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瀬戸内の穏やかな風景にあうビールを造りたい。山口地ビール「やまぐち鳴滝高原ブルワリー」を訪ねて
「キリンだからこそ担える、クラフトビールの役割がある」
ブランドの垣根を越えて、クラフトビールの楽しさをもっと広めていきたい──。そんな志のもと生まれたサービスが「Tap Marché(タップ・マルシェ)」です。コンセプトは“ビールの自由市場”。そこに共感したさまざまなブルワリーが参加してくださり、一緒にクラフトビール市場を盛り上げています。
タップ・マルシェ担当の丹尾健二が、参加ブルワリーを訪ねてビール造りへの想いや導入後の変化をうかがう連載企画。第6弾では、山口県山口市にある「やまぐち鳴滝高原ブルワリー」を訪ねました。
1997年、地ビールブームのなか、醸造所を併設したビアレストランとして鳴滝高原に誕生した「やまぐち鳴滝高原ブルワリー」。仕込み水にはブルワリーから見える鳴滝の銘水を使い、厳選した素材で鮮度の高いビールを提供するなど、地元の人々にも愛されています。
クラフトビールを通じて山口県の人たちを笑顔にしたい。この土地の風景が思い浮かぶようなビールを造りたい──。
そんな想いを胸に、工学の研究からブルワーへと転身した代表・中川弘文さんにお話をうかがいました。
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瀬戸内海の風景が浮かぶ『瀬戸内ヴァイツェン』の魅力

丹尾健二(以下、丹尾):今日はよろしくお願いします!
中川弘文さん(以下、中川):よろしくお願いします!では、まずはこの『瀬戸内ヴァイツェン』で乾杯しましょう。

丹尾:うーん、やっぱりおいしいですね。『瀬戸内ヴァイツェン』の味のこだわりはどんなところでしょうか?僕のイメージとしては、瀬戸内海の穏やかな風景が浮かぶ味だなと感じます。
中川:ありがとうございます。飲み終わったあと、思わず笑顔になれるような味わいを目指して造りました。最初の飲み口はまろやかなんだけど、ちょっと重厚さもあって、最後はふっと軽くなる穏やかさを表現しています。
あとは、土地には長年培われた食文化があって、それに合ったお酒が育まれていると思うんです。「広島や山口で飲むなら、こういうヴァイツェンがいいよね」と、この土地に合うビールを造りたいと考えました。
イメージとしては、瀬戸内海の凪のような風景を眺めながら、お昼過ぎぐらいから気持ちよく飲めるようなビール。スタイルにとらわれず、そのときの気分で手に取ってもらって、その土地の雰囲気や食文化にマッチするようなビールを造りたいんです。

丹尾:クラフトビールって、一つのビアスタイルにおいてもブルワリーによってそれぞれに個性があると思うんです。それこそがビールのおもしろさの一つだと思います。「やまぐち鳴滝ブルワリー」のヴァイツェンを飲んで、あらためてヴァイツェンというスタイルの魅力を見直しました。
ところで、ヴァイツェンって初心者向けの飲みやすいイメージや、スパイスやフレーバーが特徴的な印象がありますが、このビールにはスパイスを使っていないんですよね?
中川:使っていないですね。いろいろ加えてしまうと、味がぼやけてしまうかなと思って。麦だけで造るヴァイツェンにこだわりました。
丹尾:なるほど、シンプルだからこそのよさがあるんですね。いろいろなバリエーションを試す楽しさもあるけれど、試した結果、最終的にシンプルなおいしさに行き着くというか。そんなことを気づかせてくれるヴァイツェンだと思います。
山口のみんなを笑顔にしたい。工学の研究からビール造りへ
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丹尾:中川さんの経歴はとてもユニークですよね。どのような経緯で「やまぐち鳴滝高原ブルワリー」を立ち上げられたのか、あらためて教えていただけますか?
中川:きっかけは、1994年4月の酒税法改正による規制緩和です。私は1990年に大学に入学し、1994年に卒業。そのまま工学系の大学院に進みました。専攻は建物の構造、例えば建物の躯体や鉄骨部分の研究をしていて、将来は設計士や研究者になろうと考えていたんですが…。
丹尾:工学の世界からビール造りの世界に転身なんて、まさに大きなチャレンジですね。
中川:そうですね。ただ、実はお酒自体は私にとって身近な存在でした。両親が酒屋を営んでいて、大学時代に帰省すると店番を手伝うこともあったんです。ちょうど大学院に進学したころ、酒税法が改正されて各地で地ビールの醸造所が立ち上がり始めたんです。それを見て、「おもしろそうだからやってみないか」という話が持ち上がりました。
家族で全国の醸造所を見て回ったんですが、「今までないような多様性のあるビールを、自分たちで造れるんだ」と驚きました。同時に、山口の地でビールの多様性を伝えていく仕事もいいかもしれない、と思うようになったんです。
家族からは「お前が帰ってきて社長をやるなら始めよう」と言われて、正直しばらく悩みましたね。本当に自分にできるのか、不安もありました。それでも最後は「ワクワクする方を選択したい」と決心したんです。研究ももちろんワクワクするけれど、この土地で一生をかけてやるなら、地ビールじゃないかと。
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丹尾:すごい決断ですよね。もともとビールは飲まれる方だったんですか?
中川:全国のビアレストランや海外のビアパブなど、いろいろな場所で飲むうちに、すっかり虜になりました(笑)。ビールは「ワッハッハ!」と笑いながら飲むお酒というイメージがあって、飲む人たちが楽しい時間を過ごせるお酒っていいなと思ったんです。
おいしいビールを提供することで、目の前のお客さまの笑顔が見られるし、大好きな山口の皆さんの笑顔もつくれる。そう思ったら、とてもワクワクして。そうして「やまぐち鳴滝高原ブルワリー」が誕生したんです。

