オスロの夜に【#また乾杯しよう スタッフリレー企画 #04】
投稿コンテスト「#また乾杯しよう」の、弊社スタッフによる「リレー企画」。今回は山﨑 真理子さんより、北欧のノルウェーに旅行した際の乾杯の思い出をお届けします。
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今日もまた、本搾り™をあけよう
乾杯三昧
20回の乾杯
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8月中旬だというのに、震えるほど寒い夜。私はノルウェーのオスロにいた。
結婚式を数か月後に控えた7年前の夏休み。なかなかまとまった休みがとれない夫が珍しくしっかり休めるということで、思い切ってノルウェーとデンマークをまわる旅行を決めた。
6日間のあいだに、ノルウェーのベルゲンでフィヨルド観光→列車でオスロに移動→オスロ観光→フェリー泊でデンマークのコペンハーゲンに移動→コペンハーゲン観光…詰め込み過ぎて、それはもう慌ただしいスケジュール。
オスロ滞在は僅か1泊。できる限りたくさんのものを見ておきたいと欲張って街中を歩き回ったので、夕方には脚に錘がついているように重く、おなかもペコペコ。なにより北緯59.9度にあるオスロは8月の平均気温が13℃。「北欧だけど夏だし、日中は暑いでしょ!」とマウンテンパーカーしか持たなかったことを後悔するほど寒かった。
ノルウェーは世界でも有数の物価が高い国。この日は北欧旅行3日目だったが、サーモンが挟んである1人分のサンドイッチが1,000円もする物価の高さに辟易としていた。しかしとにかく寒いし、何か温かいものが食べたい…とガイド本を見ていると「地元で人気の大衆食堂。定食がお手頃で美味。」と小さく書かれた店を見つけた。私たちはその店に一目散に向かった。
***
レストランはオスロ中央駅の近くにある古いビルの2階にあった。赤茶色の店の看板はボロボロで、一文字は消えている。店に続く階段は細くて急だ。その少し入りづらい佇まいに悩んだが、他に選択肢を挙げる余裕もなかったので、恐る恐る店に入った。
ガイド本には“地元で人気の”大衆食堂と書いてあったのに、広い店内には客が2~3組。私たちは窓側のボックス席に案内され、メニューを見た。ステーキやミートボール、ムニエルなど美味しそうなメニューがずらり。値段もノルウェーにしては良心的な値段でホッとした。私たちはミートボールのプレートとムニエル、シーフードスープとビールを注文した。
「カンパーイ!」
歩き疲れた身体に入るビールがおいしい。あんなに温かいものが食べたかったはずなのに、冷えたビールがこんなにもおいしいのはなぜだろう。その日撮ったデジカメの写真を眺めていると、遠くから「Chinese?」と大きな声で尋ねる声がした。
声の方を見てみると、父より少し若い雰囲気の男性が3人、興味津々という顔でこちらを見ている。日本人だよ、と答えると「何しにオスロに来たの?」と尋ねるので、教科書通りに「観光」と答えた。
そんなやりとりを続けている内に大きな声を出すのが面倒になったのか、「こっちに来いよ!一緒に飲もう」と声をかけられた。おじさんたちはニッコリとしながら私たちを見ている。店中に響くやりとりを見ていたウェイトレスに目を向けると、うなずいた。うん、たぶん大丈夫だろう。私たちはおじさんたちが座るボックスシートに席を移した。
彼らは大学の同級生で時々こうして飲んでいるらしい。どんな仕事をしているのか、どんな国に行ったことがあるのか、日本の何に興味があるか…たしかそんな話をしていたと思う。英語が苦手な私は知っている限りの単語を捻り出しては身振り手振りで会話していた。
そんなこんなで気づけば22時。結構良い時間になっていた。そろそろホテルに帰らなきゃいけないかなー…と思った時。
「スキージャンプ台を見たことがあるか?」
「見たことないよ」と答えると、「よし。じゃあ、今から行こう!」と言い始めた。流石に時間も遅いし、色々マズイのでは…と夫に耳打ちしたけども「この人たちは大丈夫だよ」と一言。まったく、相手は初対面のノルウェー人3人なのに、どこから来るのか、その自信は。
でも、そう言いたくなるのも何となく分かるおじさんの笑顔。大きなおじさんのあとについて店の階段を降りると、既に大きなタクシーが待機していた。
店からタクシーで20~30分程走っただろうか。真っ暗な山の中に突然、大きなスキージャンプ台が姿を見せた。タクシーから降りると、23時頃だというのに、結構人がいる。ここは夜景の名所になっているようだ。
山の上にあるスキージャンプ台からはオスロの街が見渡せるようになっており、さっきまでいた街が小さくキラキラと輝いていた。「どうだ!キレイだろ!」とおじさんたちは得意げにスキージャンプ台を案内してくれた。
しばらく写真を撮ったり、街並みをながめているとさすがに身体が冷えてきた。気温は10℃ぐらいだったと思う。「寒い!寒い!」と私が騒いでいると、おじさんが「うちが近いからおいでよ」と提案してきた。
こんな山奥に夜遅く置いて行かれるのも困るので、またもやおじさん3人と私と夫はギューギューにタクシーに乗り込んで移動した。
***
おじさんの家は山の麓にある一軒家だった。奥さんはこの日留守にしていたようで、家に入り私たちをキッチンに案内してくれた。
昔から“北欧の家”には何となく憧れていたけども、まさかこんな形で初対面のノルウェー人の家にお伺いすることになろうとは夢にも思っていなかった。私がキョロキョロとしていると、おじさんはワインとナッツをキッチンカウンターに並べてくれた。
「ねえ、ノルウェー語で“乾杯”って何て言うの?」
「Skål」
「す・・・こーる?」
おじさんはニッコリとうなずき、5人でグラスを掲げて「Skål!」と乾杯した。
***
そろそろ帰ろうかという話が出てきて、何かお礼に渡せるものが無いか、ゴソゴソとリュックの中を漁った。しかし、まさかこんなことになるとも思わず、日本から持ってきたお菓子はホテルに置きっぱなしで、渡せそうなものは何もない。
しばらく考えて、ベルゲンの地図が印刷された紙を1枚取り出し、爪でギュッと痕をつけて正方形に破き、三角に折った。精一杯の「ありがとう」の気持ちを込めて折った。
できあがったのは不細工な折り鶴。おじさんたちは私の不細工な折り鶴をみると子供のように「ワォ!」と声を上げて喜んだ。
「ふたりの結婚式にはぜひ俺たちも呼んでくれ。日本に行ってみたいし、その時ガイドしてくれよ。」
おじさんたちは帰り際にそう言った。メモにメールアドレスを書いてもらい、言える限りの感謝の言葉を述べてタクシーでホテルに戻った。
***
日本に帰国して数日後、おじさんにお礼のメールを打った。メモに書かれていたメールアドレスに間違いがあったようで、何度送ってもメールはノルウェーに届かなかった。
2020年、海外がこんなに遠くなるなんて思わなかった。
この夏は世界中の人たちが東京の街を歩いているはずだったのに、その姿を見ることはない。
おじさんたちは元気にしているだろうか?
今もオスロのあの大衆食堂でビールを飲んでいるのだろうか?
あれから日本に遊びに来ることができたのだろうか?
デジカメに入っていた日本のお寺や神社、街並みの写真を見せた時の興味津々な顔を思い出す。
いつか再び世界中の人たちが旅する世の中に戻ったら、遠い異国からの観光客を優しく迎え入れてくれた3人のように、東京の街に来た人たちを私は温かく迎えたい。
その時、世界中の言葉で、乾杯したい。