見出し画像

世代を超えて【#また乾杯しよう スタッフリレー企画 #06】

投稿コンテスト「#また乾杯しよう」の、弊社スタッフによる「リレー企画」。今回は松尾太郎さんより、世代を超えて繋がっていく家族との乾杯の物語をお届けします。

▼これまでのスタッフによるnoteはコチラ
今日もまた、本搾り™をあけよう
乾杯三昧
20回の乾杯
オスロの夜に
特別な乾杯


「じいちゃんはどうしていつもそんなに美味しそうにお酒を飲むの?」

子どもの頃、住んでいた湘南の海辺から東京の祖父の家に行って夕食を一緒に食べる度に、いつもこのように質問していた記憶が今でも残っている。

幼少期は祖父からの影響がとても大きかった。祖父は学生の頃、薬学を学んでいたらしく、戦時中も薬剤師として戦争に行き、無事に帰ってきたと聞いている。医学系の道に身を置いていただからだろうか、彼は英語だけでなくドイツ語の読み書きも堪能だった。祖父の家に行くたびに書斎にある英語やドイツ語の本や辞書を子どもながらにワクワクしながら眺めたり読ませてもらうのがとても好きだった。

また、彼はスリムな体形にも関わらず空手が八段という武道家としての一面もあった。そんな祖父の影響もあって、身にはならなかったが自分も小学校時代に柔道の道場へ通っていた程だ。祖父は肉体的にもとても優れていて、自分が高校に入る位までは祖父に腕相撲すら勝つことが出来なかった。

画像1

祖父にとって、自分は男子の初孫だったこともありとても可愛がってくれた。会うたびに色々な話をしてくれた。祖父の父(自分にとっては曽祖父)がその時代にしては珍しく単身米国に渡り事業を立ち上げて日本に帰国した事や、世界中を旅した時の外国の話、学生時代に学んだ勉学の事、祖父も小さいときは身体が弱かった事もあって空手を始めた事、男として心と体を鍛える必要があることなど、今振り返るとある意味自分の幼少期の人格形成のベースのいくつかを教えてくれた。

幼い頃にはいつも日本国内色々な所へ連れて行ってもらった。確か当時出たばかりのホンダの初代プレリュードに乗せてもらいながら色々な所へ旅をした。当時、国産車とはいえ、真っ赤なサンルーフ付きの乗用車に乗る老人はあまり見た事がなく、助手席に乗せて貰って街を走る時は少し誇らしげでもあり恥ずかしくもあった。

中でも思い出に残っているのが大菩薩峠。あれは春先だっただろうか、中央道を走り山梨県へ向い、まだ雪が残る山のふもとで車を停めて数時間かけて山の頂上に向けて歩いていった。祖父と二人だけで話をする時間がとても好きだった。当時を振り返ってみると、あまり自分の事を多く話すような性格ではなかったが、学校での出来事や楽しい事も辛い事、時には好きな子の話まで、なぜか祖父には話す事が出来た。

数時間かけて山を登った休憩所で喉が渇いた時、祖父は持っていたバックパックからステンレスのコップを出すと、ポットから熱いコーヒーを入れて美味しそうに飲んでいた。自分もコーヒーを貰ったが、子どもとしては苦かったので、大菩薩峠の山肌に残る雪を入れて薄めて飲んだ事を覚えている。

酒が好きでもあった祖父は、食事の際にはいつも決まってウイスキーの水割りを飲んでいた。酒棚には四角く背の高いウイスキーの瓶が並んでいたので、あれは今思えばジョニー・ウォーカーだったような気がする。

ある日の食卓のこと。

「男として心と体を鍛えなさい。どうしてそうしなければいけないかわかるか?それは自らのためでもあり、弱き人を助けたり将来大切な人を守ったりしなければならないからだ」

祖父はそう言うと持っているウイスキーグラスをこちらに寄せ、キリンレモンの入ったグラスと乾杯をしたことを今でも朧げに憶えている。

大人になってからも時おり祖父の家を訪ねては、社会人ならではの悩みも含めて色々な話を聞いて貰った。そんな時祖父はいつでも優しく接してくれながら時には厳しく叱咤激励してくれた。大人になってから祖父と囲む食卓で時おり一緒に飲むキリンラガービールは一層苦く感じた。

19年前、祖父が亡くなった時の喪失感は大きかった。

けれど、あまり引きずる事はなかった。恐らく子どもの時に多くのものを十分に貰ったからかもしれない。葬儀が終わり親族身内と献杯をしている時に「これからはひとりで生きていくんだぞ」と祖父の声が聞こえた気がした。

画像2

今では自分もふたりの息子を抱える父親になった。

数年前、今の会社に転職をした時に、息子達からこう言われた。「お父さんは飲み物の会社に行ったんだから毎日乾杯できるの?」確かに子どもの目線で言うと、飲み物の会社に務めるということはそう言う風に見えるのかもしれない(あながち間違いでもないが、毎日飲んでいるわけではない)。

今、食卓で自分は一番搾りを飲みながら、息子たちには生茶を注いで時おり乾杯をしている。

そんなとき、ふと祖父と過ごした日々のことを思い出す。あの頃祖父から色々教わったことは忘れずにいれているだろうか?また、果たして自分は息子たちに向けて手本を示してあげられているだろうか?と。

ある時、祖父に連れられて家から多摩川の川沿いまで散歩に行く途中でこんな風に言われたことがあった。

「お前がこの先 生きている中では、必ず良い時もあれば悪い時もある。そんな時でも奢らず、悲観せず前を向き、時には人に助けを求めながらあきらめずに進んでいかなければいけないよ」

子どもだった自分は当時それをぼんやりと聞いていたが、今思えば戦争も体験している祖父は恐らく人生で多くの絶望感や苦労を味わってきたのだと思う。しかし、そのような事は自分にはほとんど見せず、ひとりの人間として生きていく心得を教えてくれた。

ふと今の食卓に想いが戻る。自分の息子達と一緒に乾杯の酒を酌み交わせるようになるまではもう少し時間がかかりそうだ。

君たちは、祖父の時代にも自分の時代にも経験した事のないような、今のこの世の中にいる。思うように友達にも人にも会えず、色々な事が制限されている中で、これがこの先何年続くかはわからない。ただ、君たちと一緒に将来ビールで乾杯する時にはこの世の中がもっと良くなっている事を願っている。

その時にまた乾杯しよう。

画像3