130年前から根付く“循環”の思想。小岩井農場が守り続ける美意識と未来への想い
1902年に誕生し、間もなく120周年を迎える『小岩井 純良バター』。KIRIN公式noteでは、その歴史を紐解きながら、小岩井乳業が受け継いできたものづくりの精神や、おいしさの秘密に触れる特集『 #小岩井とはなやぐ暮らし 』を、お届けしてきました。
マーケティング部の松瀬希穂が120年の歴史を振り返った1回目、料理家の真藤舞衣子さんにおすすめレシピを紹介していただいた2回目に続いて、今回は、実際に松瀬が小岩井乳業の原点である小岩井農場を訪ねます。
案内してくれたのは、曾祖父の代から小岩井農場で暮らし、現在は資料館の館長として働いている野沢裕美さん。
『小岩井 純良バター』の原料となる牛乳が搾られている牛舎からはじまったツアーは、観光産業としての農場の話を経て、最後は事業の持続可能性を巡る話題へと至りました。
みんなが家族のようだった小岩井農場での暮らし
野沢さんが最初に案内してくれたのは、『小岩井 純良バター』の原料である牛乳が搾られている上丸牛舎というエリア。現在、小岩井農場では2,300頭ほどの牛が飼育されており、敷地内には複数の牛舎があります。
上丸牛舎は小岩井農場における酪農発祥の地で、敷地内にある牛舎やサイロなど9棟の建物が国の重要文化財に指定されています。重要文化財というと、破損を避けるために保護されているイメージがありますが、なんとここの牛舎は今でも現役。最も古いものは明治41年に建てられたもので、100年以上経った今でも牛が飼育されています。
このエリアは観光客にも開放されています。子牛が飼育されている牛舎もあるので、運が良ければ生まれたばかりのかわいい赤ちゃんに会えることも。
ここで搾られた牛乳は敷地内の工場に運ばれ、バターやチーズなどの製品になっていきます。搾乳の現場を見ていると、設備の機械化は進んでも、わたしたちの食卓に届く製品の数々は人の手で作られていることを実感させられます。
次に案内していただいたのは、明治38年に作られた電気不使用の「天然冷蔵庫」。電気のない時代、バターやチーズなど乳製品の貯蔵庫として、昭和27年まで使われており、現在は国指定重要文化財として残っています。
中に入ると、ひんやりと涼しい空気が流れてきました。完全に土に覆われた構造によって、直射日光を遮断し、約10℃という冷たさを保っています。
「水につけて冷やすと、瓶に貼ったラベルが変形してしまうので、こういった天然の冷蔵庫で保管していたんです。立って歩けるほどの大きい天然の冷蔵庫は、日本でここが唯一だと言われています」(野沢)
先人たちの知恵と、明治期から根付く『小岩井 純良バター』の品質に対するこだわりが感じられる体験でした。
牧場でありながら、観光スポットとしても人気のある小岩井農場。今では珍しくない農場観光ですが、小岩井農場での成り立ちには意外なきっかけがありました。
「昭和30年くらいから、広大な農地や牛がいる風景を求めてやって来るお客様がいたんです。そういう状況に対して、『人が来るなら売店を作って何か売ろう』と考えたのが、観光事業のきっかけになりました。当時は牛乳や絵葉書、さらには酪農事業の視察や取引で訪れるプロ向けのパンフレットなどを販売していたそうです。入場料をいただいてお客様を迎えるという形式は、昭和40年頃からスタートしています」(野沢)
小岩井農場資料館には昭和32年頃に使われていた売店の看板が展示されており、そこには「アルペン 瓶入(原液)」という聞き慣れない商品が記載されています。
「これはバター作りの工程で出てくる脱脂乳を利用して作られた乳酸菌飲料なんです。私の曽祖父も開発に携わっていたそうです」と野沢さん。食材を無駄にすることなく、新しい製品へと生まれ変わらせるという小岩井農場の技術を目の当たりにしました。
小岩井農場には、働く人たちのための居住エリアがあります。現在では、車の普及で移動が容易になったため農場の外から通勤する人が大半ですが、昭和初期には最大で800人ほどが暮らしていたそうです。