手探りではじめたビール造りとレストラン経営
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丹尾:「やまぐち鳴滝高原ブルワリー」では、かなり広いレストランをブルワリーと同じ建物内で営業されていますが、レストランがもともとあって、そこにブルワリーを併設したんですか?
中川:いえ、レストランもクラフトビール造りと一緒に始めました。クラフトビールだけでは経営が難しいと考えたのと、やっぱり造った場所で造りたてのビールを飲んでもらえる方が、山口の人たちによろこんでもらえるんじゃないかと思って。
丹尾:最初からこの規模でレストランをスタートするなんて、すごいと思います。ちなみにですが、最初にレストランで提供されたビールは何だったんですか?
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中川:ピルスナーとヴァイツェン、ペールエール、スタウト、アンバーエールの5種類です。でも、最初は思った以上にレストラン業が忙しくて、ビールに十分な労力を注げず、なかなかうまくいきませんでした。
また、オープン直後なんかは、「これが地ビールなんですよ。ヴァイツェンというビールなんです」と説明しても、「これはビールじゃない。普通のラガーを持ってこい」と言われることも多くて。受け入れられるまでには、かなり時間がかかりました。
丹尾:たしかに、当時はビールといえばラガータイプが主流でしたもんね。その固定観念を変えていくのは、当時の環境では特に難しかったと思います。このレストランでは、一般営業だけでなく、ウェディング会場としても貸し出されているんですよね?
中川:そうなんです。正直、ビールだけだったら続けられなかったと思います。自然に囲まれていて見晴らしもいいので、ウェディングパーティーでもよくご利用いただきました。この立地環境には本当に助けられましたね。私自身、ウェディングプランナーもやってたんですよ。やったことないのに、司会までしてね(笑)。
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丹尾:このレストランに関わることを、すべて自分たちで行っていたんですね。ビール造りが軌道に乗り始めたきっかけは何だったのでしょうか?
中川:東京・両国にあるビアバー「ポパイ」との出会いです。当時、ビール部門としての出張費はあまりなかったので、ウェディングの見本市やリサーチで東京に行って、夜はビアパブなどを巡って情報収集していました。
そのなかで「ポパイ」を訪ねたのが転機になりました。ビール造りがうまくいかないと相談したところ、「教えるよ」と言ってもらえて。ビール造りを担当していた兄が2か月ほどお世話になり、学ばせてもらったんです。
そこで初めて、酵母の活性について本格的に学ぶことができたんです。ビールといえばホップが注目されがちですが、実は酵母の扱い方が味づくりにおいても重要。「ポパイ」での学びを経て、ビールの品質が大幅に向上しました。そのころからビアフェスや展示会にも参加するようになり、さらに勉強を重ねました。

ビアバーがない山口県。タップ・マルシェが知名度アップに貢献
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丹尾:タップ・マルシェに参入されたのは、キリン側からお声がけさせていただきましたが、たしか展示会がきっかけでしたよね。
中川:そうでしたね。実は私たちはもともと、キリンのホップ「IBUKI」と山口産のビール麦をキリンの工場で製麦したモルトでビールを造っていて、キリンビール福岡工場で開かれていた勉強会にも参加していたんです。そのころからタップ・マルシェに興味を持っていたので、お声がけいただいたときはとてもうれしくて。二つ返事でお受けしました。
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丹尾:タップ・マルシェに参入されてから、どのような変化がありましたか?
中川:一番の変化は、人気のビールが変わったことですね。以前はピルスナーが人気でしたが、今では『瀬戸内ヴァイツェン』の方が注文が多くなっています。
お客さまに「どこで飲まれました?」とお聞きすると、タップ・マルシェが置いてあるお店だと。山口県には専門のビアバーがないので、タップ・マルシェのおかげでいろいろなビールを知ってもらえることはありがたいですね。
丹尾:そのお話を聞けて、私たちもとてもうれしいです。タップ・マルシェを始めた理由の一つが、「専門のビアパブでなくてもクラフトビールを楽しめる場を作りたい」という想いでした。中川さんのビール造りや山口のクラフトビール文化にも貢献できていると感じられて光栄です。
酵母や発酵と同じくらい、ビール造りに欠かせないエンジニアリング

