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「品質を守る仕事」を軸にキャリアを広げる。出向、休職、ライフステージの変化のなかで育んだ私らしい働き方

キリンのなかにある多様な仕事のかたちを探るために、“自分らしい仕事”を見つけた人たちのキャリアを紐解いていく特集「自分らしい仕事のつくりかた」。従業員たちが自分の仕事と向き合い、歩んできたさまざまな道のりを振り返ります。

「キャリアって、今までやってきたことを見つめなおしたときにつながっている足跡みたいなものだと思うんです。今いる場所でしっかりやっていれば、自然と前に進んでいける」。そう話してくれたのは、品質保証部の宮迫陽子。

2006年にキリンビールへ入社。製造現場で経験を積んだのち、内閣府への出向やドイツでの暮らしを経て、「キリンの品質」を守り続ける彼女の足跡をたどります。


【これまでのキャリア変遷】

キャリア変遷のイラスト

─まずは、キリンビールに入社した理由を教えてください。

宮迫:就活をしていた学生のころ、「暮らしに身近なところで価値を提供できる会社がいいな」と考え、食品や飲料のメーカーに興味を持つなかで、キリンビールに出会いました。

選考が進むうちに、会社の考え方や自分がそこで何ができるか?のイメージが明確になっていき、キリンで働くことへのワクワク感が湧いたことが入社を決めた理由です。

当時、壜(びん)と缶とではビールの味が違うなと感じていたんです。それを解明したいと思って「パッケージングに興味があります」と面談で伝えたら、「めずらしいね」と言われて、そのままキリンビール名古屋工場のパッケージング担当に(笑)。

それまで女性のパッケージング担当はいなかったこともあり、「女性初のパッケージング担当」として、期待とプレッシャーのなかで働きはじめました。

製造現場で感じた、モノづくりの一体感と情熱

宮迫陽子が話している様子

─パッケージング担当は、具体的にどんな仕事なのでしょう?

宮迫:工場での仕事は大きく3つにわかれます。最初にビールをつくる醸造、次にそれを容器に詰めるパッケージング、そして最後が製品の品質を管理・保証するというもの。私はその中間の工程であるパッケージングを担当していました。

プレッシャーを感じていた私に、当時の上司が言ってくれたのは「メッキが剥がれる前に、本物になったらいいんじゃないの」という言葉。それでだんだん力みが取れて、「焦らずゆっくり、少しずつ力をつけていければいいんだ」と思えたんです。

工場時代は、たくさんの先輩の方々に技術的なことを教わるのはもちろん、現場でのモノづくりの情熱に日々触れることで、技術員としての姿勢が形づくられたとても貴重な期間でした。

─キリンビール名古屋工場からキリンビバレッジ湘南工場に異動されてからは、品質保証・製造・生産管理など、数年ごとに部署が変わっているんですね。

宮迫:だいたい3年ごとに異動がかかるので、「10年くらいかけて自分の軸足をどこに置くか考えていくのがいいよ」と声をかけてもらったのを覚えています。

私の場合は、まずはじめに工場のパッケージング担当としてモノづくりの基礎を身につけたあと、品質保証部で飲料全体を学んだのちに製造に入っていき、最後に本社で生産管理をやらせてもらいました。品質の担保を軸に、さまざまな立場と視点をスムーズに経験できたのは、自分にとってもよかったと思っています。

キリンビバレッジ時代の同僚との集合写真
キリンビバレッジ生産部に所属していたころ

─そのなかで、とくに記憶に残っていることはありますか?

宮迫:当時、製造工程で課題に感じていたことを改善するために、上司にかけあって工場設備の洗浄方法の変更を行ったことがあったんです。現場の係長やリーダー、メンバーと一緒にさまざまな検証もして、当時はうまくいったのですが、私が工場を離れて数年たったころ、そのとき行った変更による不備があったと聞いて。

当時は確認に確認を重ねてこれが最善策だと思っていましたが、振り返ると社内外の見識ある人に意見を聞きに行くなど、まだやれることがあったかもしれない。自分が見えている範囲より、さらに視野を広げて考えなければいけなかったと痛感した出来事でした。

ただ、そんな失敗も含めて、工場勤務時代は私にとってとても貴重なことを学べた時期でした。モノづくりの現場で一体となって一つのことを成し遂げるという感覚は、工場だからこそ感じられたこと。

それぞれが積極的に協力しあう環境で、情熱を共有してみんなで価値を生み出していくのは、やりがいやよろこびがあって本当に楽しかったですね。

不安よりワクワクが大きかった内閣府への出向

微笑んでいる宮迫陽子の写真

─2015年からは内閣府に出向。これは大きな変化だったと思うのですが、当時はどんな心境でしたか?