当時は農場内に学校や郵便局、神社があったほか、従業員が家族で楽しめるように運動会やお花見の会、仮装行列なども開催されていたといいます。野沢さんも農場内で暮らし、学校に通っていたうちのひとりでした。
「私が小さい頃は、まだ農場内に住んでいる人も多くて、みんな家族ぐるみの付き合いでしたね。一緒に働いているので、誰がどこの家の子かっていうのもわかっていて。子どもにとって牛舎は遊び場でしたけど、仕事を手伝うことはありませんでした。当時から商品を作る上での衛生環境には厳しかったので」(野沢)
ちなみに牛乳やバターは非常に身近な存在で、野沢さんの家では昔から温かいご飯の上に『小岩井 純良バター』をのせて、醤油を少したらして食べるバターご飯が定番だったそうです。
何もなかった大地に人の手で作られた広大な森林
資料館に展示されていたジオラマからもわかるように、広大な土地を持つ小岩井農場。敷地面積は約3,000haで、東京ドーム640個分の広さにあたります。そのうち、牧草地や牛舎、工場施設などがあるエリアの面積は1,000haほど。残りの2,000haは、森林となっています。
この森林は、実は人工的に作られたもの。長い年月をかけて従業員が1本1本手作業で植林を進めてきたのだといいます。
『 #小岩井とはなやぐ暮らし 』の1回目でもお伝えしたように、小岩井農場があるエリアはもともと何もない荒地でした。吹きさらしの大地を農地にするために、まずは防風林となる木が植えられたのです。
「開墾というと、木を切って土地を作るというイメージがありますよね。観光事業をはじめた当時は、旅行パンフレットにも『小岩井農場は岩手山麓を切り拓いて作られた』と書かれていることがありました。だけど、ここは真逆なんです。今ある木はすべて手作業で植林したものなので。でもまぁ、これだけ広大な森を見たら、まさか人の手で作られたものだとは思いませんよね(笑)」(野沢)
実際に森を訪れてみると、これが人工的に作られたものだとは信じられないほど鬱蒼とした木々が生えていました。しかし、よく見ると1本1本の木が規則正しく並んでいることに気がつきます。なかには樹齢が100年を超える木もありますが、この森は紛れもなく小岩井農場の人々によって作られたものなのだと気付かされました。
人の手によって森林が作られてきた背景には「鉄道事業で日本の『 美田良圃(美しい田と良い畑)』 を潰してきた悔恨の念を、農場をつくることで埋め合わせられないだろうか 」という創業者・井上勝の想いが受け継がれています。
木はある程度の大きさになると伐採され木材として売られますが、小岩井農場では伐採した数と同じだけの植樹が続けられています。今ある小岩井農場の森は、こうした積み重ねによって守られてきた大切な資源なのです。
農場に美意識を根付かせた岩崎久彌の存在
何もない荒地を農地に変えるというのは決して容易なことではなく、開墾がはじまってから8年後の明治32年には、経営者が井上から岩崎彌太郎(彌之助の実兄)の長男・久彌(ひさや)に変わりました。この人物が、今に続く小岩井農場の基礎を作ったのだと野沢さんは教えてくれました。
「久彌さんは、農場の人たちから絶大な人気がありました。小岩井農場には久彌さんのお陰でできた事業や文化が数多くありますし、久彌さんに喜んでもらうために植えられた桜などもあるんです。なぜそこまで支持されたかというと、とにかく見識が高い方だったんです。
戦前は、米やコーヒー、ゴム、鶏、牛など数多くの農場を国内や海外に所有していました。日本の食料事情や農業技術の向上にも心を砕いていて、世界的な大局を見て行っていた農業のうちの一部が、小岩井農場だったんですね。それなのに決して偉ぶらない。夏場の避暑のために農場を訪れた際には、仕事中に自分が顔を出すと、みんなが手を止めて挨拶にきてくれるから、気を使わせないために遠くから見ているとか、そういう方だったそうです」(野沢)
久彌が避暑で農場を訪れる際には、シェフを連れてきて、農場で働いている人においしいご飯を振る舞うこともあったそうです。そうしてみんなで食事をするのが、久彌にとっても、農場の人たちにとっても大きな楽しみだったという記録が残されています。
