「工場の科学」から広がる日本ならではのクラフトビールの未来とは。キリンビール仙台工場といわて蔵ビールの挑戦
ビール工場とクラフトブルワリー。規模や設備は違うものの、ビールを造る者同士として共に創造していける未来はあるのか?
そんな問いと向き合うことから、キリンビール仙台工場と「いわて蔵ビール」の協力関係はスタートしました。
これまで交わることのなかった両者が手を組むことで、日本のビール文化は、どのような未来を築くことができるのか。
良質なホップを届ける農家と、それをビールとして製造するキリンビール仙台工場のつながりを語っていただいた前編。
後編では、新たなジャパニーズクラフトビールの形成を目指す「いわて蔵ビール」の佐藤航さんと、日本産ホップの価値向上に努めるキリンビール仙台工場の末武将信副工場長の対談が実現しました。
いわて蔵ビールが見てきた、地ビールのブームと衰退
─「いわて蔵ビール」の母体である世嬉の一酒造さんは、1918年に創業された蔵元です。100年以上の歴史を持つ蔵元が、ビールを造り始めたきっかけは何だったのでしょうか?
佐藤:世嬉の一酒造がビールを造りはじめたのは1995年で、最初は私の父が事業としてスタートさせたんです。きっかけは二つあって、一つは日本酒の消費が落ち込んでいたこと、もう一つは規制緩和で私たちのような小さい企業でもビール醸造ができるようになったことでした。
ただ、基本的にはゼロからのスタートで、以前から一緒に町おこしに取り組んでいた一関市内の事業者の方々とビール事業を始めました。
─当時は、世の中が地ビールブームでもありましたね。
佐藤:そうですね。ただ、当時のその地ビールブームも3年ほどで下火になってきて、1999年にはうちも赤字に…。事業自体をどうするかを考える必要があったので、そこで私も実家に戻りビール事業に加わることになりました。
─そこからどのように立て直していったのですか?
佐藤:当時の私たちは、きちんと教育を受けてビール造りをしてきたわけじゃないので、クラフトビール界で先行している木内酒造さんのところで修行させていただきました。そこで学ばせてもらうことで、品質の向上を目指していたんです。
そのなかで印象に残っているのが、「ビールは、科学的な知識と芸術的な発想の組み合わせでできるものなので、それを大切にしてください」という言葉です。
それと、私たちはまだ生まれて数年のビール会社なので、常にチャレンジしなさいってことを言われました。このことは、今でも私たちが大切にしている考え方です。
生産者の減少に直面した日本産ホップの危機
─末武さんは、仙台工場の副工場長に就任される前はどんなことをされていたのですか?
末武:入社は、かつて広島県にあったキリンビールの工場で、以来ビール造りに長く携わってきました。仙台に来たのは昨年の秋なのですが、東北との付き合いは5年ほど前からです。
当時は、原料を購入する「調達部」という部署に所属していました。そこで日本産ホップの調達も担当していたので、ホップ産地の岩手や秋田を訪問することもあって。そのときに、高齢化による離農などによって生産量が減っている実情を知ったんです。
─日本産ホップの生産が危機に瀕していたと 。
末武:そうなんです。問題は、ホップ生産者さんとキリンの間で、明確なホップの評価基準がなかったことです。そこで、日本産ホップの一大産地である遠野をはじめとする、各地の生産者さんと、「いいホップとは何か」について、あらためて話し合いました。
具体的には、当時5つあった組合の農家さんからサンプルを提出いただき、最も香り高いホップを最優秀として選出し、それを、キリンブランド「スプリングバレーブルワリー」の限定商品に活用していったんです。
そういった取り組みを通じて品質向上につなげていったという流れですね 。
─ホップの品質向上に努めたのは 、キリンがしっかりと日本産ホップの価値を示そうという意識 だったんですか?
末武:まさにそうですね。 私たちから「日本産ホップ」の魅力を伝えることで、よりホップの栽培が盛んになってほしいという思いがありました。ただ、ホップ産業を続けていくためには行政の協力も必要ですので、遠野市さんには新規就農者に対する支援をはじめとするサポートもしていただいています。
─キリンと遠野市と生産者の方が三位一体となって、今のホップ産業を支えているんですね。
キリンのノウハウによって乗り越えた独学の壁
─いわて蔵ビールさんとキリンの仙台工場の関係は、どんなきっかけで始まったのでしょうか?