宮迫:私としても突然の辞令で、社内に前例もなく、どんな仕事をするかもわからなかったので驚きました。ただ、私自身は不安よりもどちらかというと期待のほうが大きかったです。「どんなことをするんだろう?」という未知なものに対する純粋なワクワクというか(笑)。

私が出向したのは「科学技術イノベーション担当」という、国の科学技術に関する方針の策定、予算管理、国費を使ったプロジェクトの管理などを行う部署でした。自分と同じように民間企業から出向してきている人も多くいて、風通しのいい環境だったのを覚えています。

仕事としては、政府の科学技術関係予算案を集計して取りまとめたり、予算の開示方法について検討したりというもので、地道な作業が多かったですね。

一度、資料に記載する数字の集計ミスをしてしまったとき、「仕事は一人でやっているわけじゃないから、いろんな人の力を借りながらやるといいよ」と、当時の上司が声をかけてくれたことがあったんです。それは工場で学んだことにも通ずる、働くうえで大事なことだなと改めて感じました。

宮迫陽子の手元の写真

─内閣府での2年間は、今の自分にどう影響していますか?

宮迫:そうですね。「『視点の置き方』によって見えるものが大きく違う」ということを学べたのが大きかったかもしれません。

2年目に、「革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)」というプロジェクトを担当していたのですが、それは産業や社会のあり方に大きな変革をもたらす科学技術イノベーションの創出を目指し、さまざまな研究開発を推進していくというプログラム。最終的には公募で選んだプロジェクトを支援していくのですが、進捗や将来性によって期中で予算の采配が変わるんです。

プロジェクト全体をマネジメントしているのがプログラムマネージャーなのですが、複数回あるレビュー会での研究内容や方向性の報告がこの決定に大きく寄与しているため、プロジェクトの全体像を俯瞰し、視点をどこに置くかが重要になってきます。

私自身、「自分の見えている範囲だけでは足りない」と工場勤務時代に経験していたので、“視座を高くする”とはこういうことなんだなと、それが今いる場所にもつながってくるんだと実感しました。

また、視点の置き方でいうと、キリンの工場で働いていたときは造り手視点でしたが、外の世界を経験したことでお客さま視点を養うことができた感覚がありますね。

3年間の休職と、ドイツでの暮らし

微笑んでいる宮迫陽子の写真

─出向を終えたあとは、休職してドイツに。

宮迫:そうなんです。夫の海外赴任が決まり、「ワークライフバランス休暇」という社内制度を利用してドイツへ帯同することに。同時期に管理職への登用試験を受けていたのですが、出発前に試験に合格したことがわかってホッとしました。そして、ちょうどそのタイミングで妊娠が発覚して…今思えば、公私ともに変化の多い時期でしたね。

ドイツに行ってからは、新しいことにいろいろチャレンジしました。出産、保育園、産褥教室、ベビースイミング。私が住んでいた地域の方たちは世話焼きの人が多いのか、ドイツ語がわからずに困っているとまわりの人がよく助けてくれたんです。言葉の壁はありましたが、周囲に頼ったり、自分が心地よくいられる場所を見つけることで楽しく過ごすことができました。

ドイツ滞在時の写真
お子さんが通っていた現地の保育園でのイベントにて

─環境だけでなく、暮らしの変化にも対応していくのは大変なことですよね。休職中は、将来のキャリアについて考えることはありましたか?

宮迫:いいえ、休職中はキャリアに関することはほとんど考えなかったんです。会社に戻っても、どの部署に帰るかは辞令が出るまでわからないし、不確定要素が多いことをあれこれ考えるより、今は目の前の生活に集中しようと。もともと楽観主義で、あまり先のことを心配しないタイプなんですよ(笑)。

ドイツ生活を経て、さらに楽観的になったような気がしますし、小さなことにはこだわらなくなりましたね。

例えば、子育てにおいてもそう。ドイツでは離乳食も壜(びん)詰めのものがたくさん売っていて便利ですし、保育園のお弁当もパンにチーズを挟んで終わり、みたいなシンプルなもので十分。こまごまと何かを気にすることなく、大雑把な感じが自分の性格にも合っていました。

結局ドイツには2年ほど滞在して日本に帰国することになるのですが、ちょうどそのころに第二子を妊娠していたので育児休暇を取得し、トータルで3年間の休職になりました。

“自分の働き方”を取り戻すまでが苦しかった

話している宮迫陽子の写真

─3年の休業を経て職場復帰したときは、どんな心境でしたか?

宮迫:復帰したのがちょうど2020年で、当時はコロナ禍に入ったりと社会的にも大きな環境変化がありました。そうしたなかで、管理職としての働き方に慣れないまま在宅勤務になったり、夫の単身赴任が決まったり、子どもをそれぞれ別の園に通わせたり…と、さまざまなことが重なって。思い返すと、とても苦しい時期でした。

仕事の感覚もなかなか戻らずブランクに悩まされました。自分自身の期待値に遠く及ばないようなパフォーマンスしかできなくて、心身ともにしんどいなという状態がけっこう長く続きましたね。

でも、1年ほどたつころにはだんだんと仕事の環境も整っていき、時間とともに自分らしさを取り戻していけたように思います。

─休職を経て、働き方はどう変化しましたか?

