遠野市でホップ栽培に挑む新規就農者のもとへ。学生たちが見た遠野の現在地とは?
モノづくりの上流から下流までを見てもらうことで、キリンビールのファンを増やしたい──。
そんな想いから始まったキリンビール仙台工場の大学キャリア教育。2019年から続くこの取り組みでは、製造工程や関わる人たちの姿、仙台工場と地域とのつながりを学生たちに伝えています。
▼これまでの大学キャリア教育の様子はこちら
2024年は、東北大学から3名、宮城大学から5名の学生が参加しました。
8月初旬の爽やかな晴天のもと、学生たちと岩手県遠野市を訪問。新規就農者の里見一彦さんが育てるホップ畑と、遠野市のホップ産業を盛り上げる株式会社BrewGoodの田村淳一さんを訪ねました。
ホップはどのように栽培され、収穫までにはどんな苦労があるのか。ホップ栽培が地域創生に果たす役割や、新規就農者の挑戦と努力、そして遠野市とキリンのつながりや、日本産ホップ支援の取り組みについて学ぶ機会となりました。
収穫を控えた岩手県遠野市のホップ畑へ
学生たちと一緒に、まもなく収穫を迎える遠野市のホップ畑を訪問しました。訪れたのは、2018年に新規就農者として遠野市に移住した、里見一彦さんの畑です。
里見さんは、「IBUKI」と「MURAKAMI SEVEN」の二つのホップの品種を栽培しています。
初めてホップ畑を見学する学生たちは、写真でしか見たことがないホップがどのように育っているのかをじっくり観察します。
里見さんから「まずは、毬花(※)の香りを嗅いでみてください」とうながされ、学生たちは毬花に手を伸ばしました。両手で毬花を縦に割り、その香りを確かめます。
「わあ、もうビールの香りがする!」
「いい匂い!ビールが飲みたくなってきました」
「『IBUKI』は、IPAのような香りがしますね」
「『IBUKI』と『MURAKAMI SEVEN』の香りは全然違いますね。『IBUKI』はフレッシュな柑橘系のような爽やかな香り、『MURAKAMI SEVEN』は葉の色も濃く、香りも濃厚な感じがします」
学生たちは、“ビールの香り”がするホップに驚いた様子。毬花を割ると、キャベツの葉のように重なり合った層の間に、黄色い小さな粒「ルプリン」が現れます。これが、ビールの香りと苦みのもととなる成分です。
2023年は水不足により、ホップだけでなく多くの農作物が不作となりました。里見さんも大きな打撃を受けたといいます。
「2023年、遠野は7月半ばからほとんど雨が降らず、水不足が続きました。ホップを栽培するにあたり、7月は大量の水が必要な時期なんです。1ヘクタールの畑で、3日おきに1万リットルの水が必要になるくらい。その大事な時期に水が足りず、ホップが十分に育ちませんでした。今年はなんとか、昨年よりも多く収穫できそうです」
独立4年目の挑戦。新規就農者が語るホップ栽培
ホップ農家に就農する以前は、14年間大手飲食チェーンで働いていた里見さん。そのなかで、AIが普及する未来を考え、「生産者」の役割が重要だと感じたと言います。特に、減少している農作物の生産者の価値を実感し、ホップ栽培に挑戦することを決意しました。
7年前から遠野市でホップ栽培を学び始め、現在は独立して4年目を迎えています。
「まだまだ勉強中です。もっと生産量を増やせるように頑張りたい」と話しながら、ホップ栽培について解説してくれました。
これまで、遠野のホップ栽培では一人の農家が単一品種のみを栽培するのが主流でした。しかし、最近では里見さんのように複数の品種を栽培する農家が増えてきています。品種によって、栽培方法や作業内容、作業時期が異なるため、一人でも効率的に栽培・収穫できるように工夫しているそうです。
「ホップ栽培は農業のなかでも難しいと言われ、ほとんどが手作業で行われるため、思うようにいかないことも多いのが現実です。『IBUKI』は病害虫に強く、比較的管理しやすいんですね。一方で、『MURAKAMI SEVEN』は草丈が短く、作業負荷が少ないものの、病気や害虫にとても弱いため、管理には特に気を使います」
計画通りに作業を進めていても、台風などの災害が発生すると、天候の影響は避けられません。里見さんがホップ栽培の現状や難しさを語ると、学生たちはメモを取りながら真剣に耳を傾けました。