また、久彌は「農場は綺麗な庭園のようにしていてほしい」という考えの持ち主で、美化に対する意識も強かったそうです。「農場が綺麗であることは、働く環境としても重要である」との考えから、花壇を作ったり、紅葉を植えるなどの取り組みも積極的に行ってきました。そうして根付いた久彌の経営哲学と美意識が、今の小岩井農場の基礎になっているのだといいます。
野沢さん曰く「うちの観光事業は、久彌さんに食べさせてもらっているようなものです」とのこと。彼が農場の景観にこだわっていたからこそ、観光事業を始めた昭和40年代に至っても、そのままの状態で一般開放することができたのが、その理由です。そうして作られた建物や景観が、今にまで続く小岩井農場の魅力になっていることは間違いありません。
循環型事業を前に推し進める『バイオマスパワーしずくいし』の取り組み
農場の開設時からはじまった林業。2代目経営者の美意識が息づく観光事業。そして、120年近くも同じ製法で『小岩井 純良バター』を作り続けている乳業。小岩井で行われている事業には、どれも先人たちの未来に対する想いと、それを大切に継承してきた仕事への向き合い方が滲み出ていました。
「私たちの事業の根幹にあるのは“循環”という考え方です。『何かを取り崩さなきゃできないような、環境に負荷をかける事業はしない』というのが基本姿勢なんです。だから、未来に繋がっていくもの、持続可能なものだけをやっていく。バブル期だったら、広い土地をゴルフ場にでもすれば手っ取り早く儲かったでしょう。だけど、そういうことはしませんでした。うちには無駄な土地がないんです。牛のためには広い牧草地が必要だし、森だって手をかけて育てているものですから」(野沢)
小岩井農場が続けてきた循環型の事業を、もう一歩前に推し進めたのが、2006年からはじまった第三セクターの『株式会社バイオマスパワーしずくいし』での取り組みです。バイオマスパワーしずくいしは小岩井農場内にある施設で、牛の排泄物や野菜くずなどから堆肥と電気を作り出しています。
具体的には、まず排泄物や廃棄物を固形分と水分に分けます。固形分は発酵を経て堆肥となり、牛の餌となる牧草やトウモロコシの栽培に使われます。水分は発酵させることでメタンガスを出し、ガスエンジンを燃焼させることで発電に使われています。
1日に4,000キロワットの発電が可能で、その半分はバイオマスパワーしずくいし内の施設を稼働するために使用。もう半分は電力会社に販売しています。また、残った水分は液体肥料となるため、こちらも畑に散布されています。
バイオマスパワーしずくいしができたことで、小岩井農場の循環型事業はさらに無駄がなく、効率的なものになりました。
「SDGsをはじめとする環境意識の高まりから小岩井農場の取り組みを視察にくる方も増えているんですが、SDGsが注目される以前から小岩井農場はずっと今あるものを循環させる事業に取り組んでいたんですよね。そこに結果としてSDGsと合致する部分があったという感じなんです」(野沢)
取材を終えて (『小岩井 純良バター』担当 松瀬 希穂)
野沢さんからお話を伺い、130年前に先人達が築いた「小岩井農場」というものづくりの原点を、次世代へ繋げていきたいと改めて感じました。
『小岩井 純良バター』はその誕生から約120年間、お客様にご愛顧いただいていますが、その接点は時代とともに変化しています。現代では、店頭に並ぶ製品を見て初めて知ってくださる方がほとんどになっています。そういった方々に、「醗酵バターといえば『小岩井 純良バター』」と思って頂けるよう、大地の恵みを大切にした小岩井らしい製品をお届けしていきたいと考えています。
そして、製品を使用したレシピのご提案や、店頭で気づいて頂くための仕掛けづくりを行い、お客様の「おいしい」「うれしい」の期待にこたえ続けていきたいです。
***
特集「#小岩井とはなやぐ暮らし 〜純良バター編〜」では、長い歴史の中で守り抜いた小岩井農場の姿勢や、その想いが込められた『小岩井 純良バター』の楽しみ方をお伝えしてきました。
小岩井乳業には、こだわりが詰まった商品が他にもたくさんあります。今後も、商品の魅力や私たちの取り組みの様子を、特集「#小岩井とはなやぐ暮らし」でお届けしていきます。次回もお楽しみに。