「楽しい」の目印【#いい時間とお酒 スタッフリレー企画 #04】
12月1日から始まったnoteとのコラボ企画「 #いい時間とお酒 」ももう折り返し。引き続きみなさんの「いい時間」をお待ちしております。募集は12月31日までです。
ふわりと心弾むような自分らしいお酒の楽しみ方って何だろうか。
キリンの社員も自分なりの「#いい時間とお酒」について考えてみました。
第4回はアーカイブ室の岸本みなみさん。スペインへ旅した時の忘れられない思い出をお届けします。
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旅行が好きだ。知らない場所を歩き始める前の、自分一人でどこへでも行けるような感覚はワクワクする。昔から、落ち着きがない子どもだった。小学五年生の時、初めての海外旅行のオーストラリアで、ガイドや家族を置いてエアーズロックの岩壁を一人で登っていったことがあった。両親は随分肝を冷やしたと思う。完全に親からはぐれた私といえば呑気なもので、すれ違う観光客に「クレイジーガール」と言われて頭を撫でられたことを武勇伝のように話していた。
大人になると旅行が趣味になった。計画を立てるのが苦手で、思いついたところにはどこへでも行きたくなってしまう私にとって、一人旅はベストな選択だった。気ままにでかけて、見たいものを見て、興味がわかないところには行かず、好きな時に食べ、おいしいお酒を飲む。旅をすることはわりと、私の人生そのものだった。
印象に残っている旅がある。行き先はサンティアゴ・デ・コンポステーラ。スペイン北西の端の方に位置するその街は、キリスト教三大巡礼地のひとつであり、世界遺産に登録されているサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の終着地だ。巡礼とは、日常生活を離れてそれぞれの宗教の聖地などに参詣する行為のこと。あまり馴染みのない習慣だが、四国のお遍路さんがイメージしやすいかもしれない。宗教的な目的をもって巡礼する人ももちろん多いが、私が訪れたサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、観光目的の来訪にも寛容だった。
この巡礼路はスペイン語で「道」を指す言葉である「カミーノ」と呼ばれる。「Buen Camino! 」 (ブエン・カミーノ)というお決まりの挨拶の言葉を、私は旅の間何度も口にしたので、以降も「カミーノ」と書くことにする。
当時、私は漠然と壁にぶつかっていた。周囲と足並みが揃わないと感じて、イライラすることが増えていた。自分一人で仕事をしている気になっていた。ゆっくり自分と向き合う時間が必要だと感じていた。テレビで見たカミーノの風景に惹かれたのはそんな時だった。見知らぬ場所を一人で歩き続けるのは、家の中でじっと考え事にふけるより私向きだと思った。
停滞しているような毎日の中で、当時の私は自分の力で前に進んでいるという実感に飢えていたのかもしれない。気軽といえば気軽なノリで、私はバックパックを背負って100キロ歩くことを決めた。カミーノのルートはいくつかあり、長いもので900キロほどだが、100キロ歩くと巡礼証明書がもらえるのだ。山あり谷あり平野あり市街地ありのその行程は、どうやら過酷なものらしかった。
カミーノでは、人は痛みを避けることはできない。
金言のような、脅し文句のような言葉をガイドブックに見つけても、楽観的な私はワクワクしていた。結論から言うと、痛みは予想外に早く、思ってもみなかった方向から来た。
出発の日。夜の飛行機を予約していた私は、スカートにバックパックを担いで出社して同僚に笑われていた。手抜かりなく休暇中の引継ぎを済ませ、あとはソワソワと終業時間を待つのみ。の、はずだった。18時ちょうどに受信したそのメールは、私の確認ミスを発端としたトラブルを告げるもので、私は半泣きになりながら謝罪と報告をした。上司は私に飛行機の出発時間だけを質問して、あとはやっておくからいってらっしゃいと背中を押した。
いつもは心弾む成田空港の出発ターミナルで、海外旅行前の高揚感や解放感なんて微塵もなく、私は同僚に泣き言と思いだせる限りのミスの経緯を書き出したメールを送っていた。同僚からは、もうメールを見るなとあきれたような返信があった。