「畑にいると、年々気候変動を感じます。毎日が手探りで、栽培がどんどん難しくなっている。今は、品種としての歴史が浅く、確かな栽培手法がまだ確立されていない『MURAKAMI SEVEN』の栽培に苦戦しながら、自分たちの経験から栽培方法を見つけ出そうとしています。やっと手がかりが掴めたくらいですが(笑)」
参加学生の多くは農学や食産業学を学んでおり、たくさんの質問が飛び交いました。
「『IBUKI』と『MURAKAMI SEVEN』は、同じ畑で育てても交配しないのですか?」
「『IBUKI』は手間がかかると言いますが、どんな作業が必要なんですか?」
「病気や害虫に弱い『MURAKAMI SEVEN』には、どのような対策をとっていますか?」
ホップ栽培に対する学生たちの関心の高さがうかがえる瞬間でした。
遠野のホップ栽培の歴史と減り続けるホップ農家
次に訪ねたのは、遠野産ホップとビールを語るうえで欠かせないキーマンである田村淳一さんのもと。田村さんは、遠野産ホップの歴史と現状、そして未来について話してくれました。
田村さんは、移住者支援を目的に遠野市へ移り住み、2017年には地元の人々が集まれる場をつくろうと「遠野醸造」を開業しました。その後、「BrewGood」を立ち上げ、遠野産ホップを使ったクラフトビールの醸造や、キリンや行政と連携して「ビールの里プロジェクト」を推進しています。
▼「ビールの里プロジェクト」とは?
キリンとの契約栽培として、1963年から始まった遠野のホップ栽培。「未知の作物」と記録にあるように、ホップ栽培は難しく、台風や病気、害虫など多くの課題に直面してきました。
それでも、当時はビールの消費量が増加しており、海外産ホップが高価な時代だったことから、全国的に栽培農家が増加。遠野市におけるホップ収穫量は、1987年にピークを迎えています。
しかし、その後、農作物の輸入自由化に伴い、安価な海外産ホップが日本に入るようになると、栽培面積は急速に減少しました。それからも、後継者不足などの問題によって減少が続き、当時196軒あったホップ農家は、2000年を過ぎるころには80軒を下回るまでに減少しました。
移住者の増加とともに痛感した持続可能な経営モデルの必要性
減り続けるホップ農家を守り、地域を活性化させたい。農業の課題と地域の課題を同時に解決したいという想いから、2007年に遠野市とキリンは「ビールの里プロジェクト」を立ち上げます。「ホップの里からビールの里へ」というスローガンのもと、地域全体で課題解決に取り組んできました。
このプロジェクトの一環として、移住者の呼び込み活動が行われ、これまでに約30名が移住してきました。そのうち約20名が現在も遠野市に残り、ホップやビールに関わる活動を続けています。特に、2016年からは移住者の呼び込み活動がさらに強化され、田村さんも移住者の一人として遠野市に加わることになりました。
移住者が増えたことで、地域は活気を取り戻したかに見えましたが、田村さんが移住した2016年に35軒あったホップ農家は、2023年には21軒にまで減少。移住者の中には、夢を抱いてホップ栽培に挑戦したものの、生計が立たないという理由で辞めていった方もいました。
「ホップ農家を増やせば問題が解決するわけではないことを痛感しました」と田村さんは言います。持続可能な経営モデルがなければ、真の解決にはならない。これを機に、田村さんはあらためて課題と向き合い始めました。
新規就農者の再募集と次世代への挑戦
さまざまな課題がある中で、特に大きな課題は「ホップの乾燥施設の老朽化」です。修繕費用や運営費は施設を使用する農家が負担していますが、毎年の修繕費は増加する一方で、農家は減少。一人あたりの負担がどんどん増えてしまうことが問題でした。
「ビールの里プロジェクト」では、ふるさと納税や寄付を通じて資金を集めたり、イベントを開催したりしてファンを増やしてきました。集まった資金は、乾燥施設の改修費用や畑の土壌検査、農家対象の補助制度などに投資されており、今後も継続して進めていく計画です。田村さんは、これを「未来へ進むタイミングだ」と語ります。
「皆さんの協力や支援のおかげで、課題は解決に向かって大きく前進しています。これまでは、新規就農者が一人前のホップ農家として独立できる経営モデルが整っていなかったため、4年ほど新規就農者の募集を休止していましたが、昨年から再開しました。里見さんのように独立する農家も増え、次世代へのモデルが形成されつつあります」