宮迫:変わったことでいうと、仕事より家庭の面が大きいですね。すべて自分自身でやるのではなく、家事代行サービスなどを利用してどんどんアウトソースしたり、家でやらなければいけないことをなるべく減らしていく。

こだわってやりたいところと、そうじゃないところを切り分けて、大切なことをしっかりやるという方向になりました。家族や自分自身にとって大事なことを考えて、優先順位をつけるというか。

そういった意味では、仕事や働き方においても同じかもしれません。今はまだ時短で働いているので、限られた勤務時間で自分がやるべきことは何か、優先すべきことは何かを考えて進めていく必要があるのかなと。

これまでは「自分がやりたいところまで全部やりきる」という働き方でしたが、今は100点を目指さず自分のできる範囲はここまで、と定めるようにしています。それは限界を決めるという意味ではなく、“選択と集中”というか、やるべきことに集中する、という感覚。そうすることで、さまざまなことが前進するようになったんです。

「品質を守る仕事」を軸に、世界を広げていく

手を組む宮迫陽子の写真

─「仕事は一人でやるんじゃなく、周りの力を借りて進めていく」という言葉が、今の働き方にもつながっているんですね。「専門性と多様性をキーに成長する」というキリンのキャリア支援に関しては、宮迫さんはどう解釈していますか?

宮迫:専門性は自分の軸足の置き方みたいなところに通ずるのかなと感じていて、多様性はさまざまな経験によってその幅を広げていくことだと考えています。

同じ仕事を続けていくと、自分自身の範囲が狭まってしまうこともあるので、さまざまな業務や人との関わりのなかで広げていけたらいいんじゃないでしょうか。

私自身はずっと工場の仕事と本社での生産管理をやってきたので、自分の大きな軸としては「製造に関わるところでの品質保証」というのが一貫してあると思っています。そこを軸足にしつつ、変化のなかで世界を広げていけたら。

─「品質本位」はキリンの原点でもありますね。そこを保つうえで、どんなことを大事にしていますか?

宮迫:最近あらためて思うのは、「お客さま視点を持つ」ことの大切さです。事業会社のなかに長くいると、会社視点での品質担保という面が強くなりがちなので、「お客さま視点だったらどうだろう?」というのは常に意識しています。そうやって視点の置きどころを変えてみるのは、社外への出向をはじめ、これまでの経験から学んだことでもあって。

キャリアって、これまでやってきたことを振り返ったときにつながっている足跡みたいなものだと思うんです。

今すぐに自分らしさがわからなくても、歩いてきた道のりや周りの人から気づかせてもらったり、だんだんと客観的に見つめられるようになっていくはず。今いる場所でしっかりやっていれば、自然と前にも横にも視界が広がって進んでいけるように思います。

─入社からの18年は、あっという間でしたか?

宮迫:「ここまで来たな。でも、まだ折り返し地点だな」っていう感じですね(笑)。やりたいことも、やるべきこともまだまだあるので。

これまでは、自分が「やりたい」という気持ちを会社に後押ししてもらえたことや、責任ある仕事を任せつつ後ろで見守ってもらえたことが仕事をするうえでの原動力になっていました。だから、今度は私自身がそういう環境をつくっていけたらと思っています。

***

さまざまな環境の変化に揉まれながらも、それを「次のステップ」として受け入れ、そのときどきを楽しんできたという宮迫。仕事と家庭を行き来しながら、キリンの“品質”に向き合い続けてきた彼女の歩みを語ってもらいました。

特集「自分らしい仕事のつくりかた」では、今後もキリンで“自分らしい仕事”を見つけた人たちの、職務経歴の裏側にあるストーリーを伝えていきます。次回をお楽しみに。

宮迫陽子プロフィール写真

【プロフィール】宮迫陽子みやさこ ようこ
キリンホールディングス株式会社 品質保証部
2006年キリンビール株式会社入社。キリンビール名古屋工場で女性初のパッケージング担当をつとめたのち、2009年から2014年にかけてキリンビバレッジ湘南工場で品質保証・製造、本社での生産管理などを担当。2015年から内閣府へ出向し、科学技術イノベーション担当として国の科学技術の予算配分や指針に携わる。管理職への登用試験に合格後、2017年より家族の海外赴任に合わせたワークライフバランス休暇・育児休暇を経て、2020年にキリンビバレッジ生産部生産管理担当に復帰。現在はキリンホールディングス品質保証部品質保証担当をつとめる。

文:坂崎麻結
写真:上野裕二
イラスト:Daisueke Takeuchi (daisketch)
編集:RIDE inc.

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