つにそれぞれ慎重につぎ分けていると、とうに食事を終えた娘が「どんだけ飲むねん!」とツッコんできた。
うひゃあ。言うようになったなあ。
家人にこんなこと言われ、ちょっとドキドキして飲むのも実はビールがおいしくなっちゃうエッセンスの一つなんだよねえ。
あの遠い夏の日の午後、“ひえひえ”を前にした父を思う。
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夏の季語として存在し、働く人の糧となっていた"ひえひえのビール"。澤田さんの食卓にも、首の短いキリンの「聖獣麒麟」とともに記憶として色濃く残っていたようです。
132年の歴史を持つキリンラガービール。思い出の中に、そして現在も、みなさんの暮らしの中にそっと佇んでいます。”改めて、キリンラガービールとは” あなたにとってどんな存在でしょうか。新しく進化した味わいも楽しみながら、この機会に考えてみるのも楽しいかもしれません。