2023年度には、55件の新規就農に関するお問い合わせがありました。最初の問い合わせから詳しい説明やホップ作業体験を経て、最終的に3名の採用が決まりました。作業体験会や新規就農者募集への問い合わせは増え続けており、クラフトビールをきっかけにホップ栽培に興味を持つ人がほとんどだそうです。
「先日、韓国からホップ農家の視察がありました。視察に来られた方の地域では、1970年代にはホップ栽培が行われていましたが、1980年代後半に海外産ホップの輸入が加速し、契約栽培が停止して栽培が衰退したそうです。ですが、近年のクラフトビールブームでホップ栽培が復活。そのため、遠野のホップ栽培や経営モデルを参考にしたいということでした」
遠野のホップ栽培に光が差す。今後の拡大に向けた展望
田村さんは、これからの道筋についてこう語ります。
「課題はまだまだありますが、拡大するフェーズに入りました。里見さんを含め、畑面積を増やそうとしている農家もいます。新規の畑も増やしていきたいですね」
田村さん自身も、新しいブルワリーの立ち上げに向けて動き始めています。最大製造量は、遠野醸造の約5倍から6倍を見込んでおり、来春のオープンを目指しているそう。収益は、若手農家に貸し出す畑への投資にも活用する計画です。
「ホップの品種開発や加工技術の研究を進めながら、醸造を行う施設にしたいと考えています。栽培と醸造が近くなることで、栽培に対するフィードバックが早くなり、結果的にホップ栽培のレベル向上につながると思うんです。また、ホップ農家が自分の育てたホップが商品になる過程を身近で見られることも、栽培のモチベーションアップになる。今後を担う若手ホップ農家のために開かれた場所にしたいですね」
世界的に注目を集めるホップ栽培。研究開発を通じて、日本産ホップの可能性を広げ、世界に挑戦していきたい。田村さんの視線は、広い世界を見据えていました。
続けて、田村さんは里見さんたちの取り組みを「希望の光だ」と語ります。
「私たちが持続可能なホップ栽培に向けて課題解決に取り組めているのも、里見さんたちの世代が踏ん張ってくれたことがとても大きいです。里見さんが移住してきたときに、一緒に車を買いに行ったんですよ。そのとき、『ホップで稼いで、遠野に家を建てるんです』と言ってくれました。みんな、それぞれの夢を抱いてここに来ている。遠野の街やホップを盛り上げるだけでなく、一人ひとりの想いを形にしたいと思っています」
遠野での1日を終えて学生たちが感じたこと
最後に、1日を通して学生たちが感じたことを聞きました。
「新規就労者を増やしたあとのサポート体制や、根本的な課題解決に取り組む姿勢がとても印象的でした。農業の根深い課題に関わる人々の想いや願いを叶えたいという熱い姿勢にも感銘を受けました。これからの人生において自分も参考にしたいと思います」
「ホップの生産を通じて地域活性化を目指し、みんなで盛り上げようとするプロジェクトに感動しています。また、たくさんの人々の想いがホップに込められていることを知り、その輪が広がっているのを見てワクワクしました。私も食を通じて街を盛り上げるプロジェクトに興味を持ちました」
「遠野は可能性を秘めた街だなと。特に、新種のホップ『MURAKAMI SEVEN』によって、地域の農業が世界へと挑戦しているところにワクワクしました。ホップの香りを実際に嗅いでみて、缶ビールからは感じられなかった新しい一面を知ることができ、ビールの印象が大きく変わりました。もっと多くの人に知ってもらいたいです」
「これからも、この東北の小さな町で、日本産ホップに挑戦し続ける姿を発信していきます。皆さんにも温かく見守っていただけたらうれしいです。ぜひまた遠野で再会できることを楽しみにしています」と、最後に学生たちに向けて笑顔で話した田村さん。
生産者、そして地域全体を盛り上げようと支える人々の熱い想いやつながりに触れ、学生たちはより深くビールとその背後にある人々の物語を体感できたことでしょう。
キリンビール仙台工場の大学キャリア教育を追う連載企画「杜の都のビール学舎」。次回は、岩手県一関市にある「世喜の一酒造」の見学と、東北のビール醸造所が共同で取り組む「東北魂ビールプロジェクト」の品質評価会に参加した様子をお届けします。どうぞ、お楽しみに。