特別な乾杯【#また乾杯しよう スタッフリレー企画 #05】
投稿コンテスト「#また乾杯しよう」の、弊社スタッフによる「リレー企画」。今回はKさんより、“日常”から“特別”に変わった乾杯のエピソードをお届けします。
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今日もまた、本搾り™をあけよう
乾杯三昧
20回の乾杯
オスロの夜に
※
「今日もお疲れさま。乾杯」
のどに流れるクリーミーな泡。
ああ幸せ。今日も頑張って良かった。やっぱりビールはおいしいなぁ。
仕事をして、ごはんを作って、夕食の前のちょっとした儀式。
席についてプシュッとした後、ふたつのグラスに均等に注ぐ。
今年の3月に在宅勤務が始まってから、日課になった夫との乾杯の瞬間。
「今日は忙しかったー」などと、その日の仕事について互いに報告しあった後は、明日は遅くなりそうか尋ねたり、今週末は何をしようか考えたり。
今日を労い、明日に向けて整える時間の幕開けに、おだやかな乾杯を重ねている。
最近はなかなか難しいが、仲間とのにぎやかな乾杯も好きだ。
少しガヤガヤした雰囲気の中、ジョッキ同士のゴツンという音と、手に伝わるパワー。その瞬間が好きな私は、「とりあえず生」を頼んで仲間と乾杯する。
なぜ、わたしたちは乾杯するのか。
思い返せば、高校生のころは、嬉しいことがあると友人とタピオカで乾杯をしたし、大きな大会が終わった後にはスポーツドリンクで乾杯していた。
そうそう。先生がクラス全員にごちそうしてくれたハーゲンダッツでも、隣の席の子とこっそりカップをぶつけあったような。
あのころ、乾杯をするのは決まってとびっきり特別な日だった。
歳を重ね、乾杯は日々の暮らしの中で当たり前のように顔を出すようになった。
誰かと一緒にいて、そこに飲みものがあれば、とりあえず乾杯するといったように。
乾杯は特別なものから日常になっていった。
これは、単純に乾杯をする機会が増えたからなのか。
それとも、ドラマチックとはかけ離れた日々を淡々と過ごしていることの表れなのか。
***
しかし、ここ数か月の間で、そんな当たり前が消え去った。そして今、乾杯は再び特別なものに戻っている。
ひとつは、長い自粛期間が明けた後、久しぶりに同僚たちと再会した日の乾杯。
予定が決まってからはずっとその日が待ち遠しく、楽しみで楽しみで仕方がなかった。
ソーシャルディスタンスに配慮しつつ、目をあわせてにっこり笑い、グラスをぶつけ、「乾杯!」
ずっと待ち望んでいた瞬間。
各々でビールを味わった後に、誰かが言う。「やっぱり、乾杯っていいね」
いままで日常だったものが、この日は特別なものに感じた。
まあ、その割には話した内容をあまり憶えていないのだけれども。
そして、もうひとつは昨年末に挙げた結婚式での両親との乾杯。
持病があり、「いつその日が来てもおかしくないから、くれぐれも無理はしないよう」言われている父。どうか何もありませんようにと祈り続けて、ようやく迎えた乾杯だった。
この日を無事に迎えられたことに心から感謝し、待ちに待った乾杯を行った。
両親とは、その日以来一度も会えていない。
会いに行きたいが、持病のことを考えると、東京から気軽に帰省する気になれない。
両親と連絡を取るたびに、あの日が最後になりませんようにと、願わずにはいられない。
次に会えた時は、もしかすると、結婚式以上に特別な乾杯になるかも知れない。
きっと一生忘れられない乾杯になるだろう。
お父さん、お母さん。そのときは、いつものように、麦茶とビールで乾杯しようね。
***
楽しみにしていた同僚との乾杯。
いつかまたと願う両親との乾杯。
乾杯とは、誰かのことを想うことなのかも。
この数か月の「特別な乾杯」はそのことに気付かせてくれた。
今はどんなに近くにいても、環境の変化で会えなくなるかもしれないし、
年に一度会えるかどうかの親友たちとは、ますます会う機会が減るかもしれない。
そしてどんなに願っても、もう二度と乾杯することができなくなる人も、残念ながら出てくるだろう。
だから。
今は会いたくても会えない遠くの人とは、スクリーン越しに乾杯をして、話そう。
日常の中にいる近くの人とは、グラスをぶつけあえることのよろこびを胸に、これからも沢山の乾杯を重ねていこう。そして、これからは「乾杯」という誰かを想う時間を大切にしたい。
夫とのおだやかな毎日の乾杯の時間も、これからもずっと大切に続けていけると良いな。
これからの乾杯、そして「また乾杯しよう」の言葉が、誰かのことを想う愛おしい時間になりますように。