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東北とキリンの絆。“ビールの魂”を供給していただいた恩返しから、共に拓く未来へ

東北地方に甚大な被害をもたらした東日本大震災から、間もなく11年が経とうとしています。キリングループではこれまで東北とさまざまな形で関わってきましたが、あらためてキリンと東北の歩みを振り返ってみたいと思います。

キリンと東北がどのような絆で結ばれ、その絆をどう復興に生かし、復興の先にある未来に何を築いていくのか。これまで東北と一緒に歩んできたキリングループ関係者の“今の想い”とともにお届けします。


どうしてキリンは、東北の復興支援を決めたのか

キリンビール仙台工場の外観

キリンビール仙台工場は、東北で最も長い歴史を持つビール工場です。2011年3月11日14時46分、マグニチュード9を記録する大地震により、仙台工場もまた、大きな被害を受けました。

ビールを貯蔵する巨大タンクは倒壊し、2.5mほどの津波が押し寄せ、工場内は設備の各所が破損。製品在庫の多くが工場外に流れ出し、とても操業を再開できるような状況ではありませんでした。

 震災発生から約4週間後の2011年4月7日。キリンは、キリンビール仙台工場の被災状況をお伝えするとともに、復興支援を表明します。このスピード感の背景には長きにわたって絆を育んできた東北を「私たちも一緒に復興していきたい」という当事者意識があったのです。

キリンビール仙台工場 工場長 荒川辰也
震災後は東北の皆様に早くおいしいビールをお届けしたいという一心でした。8か月後には、復旧後最初の製品として遠野産ホップを使った『一番搾りとれたてホップ』を出荷することができました。

昨年、仙台工場は大規模な設備投資をし、今年2月からはビール類だけでなく『氷結』などの缶チューハイも製造できる多品種製造工場に生まれ変わりました。
今までご愛飲いただいている感謝とホップへの想いを胸に、これからも、高品質なモノづくりを追求していきます。

“ビールの魂”を供給してくれた東北への恩返し

ホップと青空

震災のずっと前から深い絆があったキリンと東北。その絆を育んだのが、ビールの原料であるホップです。ホップなくしてビールは造れず、ホップはビールの魂です。その魂の産地こそ、東北でした。

私たちと東北の関係が深まったのは、60年以上前のこと。日本が高度経済成長期の入り口に立っていた時代です。キリンラガービールの人気とあいまって、1960年には41万キロリットルだったキリンビールの生産量は、1972年には5倍の205万キロリットルにまで達しました(キリンホールディングス調べ)。

 キリンビールは戦前、ホップを輸入に頼っていましたが、戦後の為替レートは1ドル360円。急拡大する高品質なホップの需要を弱い円の購買力で安定的に満たすには限界がありました。

ホップ収穫作業の様子

そこでキリンビールは、国産ホップ栽培の振興を加速します。それを支えてくれたのが、ほかでもない東北でした。東北の冷涼な気候はホップ栽培に適し、キリンビールは急拡大するビール需要に応じるべく、岩手県の江刺、福島県の喜多方と鏡石、山形県の置賜と上山にホップ管理センターを設立しました。1963年には「ホップの里」岩手県遠野市でホップの契約栽培を開始。東北のホップ農家のみなさんには、短期間でのホップの大増産に品種改良と、大変お世話になりました。

1973年の変動相場制への移行後は急速な円高でホップの輸入が拡大。農家の方々の高齢化も重なり、国産ホップの生産量は減少の一途となりましたが、今でも日本産ホップの9割以上を東北に担っていただき、その7割以上をキリンビールに納めていただいています(キリンビール推計)。

その東北とともに復興を目指すことは、東北と私たちが長年のパートナーであることの証であり、キリンビールの急成長を支えていただいた東北への恩返しでもありました。

 BrewGood 田村淳一さん
 キリンと遠野のホップ契約栽培には、半世紀以上の歴史があります。近年、その絆は原材料の生産と購入にとどまらず、「栽培地の課題を共に解決する仲間」という関係に変化しています。 