カミーノを歩き始めて2日目。私は日本時間ばかりを気にしていた。トラブルの決着はそろそろついたはずだった。早めの昼食に入ったカフェで、ついに観念してスマホをWi-Fiに繋いだ。ハンバーガーとビールを頼んだ。いつもなら日中はアルコールは取らないようにしているけれど、今日は飲みたい気持ちだった。
会社の共有メールボックスのアイコン上の数字が、気が狂ったような速度で増えていく。膨大な未読メールが、私をスペインのカフェから渋谷のオフィスへと押し戻していくようだった。その中に、同僚から私宛のメールを見つけて、恐る恐る開く。
見るなって言ったのにメール見てる笑
解決したからもう絶対メール見ちゃだめだよ
仕事のことは忘れて楽しんでね。土産話期待してる
恥ずかしい。と、思った瞬間泣いていた。自分一人でなんでもできる気になっていた。自分一人でどこへでも行けると思うのが好きだった。自分の足だけで目的地を決められるのは爽快だった。だけど、本当は自分一人の力だけで行けるところなんて、どこにもないのかもしれない。
不愛想なウエイターのお兄さんが、私の泣き顔を見てギョッとした顔をした後、そそくさとテーブルに注文したハンバーガーとビールを置いた。エンジョイ、とボソリと言われて、食事を提供する際の決まり文句だとわかっていても、同僚のメールの言葉と重なって余計に泣けた。なんだかもっと大きなものを、願われて、応援されている気がした。
泣きながらハンバーガーを口に詰め込んで、ビールを流し込んだ。熱い。おいしい。涙でぼやけたポテトを、また口に運ぶ。その瞬間、私のテーブルに、ぬっと大柄なスペイン人女性が寄ってきた。
地元客と思われる彼女は、泣きながら食べ、飲む私に、何かしら心を動かされたらしい。人のよさそうな顔いっぱいに、私に寄り添うような悲しみの感情をたたえて、大きな身振り手振りで熱心に語りかけてくれた。スペイン語はわかりません、とは口を挟めない空気だった。彼女はついに手を広げて、力いっぱい私を抱きしめた。言葉もわからない他人の腕の中で、私は子どもの頃迷子になってもしなかった大号泣をした。
思いっきり泣いた後のビールは、ぼやけた味がしたけどおいしかった。
もう一つ印象的な出会いがある。カミーノの道中には巡礼者に向けた宿があり、無料やそれに近い値段で宿泊することができた。普通はドミトリータイプの宿であっても宿泊客同士の交流は任意で限定的なものだが、私が泊まったその宿では、みんなで一つの大きなテーブルを囲んで食事を取り、カミーノでの自分の経験について語り合った。
お酒を飲み交わしながら、日本で生活していれば触れ合うことがなかっただろう人たちと笑い合い、心の深い部分について話すのは、不思議な経験だった。彼らは私のつたない英語に相槌を打ち、また自分の人生の話をしてくれた。サンタクロースのようなひげをたくわえたカナダ人の男性は、私の話を聞き終えた後、人生は孤独なものだと言った。私は彼の優しげな目と、その言葉がちぐはぐに思えて、戸惑いを覚えながらも聞き入った。
人生は孤独なものだ。旅もまた孤独だ。私は時おり愛する家族から離れて、一人それと寄り添わねばならぬという衝動に駆られる。だから旅に出る。カミーノは孤独だ。我々はただ自分の足を前に運ぶことによって進み、ただ自分の体にもたらされる痛みに耐え、ただ自分の意志によって聖地を目指す。だがカミーノには、人が各々の孤独を持ち寄る宿がある。孤独と孤独が共鳴する、今夜のような素晴らしい夜がある。我々は孤独な存在ではあるが、決して一人では生きられない。
そんな夜に、飲み交わしたお酒の味を覚えている。
一人旅の間、私は大抵の食事は一人で取る。自分の身は自分で守らなければいけない旅行中に、過度の気の緩みは厳禁。でもまあ、少しくらいは。お酒は人の心をほぐす。誰かの心も、私の心も。
楽しんでね。
ワインは好き?
これ食べた?
おまけしとくよ。
あの店はおすすめだよ。
一人旅の、不愛想で無表情な日本人観光客。客観的に見て旅行中の私は、たぶんすごく話しかけにくい。そんな時、手にしたグラスのお酒が、私が今を楽しんでいること、この楽しい夜に心を開いていることの、目印になってくれていたのかもしれない。お酒の一杯で、私は訪れた場所と深く繋がれていたのかもしれない。
楽しく飲んでふわりと弾んだ心は、人は一人では生きられないなんて単純なことを、いつも私に面白おかしく伝えてくれる。