佐藤:それはですね、2011年に東日本大震災があって、当社の工場もけっこう大変な状況だったんです。タンクは倒れ、配管も全部壊れて…。それでもなんとか自分たちで修理をして工場を再開させたんですが、物流も止まってしまったので経営的にもピンチだったんですよね。
─ビールを造っても、出荷ができない状況だったと 。
佐藤:そうなんです。だけど、そんな状況下でも、ファンの方たちがたくさんのビールを買ってくださって本当に助けられました。
そういうことがあったので、「お客さんに何か恩返しをしたい」というのを、東北のブルワリー同士で話していたんです。私たちができることは何だろうと考え抜いた結果、「品質でお返しすることが、一番のお礼じゃないか」という結論に至りました。
そこで、 秋田県の「秋田あくらビール」さんと、福島県の「みちのく福島路ビール」さんと、うちの三社で「東北魂ビールプロジェクト」という勉強会をはじめたんですよね。
─「東北魂ビールプロジェクト」では、具体的にどんなことをされていたのでしょうか ?
佐藤:我々は、ほとんどが独学でビール造りをしてきたので、一度みんなで集まって勉強会をしてみようということになりました。それぞれが持っている知識や技術を出し合って、お互いのビールの品質を高めていこうと。それが、「東北魂ビールプロジェクト」の目的でした。
「東北を、ビールのおいしい地域にしていこう」という話をしているうちに、どんどんと東北のブルワリーさんがプロジェクトに参加してくれました。そんななか、キリンビールの仙台工場さんからも「クラフトビールに対して、私たちができることはないですか?」と、お声がけいただいたんですよね。
─なるほど。そういう流れがあったんですね。
佐藤:私たちは、もっと体系的にビールのことを理解したいと思っていたので、何度か仙台工場さんでビール醸造の講座を開いてもらいました。
─キリンが参画しようと思った意図はなんだったのですか?
末武:我々にできることは、日本産ホップを守りそれをキリンが使うこと。そして、もう一つは日本産ホップの価値を上げることだと思ったんです。
それらを実現するためには、クラフトブルワリーの方々に日本産ホップを使ってもらうことが重要だなと。このプロジェクトを通して東北のブルワリーさんと関係性を築きながら、一緒にクラフトビール文化を盛り上げたいと思いました。
佐藤:そうやって関係が始まったなかで、私たちにとってすごく大きかったのはビールの分析値を出してもらえたことでした。今まで自分たちの感覚で香りや品質を確認していたのですが、具体的な数値をもとにディスカッションをすることで、飛躍的に品質改善が進んだんです。
末武:キリンが培ってきた醸造や分析の技術を役立ててもらえることが分かり、私たちとしても東北クラフトブルワリーのみなさんと連携させていただく道筋が見えました。
─つまり、どちらにとってもメリットがあるパートナーシップだったんですね。
佐藤:そうですね。私たちも仙台工場さんを通じて遠野の生産者さんとお会いする機会ができて、日本産ホップを盛り上げたいという気持ちが強くなりました。一時的なクラフトビールブームに終わらせるのではなく、ちゃんと日本のビール文化をつくりたいなと思って。
─キリンがクラフトブルワリーの方々と一緒に、ビール文化や日本産ホップを盛り上げていこうという姿勢は、タップ・マルシェ(※)の開発にも表れてますよね。
末武:そうですね。タップ・マルシェは、キリンだけではなく、さまざまなクラフトビールを楽しんでいただくというコンセプトです。なので、いわて蔵ビールさんはじめ、各地のクラフトブルワリーさんにも参加していただいています。
佐藤:ただ、最初はあんまり自信がなかったんです (笑)。私たちのビールは、冷蔵で3〜4か月という賞味期限のビールだったんですけど、タップ・マルシェで使ってもらうためには、常温で長期間保つという品質にしなければいけなかったので 。
なので、まずは最初の一歩として、工場の衛生管理を見直すところからスタートしました。それで、毎月キリンの方が工場に来てくださって、品質向上のために必要な取り組みをコンサルタントしてくれたんです。
─そういうところから一緒に併走していったんですね。