丹尾:ブルワリーを訪ねると酵母や発酵のこだわりについて聞くことが多いのですが、先ほど工場でエンジニアリングの話を聞いて新鮮でした。それも、工学系出身という中川さんの経歴だからこそでしょうか。
中川:もともと機械いじりが好きなんですよ。大学でも鉄などの素材を眺めていましたから(笑)。だから機械のメンテナンスや修理も苦ではないですね。
ビール造りでは発酵や酵母も大事ですが、タンクでおいしいビールを造ったとしてもその先の工程まできちんと管理できていなければ品質がブレてしまう。ビール造りでは、エンジニアリングも重要だと思っています。
丹尾:たしかに、ビール造りというと酵母や発酵に着目することが多いですが、プロダクトとして成立させるためにはエンジニアリングの部分も重要ですね。
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中川:うちは特に、ビール本来のおいしさを味わっていただくために、鮮度の維持にこだわっています。本当は樽から出したビールが一番おいしいんですよね。なので、瓶や缶への詰め方も、品質を担保するうえでとても重要なんです。
例えば、酵母の状態を保つための温度設定や、空気に触れないよう詰める工夫、密閉性を維持しながら蓋を開けやすくする強度の調整など、細かく気を配っています。
丹尾:タップ・マルシェも、ビールのおいしさを維持するにはどうすればいいかで苦戦したんです。結果、ブルワリーの皆さんにも、この専用のペットボトル詰め機を導入していただく必要があって。
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中川:ペットボトル詰めの作業も、出荷までにベストな状態を保つため、何度も研究と調整を重ねました。瓶や缶は経験がありましたが、この大きなペットボトルは初めてだったので…。
丹尾:工学の研究とビール造り。一見離れているようですが、実は共通点があるのかもしれませんね。
中川:そうかもしれません。エンジニアリングは、業務改善の意味でも重要です。設備を導入することで負担が減って、モノづくりに専念できる。どこに人の手をかけ、どこを機械に任せるか、そのバランスもビール造りでは大切です。

丹尾:エンジニアリング的な側面って、ついクラフトの手作り感のイメージとどうしてもぶつかってしまいますが、やっぱり両方大事だとあらためて思いました。造ったものをどれだけいい状態でおいしく届けられるかという熱意と創意工夫は、醸造にもパッケージングにも必要なんですね。
わざわざ訪れたくなる。瀬戸内らしさ、山口らしさを感じるビール造りを
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丹尾:中川さんのなかで、今後の展望や構想はありますか?
中川:最近、地元の素材を使ったビールが増えてきています。地元の農家さんから「これでビールを造ってほしい」と直接依頼されることも多くて、今はブルーベリー農家さんと一緒にブルーベリーのビールを造っているところ。
こうして副原料に地元の素材を使うことで、ビールを通じて山口の魅力を伝えたいんです。また、まだクラフトビールを飲んだことがない方にも、「こんなに種類があるんだ」と知ってもらって、そこからクラフトビールの世界に入るきっかけになればとも考えています。
地元の素材を使うことで地域経済を循環させるだけでなく、その土地の食文化や気候に合った味わいが生まれていくのではと。長い視点で、山口や瀬戸内の「その土地を感じられる味」を表現して、地域の誇りとなるようなビール造りを目指していきたいです。
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中川:あとは、定番のビールに加えて、この季節にここでしか飲めない限定のビールを造るのもおもしろいかなと。そんな旬のビールも構想にあります。
いま樽で寝かせたビールも検討していて、樽を探しているところなんです。香りのいいしっかりしたビールを、この山口の森の中でゆっくりと落ち着いて飲んでいただくのもいいなと。
丹尾:毎年開栓する季節にここを訪れたくなるような…。クラフトビールならではですね。
中川:タップ・マルシェで『瀬戸内ヴァイツェン』を飲んでいただいて、もし気に入っていただけたら、この雄大な山口の風景を眺めながらぜひ「やまぐち鳴滝高原ブルワリー」のタップのビールも飲んでいただけたらうれしいです。
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【プロフィール】中川 弘文さん(写真右)
山口地ビール株式会社 代表取締役社長
山口県防府市生まれ。筑波大学第三学群基礎工学類を卒業後、同大学院工学研究科構造工学博士課程を修了(工博)。研究の道に進むべきか悩むなか、ビール製造の規制緩和を受けて地ビール会社を設立する道を選択。1996年に山口地ビール株式会社を設立、1997年に開業。2001年には渡米し、2年間のビジネススクールで経営を学びながら、アメリカのクラフトビール市場を研究。
【プロフィール】丹尾 健二(写真左)
キリンビール株式会社 タップ・マルシェ担当
入社以来、営業やリサーチ業務、ECなどさまざまな分野を経験し、2020年1月より現職。ブルワリー各社とともに、料飲店からクラフトビールの浸透を図る取り組みを行っている。自身もクラフトビールの大ファン。
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