私たちがともに解決すべき課題とは、ホップ栽培を持続可能な産業にすること。そのための象徴的な活動が、地元の大切な資産であるホップの魅力を最大限に活用した街づくりに取り組む「ビールの里構想」です。 
このプロジェクトをさらに前進させるには、一緒に課題解決を進めていく応援者・仲間を増やすことが重要です。そのために昨年から「TONO Japan Hop Country」という観光地としてのブランドを立ち上げ、ビアツーリズムの開発に力を入れています。 

ホップとビールを楽しむために、国内はもちろん、世界中から遠野を訪れる人が増える。その収益がホップ農家や地域にも還元される。そうした持続可能な未来を目指し、観光を基点に課題解決を進めていきます。

ともに復興へ。想いを込めた「絆プロジェクト」

キリンは震災から3か月後の2011年7月、「復興応援 キリン絆プロジェクト」の名の下に、本格的な復興支援活動をスタートさせました。ともに復興に取り組みたい。「絆」というフレーズに、その想いを込めました。

 東北のみなさんとの絆を大きなテーマに、主な取り組みは三つ。「地域食文化・食産業の復興支援」「子どもの笑顔づくり支援」「心と体の元気サポート」を軸に、復興支援に取り組んできました。

JFA・キリン ビッグスマイルフィールドの様子

「子どもの笑顔づくり支援」と「心と体の元気サポート」を象徴するのが、JFA(公益財団法人日本サッカー協会)と共に開催を重ねてきた「JFA・キリン ビッグスマイルフィールド」です。

初回の開催から11年を経て、参加くださったお子さんのなかには、成人を迎えた方もいます。震災からの復興という困難な道のりを振り返ったときも、「JFA・キリン ビッグスマイルフィールド」は、楽しい思い出として刻まれてほしい。サッカーによって子どもたちが笑顔になり、子どもたちの笑顔によって、地域の人たちが元気を取り戻した思い出が、東北のみなさんの心に刻まれたなら、キリンと東北の絆はさらに深まったはずです。

夏のホップ畑の様子
 撮影:仁科勝介

 そして、キリンと東北をつなぐホップ栽培にも強く結びつくのが、「地域食文化・食産業の復興支援」です。キリンでは東北各地の農産業・水産業の復興支援、地域の未来を担う人材育成を目的とした「東北復興・農業トレーニングセンタープロジェクト」「地域創生トレーニングセンタープロジェクト」にも取り組み、その活動は「東北絆テーブル」という形で今に受け継がれています。

 キリンビール 東北統括本部 セールスサポート部 鈴木圭三
キリングループが震災復興支援として立ち上げた「復興応援 キリン絆プロジェクト」では、被災地の生産者、事業者の皆様の復興を応援してきました。そこで培ったネットワークや人的資源を今後も生かしていくため、昨年、「東北絆テーブル」を設立いたしました。

「東北絆テーブル」では震災復興を通じて生まれた絆をもとに、産地と消費地、企業との関係性を見直し、新たなつながりと共創関係を築くことで食卓の未来を守り、照らす活動を行っていきます。

復興の先、ホップがキリンと東北の未来を照らす

キリンは震災の発生以降、さまざまな復興支援の取り組みを行い、「地域食文化・食産業の復興支援」を通じて生まれた新規事業は、農業48件、漁業47件にのぼります。

私たちはこの絆を今後も継続させ、さらに深化させたい。この想いのもとに誕生したのが、2019年に始動した「東北絆テーブル」です。

絆テーブルのポスター
絆テーブル

「東北絆テーブル」は農業者から水産業者、自治体、小売、流通業者、さらには観光業者、メディアまでもが一緒にひざを突き合わせて議論できるプラットフォーム。ここから新たな人的ネットワークやアイデアが生まれ、東北の食産業をより豊かにすることを目的としています。 

キリンも「東北絆テーブル」に集う一企業として参画し、支援者という立場ではなく、共に東北の食産業を発展させるビジネスパートナーとして、関係を続けていきます。これが未来に向けた、キリンと東北をつなぐ新たな絆の形です。