佐藤:そうやって、一つずつ工場のシステムを改善していった結果、だんだんと工場の環境が整備されていったんです。たとえば、帽子や制服もそうですし、前室を作ったり捕虫器を設置したりというように。
独学でビール造りをはじめた我々には、工場経営の知見というものがありませんでした。ビール醸造の科学は独学で勉強できても、工場で起きうる問題をなくすために何をすればいいのかという部分はわからなくて。
佐藤:そういうことを1年くらいかけて丁寧に教えていただいたおかげで、私たちのビールも常温で長期保存ができるようになったんです。そうして晴れて、いわて蔵ビールが製造した『みちのくレッドエール』というビールでタップ・マルシェに参加することになりました。
─工場のノウハウを習得しながら、ビールの品質も向上した1年だったんですね。
佐藤:そうですね。キリン流のノウハウを得ることで独学の限界を乗り越えることができました。あの1年がなければ、工場としてはステップアップできなかったと思います。
クラフトビールを全国に届けるタップ・マルシェ
佐藤:タップ・マルシェ(※)に入れてもらってよかったなと思うのは、自分たちのビールが今まで届かなかった人たちにも飲んでもらえるようになったことです。というのも、私たちみたいな小さなブルワリーでは造れる量が決まっているので、出荷先の数も限られてくるんですよね。そうすると、クラフトビールがマニア向けのものになってしまうという悩みがあって。
─たしかに、クラフトビールには知る人ぞ知るといった銘柄が多い気がします。
佐藤:そうなんですよ。ビールファンの方々によろこんでいただけるのはもちろんうれしいんですけど、そこで止まってしまうのはもったいない。だけど、タップ・マルシェに入れてもらったことで、居酒屋さんなどでも置いてもらえるようになったのは、本当に大きな一歩だなと感じています。
末武:そう言っていただけるのは、本当にありがたいです。
末武:我々にとっては、東北でタップ・マルシェを広めようとしたときに、地元のクラフトブルワリーさんに入って頂くというのは大きな力になるなと思っていたので、いわて蔵ビールさんが入ってくださるのは本当にうれしいことだったんです。
─そこもお互いのメリットが合致していたんですね。
末武:そうですね。しかも、『みちのくレッドエール』では、遠野産ホップの「IBUKI」を使っていただいてるんですよ。これも本当にありがたい話で。
佐藤:私たちとしても昔から地元の原料を使いたいという想いはあったんです。ただ、コストの面で輸入の原料に頼らなきゃいけない部分があって。だから、『みちのくレッドエール』で遠野のホップを使えたのはうれしかったですね。
それと、私はずっとジャパニーズクラフトビールってものを確立したいなと思っているんです。世界にはさまざまなビール品評会があるんですけど、日本産ホップの独自性が認められれば、カテゴリーのなかにジャパニーズクラフトビールができるのも夢ではないなと思って。
─それはすごく夢のある話ですね。
佐藤:うちは山椒やオイスターを使ったビールを造っていて、キワモノブルワリーっぽく見られることもあるんですけど、それはちゃんと科学的に考えた上でのレシピなんですよね。そうやって日本産の素材やホップを使ったビールが増えて、将来的にはジャパニーズスタイルのクラフトビールというカテゴリーが生まれたらうれしいなと。造り手としては常にそう思ってます。
末武:本当ですね。それは日本でビール造りに携わるものとして、真剣に目指していきたい未来だなと思います。
『みちのくレッドエール』は、Tap Marché(タップ・マルシェ)にて全国展開中!
1台で4種類のビールが提供可能なクラフトビール専用ディスペンサー「Tap Marché(タップ・マルシェ)」。15ブルワリー28銘柄のクラフトのラインナップに『いわて蔵ビール』も参画中。全国13,000店舗の取り扱い店舗で楽しめます。
▼Tap Marchéでクラフトビールを楽しめる店舗はこちら
多様なビールを造ることで日本産ホップを守りたいという想いを持ったキリンビール仙台工場。独学でビール造りを始め、柔軟に他社の醸造技術を学びながら、クラフトビール文化の盛り上げに邁進する『いわて蔵ビール』。
そうしてお互いの強みを活かして協力し合いながら、未来に向けての挑戦が続いています。