「東北絆テーブル」代表 千葉大貴さん
「東北絆テーブル」が大事にしているのが、マーケティングの視点です。例えば、宮城県山元町のイチゴ栽培は、震災からの復興を経て大きく変化しました。肥沃な大地とベテラン生産者の知恵にIT技術を掛け合わせ、よりおいしく進化したのです。

宮城県仙台市は、実は国内きっての和菓子の消費地。おいしいイチゴと和菓子の消費が盛んな土地柄、楽しむシチュエーションを掛け合わせれば、そこに新たな食文化が生まれます。 

「東北絆テーブル」に集うあらゆる業種の人たちによって、イチゴの生産も加工もブランディングも、さらには流通も叶い、新たに生まれた食文化が日本全国の食卓を豊かにしていく。これが私たちの目指す姿です。 
東日本大震災により、東北では多くの事業が分断されました。けれど、一度、壊れてしまったからこそ、生産も消費も観光も新たな事業が生まれ、それらが今、手をつなごうとしています。

各々が手をつなぐことで、東北は産地でありながら消費地であり、同時に観光地にもなれる。そうした未来の姿に向け、「東北絆テーブル」は、各々が手をつなぐためのお手伝いをしていきます

 「東北絆テーブル」が照らすのは、東北の未来。同時にキリンと東北の絆は、ビールの新たな未来を照らします。その未来の一つが、キリンビールが力を注いでいるクラフトビール事業です。

村上セブンIPA

クラフトビールの何よりの魅力は多様性、銘柄ごとに際立つ味の個性にあります。そして、その味の個性を生み出しているのがホップです。復興支援における「地域食文化・食産業の復興支援」の一環として、遠野で栽培を始めたキリン開発の『MURAKAMI SEVEN』は、今や世界中のブルワリーからも注目されるホップとなりました。そのホップから生まれたのが、ユニークで上品な香味を特徴とする『MURAKAMI SEVEN IPA』です。

キリンビールでは今も東北の農家の皆さんと手を携えながら、ホップの新品種の開発を進めています。こうして東北から新たなホップが生まれ、新たにおいしいビールを生み出せたなら、東北はまさに「ビールの里」として存在感を増していくことになるでしょう。

東北を日本のヤキマ、ポートランドへ

ホップ畑で乾杯している人たち

その先にキリンは、東北が“日本のヤキマ”や“日本のポートランド”になる未来を描いています。長年、苦味の少ないビールの成長によってホップの使用量や生産量は伸びてきませんでしたが、ホップを大量に使用するクラフトビールの登場が変革をもたらしました。
アメリカでは過去10年でホップの使用量が約1.6倍になり、ホップ栽培は花形産業へと一転したのです。クラフトビールはプレミアム価格で販売されるため、ほかにない特徴のあるホップであれば日本産ホップのように高価格でも世界中から需要を引き付けることができます。

アメリカにおけるホップの一大産地であるヤキマと、クラフトブルワリーのメッカとして世界中のクラフトビールファンから熱視線が注がれているポートランド。西海岸北部にあるヤキマとポートランドはホップとクラフトビール産業の一大クラスターを形成し、多くの観光客を集めています。

東北がいつかヤキマやポートランドのように、日本のビールの中心地として栄えていく。キリンと東北はお互いを強く結びつけるホップという絆を今後も大きな糧に、東北の明るい未来に貢献していきます。 

キリンホールディングス 常務執行役員 CSV戦略担当 溝内良輔
かつてホップの栽培を通してキリンビールの急成長を支えてくれた東北への恩返しとして、キリングループはさまざまな復興支援に取り組んできましたが、これからは共に未来を切り拓いていくフェーズです。そして、新たな未来を切り拓くのもやはりキリンと東北の絆を結んできたホップであり、その国産ホップを活かしたクラフトビールです。 

キリンと東北が共に目指す「ビールの里構想」が実現したなら、多くの観光客が訪れ、ホップ産業やクラフトビール産業が形成され、波及効果で東北経済は持続的に発展できます。

 持続可能な社会を目指すことは、全世界の共通課題です。キリンは東北と共にホップ産業やクラフトビール産業で新たな地域文化を築いていきたいと思っています。

執筆:大谷享子
写真:土田凌、上野裕二
編集:RIDE inc.

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